旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 大井町線が赤帯だった頃・2005年の二子玉川

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 東急電鉄9000系が量産されるようになって、次々と東横線を走り出すようになった頃。筆者は高校へと進学したので毎日東横線に乗るようになりました。そして、新車の匂いがする9000系に乗るのが楽しみになったのをいまでも覚えています。

 8000系もよかったのですが、乗る駅の改札口の位置の都合で、桜木町方の先頭車であるクハ8000は他の車両と違って乗り心地が硬い感じがしてなりませんでした。それもそのはずで、クハ8000が装着していた台車は7000系からの流れを汲むパイオニアⅢ-708。デハ8100など中間車のTS-807は、枕バネにダイレクトマウントの空気ばねを装備し、軸箱はペデスタル式でコイルばねを装着していました。

 ところが、パイオニアⅢ-708は枕ばねこそTS-807と同じ空気ばねでしたが、軸箱はブッシュゴムを装着していたため、軌道の凹凸を直接拾っていたようで、これが乗り心地に影響していたようです。

 一方、新車である9000系はというと、軸箱こそペデスタル式でコイルばねを装着していましたが、枕ばねはボルスタレス式空気ばねになったので、クハ8000と比べて格段に乗り心地がよく、滑らかな走りをする印象がありました。

 まあ、この頃の筆者はどちらかといえば「新しいもの好き」。新車でピカピカの9000系がやってくると、喜んでで乗ったものです。

 ところが、次々に量産されて増える9000系でしたが、何か物足りなく感じるようになりました。いえ、車両自体がどうこうではなく、数が増えるにしたがって感じた違和感とでもいった方がいいでしょう。

 9006Fが増備された時点で、しばらく増備は途絶えました。そして、次にやって来た新車は9008F。

 あれ、9007Fがない!?

 

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  あとで知ったのですが、9000系15編成のうち、9007Fだけが5両編成で落成し、そのまま長津田に配置されて大井町線を走っていたのでした。なぜ、9007Fだけが大井町線に宛がわれたのかは定かではありませんが。

 

 2005年のこと、所用で二個玉がのホームにいると、大井町からやって来た列車が件の9007Fでした。ちょうど夕方だったので、西方向には多摩川があって開けているので、少しオレンジ色になった太陽の光が差し込んで車体を照らしています。

 9000系の車体はステンレスですが、ダリフィニッシュ仕上げとよばれるステンレス鋼特有の光沢を抑えた、シルバーグレーのような色をしているので、太陽の光で少し白っぽく見えていました。

 この頃の大井町線は、8000系と東横線から流れてきた8090系の牙城で、9000系はこの1編成という少数派でした。いまでは各停はほとんどすべてが9000系で、2000系を改造した9020系なんてのも入ってきています。そして、東急電鉄のコープレートカラーである赤帯ですらもう過去ののもの。いまでは赤から黄色へのグラデーションになってしまいました。

 おまけに大井町線には急行も走るようになって・・・時代は確実に変わっていっているのでしょう。

 

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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#東急電鉄 #9000系 #大井町線 #私鉄の車両