旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 東横線を疾駆していた9000系【後編】

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 前回のつづき

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 筆者が高校に進学し、毎日のように東横線に乗って通学するようになると、8000系が来るかそれとも9000系が来るか、少々ワクワクしたものでした。残念ながら、乗車駅も降車駅も各停しか停まらなかったので、当初はほぼ急行限定運用されていた8090系に乗ることは少なかったのですが、こちらは乗る機会をそれなりに得たものです。

 特に夏の暑い日に9000系がやってくると、思わずニンマリとしたものでした。それは、8000系が搭載する冷房装置は、8,000kcal/hのものを4基で扇風機を併用して車内を冷やし、それなりに快適に過ごすことはできました。ところが、9000系が装備する冷房装置は1基10,000kcal/hの東芝製RPU-2214でした。これを1両あたり4基装備し、扇風機に代わって三菱製ラインデリアが車内の空気を撹拌していましたが、とにかく冷え方が違ったのでした。汗だくで乗ると、8000系だと汗が引くまでに3駅ぐらい乗らなければならなかったのが、9000系だと2駅ぐらいですっかり体は冷やされたのです。

 また、乗り心地も違っていました。当然といえばそうなのですが、8000系は従来からの空気ばね台車なのに対して、9000系ボルスタレス台車を装着していました。ですから、8000系のTc車が装着していたオアイオニアⅢのゴツゴツとしたものと比べると、9000系は滑らかな感じで乗っていても疲れを感じさせませんでした。

 

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9000系9103F 妙蓮寺-白楽 2004.11.22 筆者撮影

 

 元住吉に配置され、東横線で走り出した9000系の一部は、一時期だけ長津田に配置転換されて5両編成に短縮した上で大井町線でも活躍しました。やがて、再び元住吉に戻ってくると、8両編成になって東横線での活躍が続きます。これ以外は大きな異動もなく、特急から各停までの運用をこなしました。

 車両自体に大きな変化はなかったものの、走る場所は大きな変化を迎えることになります。2004年に東横線東白楽駅より南は地下化され、横浜高速鉄道みなとみらい線へ乗り入れるようになります。それまでは高架上を走り、横浜駅を経て桜木町駅が執着だったのが、東白楽以南は地下鉄になってしまったのです。そして長年走り慣れた横浜駅桜木町駅間は廃止となって、東横線の長い歴史の中で一つの大きな区切りを迎えました。このとき、9000系の9108Fは他の車両に先駆けて、まだ付け替え工事も終わっていない真新しい地下区間を乗務員の訓練のために走りました。このとき、わざわざ深夜にクレーンで地下区間に吊り降ろされたのは、大きな話題となりました。

 そして、渋谷駅の地下化と副都心線との直通運転を機に、9000系たちは長年走り慣れた東横線での役目を終えました。その後、長津田へ配置転換となり、5両編成へ減らされ、余剰となった車両は一足先に廃車。大井町線に残存していた界磁チョッパ車である8500系を置き換え、今日に至るのです。

 いずれにしても、かつてはあたりまえのように走っていた9000系も、東横線からその姿を消して10年近くが経ちました。気がつけばということは多々ありますが、やはり若い頃から見慣れて、そして乗り慣れてきた車両であるがゆえに、やはり寂しいものがあります。

 大井町線に移ってからは、急行運用を6000系や6020系に任せ、9000系は各停運用のみをこなす毎日となりましたが、時折乗る機会を得ると、若かりし頃、様々な想いを抱きながら乗ったことを思い出さずにいられません。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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