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1986年頃となると、国鉄は分割民営化されることがほぼ決まり、現場は色々な意味で大変だったようです。もっとも、ここでは細かく書くことはあえて避けますが、いずれにしても想像を超えることもあったとか。
ところで、新鶴見機関区は首都圏の貨物の要衝としての役割を今も昔も果たしています。東海道本線から東北本線や中央本線、高崎・上越線へと向かう貨物列車のほとんどは、ここで機関車を付け替えていますので、入出区が激しいところです。
その新鶴見機関区が、1986年に公開イベントを行いました。
それまでここではこの手のイベントを行うことなど、筆者が知る限りでは一度もありませんでした。まあ、機関区の職員にとっては、イベントなんか開けば仕事が増えるだけで、日常の仕事を捌くので手一杯だったのかも知れません。
しかし、そうもいっていられない状況が、この年にはあったのでした。それが、分割民営化だったのです。
この頃の国鉄に対する国民の評価は、非常に厳しいものがありました。
相次ぐ運賃の値上げや、急行列車の特急格上げという名の料金値上げなどなど、あげたらキリがないほどです。
さらに、国鉄の貨物輸送は荷主からも嫌われ、伝統的なヤード継走輸送を廃止し、原則としてコンテナによる拠点間輸送に切り替えてもなお、トラックに顧客をもっていかれたままという有様でした。
そんな厳しい視線を意識したのか、イメージアップ戦略に転じたのかは定かではありませんが、ファンや機関区が所在する地域へのサービスとして、新鶴見機関区が公開されたのでした。
この写真は、新鶴見機関区でも「西機待線」と呼ばれる留置線群です。
新鶴見に到着した貨物列車は、ほとんどがここで機関車を付け替えますが、西機待線群は北方面へ向かう列車に連結する機関車が待機する場所です。ですから、日中はそこそこ、夜間になればひっきりなしに機関車が出入りするところ。
それをあろうことか、日中とはいえ、すべて撮影用の機関車を置くために空けたのです。
これは、並大抵なことではできないと知ったのは、実は筆者が貨物会社に入ってからのこと。この時は、ただただ興奮しながらカメラのシャッターを押す、ただの鉄道少年でした。
さて、ここに並ぶ機関車たち。左からEF58 89号機、EF60 501号機、EF65 540号機、EF65 1117五号機、そしてEF66 36号機です。イベントなので、ある意味何でもありなのですが、わざわざブルトレのヘッドマークを持ってきて取り付けたのは、ファンサービスでした。
この頃のEF58 89号機は団臨などで引っ張りだこの人気機関車だったので、「みずほ」のヘッドマークは置いておいて、EF60とEF65 540はブルートレインを牽いた実績をもっていました。
そしてEF65 1117号機はというと、じつは牽いた実績はありませんでした。PFなので、こうしてヘッドマークをつけても違和感はなかったのですが、後年になり「悲運の1117号機」と同僚から話を聞いたので、これを見たときは同機にとって「晴れ姿」だったといえるでしょう。
1117号機は新製配置が新鶴見機関区で、民営化後もほぼ一貫してここを拠点に貨物輸送に徹しています。2000番代改番により2017号機になりましたが、2020年現在も健在です。
そしてEF66 36号機は下関運転所に新製配置され、1986年に吹田機関区に配置転換になっています。この頃の東京発着の寝台特急は、一部を除いて下関の受け持ちになり、EF66が宛がわれていたので、先頭に立った経歴はあるかも知れません。
ですが、「さくら」のヘッドマーク。これは、PF牽引時代のもので、この組み合わせもあり得ませんでした。
とはいえ、機関区の方々のご厚意とご苦労があっての公開イベント。後に、民営化後も数年ほどはこのイベントを開催していましたが、様々な「大人の事情」でなくなってしまったのは寂しい限りです。
こうした、「あり得ない組み合わせ」もまた、楽しみの一つかも知れません。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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