《前回の続きから》
筆者も1991年に貨物会社に採用され、すぐさま九州支社勤務となり、研修とはいえ約1か月間を福岡貨物ターミナル駅で勤務したので、会社が用意した寮のある門司からは鹿児島本線の列車に1時間以上乗って通っていたので、何度か811系にも乗る機会を得ました。
1987年に登場した811系は、JR九州が民営化後初めて製造した近郊形電車だった。421系や423系など、交直流電車の黎明期から運用を続けている車両も多く、老朽化が進んでいることは避けようもなかった。こうした古参の車両を置き換えることと、民営化により新会社へ移行したこと、そしてアジア太平洋博覧会の開催もあって新型車両の投入に至った。軽量ステンレス車体にボルスタレス台車、サイリスタ連続位相制御などを採用することで、国鉄から継承した車両と比べて経済性の高い車両となった。( 門司港駅2007年10月9日 筆者撮影)
福岡貨物ターミナル駅は福岡市の港湾部にあり、JRの駅とはいえ旅客線とは離れたところにあります。最寄りの駅といえば、福岡市営地下鉄と西鉄宮地岳線(当時。現在の貝塚線)の貝塚駅なので、鹿児島本線の香椎駅か博多駅で、それぞれの路線に乗り換えなければなりませんでした。筆者は門司に住んでいたので、門司から香椎まで鹿児島本線を利用していましたが、多くは国鉄形の423系か415系だったので、この811系がやってくると少しばかり心を踊らせたものです。
特に一徹明け(夜勤ではなく、8時30分から翌8時00分までの1昼夜勤務)で疲れた体を引きずって、香椎から門司まで1時間以上の通勤は19歳といえどもキツイものがあり、できれば普通列車ではなく快速列車で移動したいもの。もちろん、タイミングもあるのですが、811系がやってくると国鉄形の車両よりも座り心地がいい座席に体を預けては、1時間ほどリラックスして少しでも疲れを癒やしたのでした。
811系の転換クロスシートは、明るいカラースキームの採用とも相俟って、従来の国鉄形車両とは比べものにならないサービスレベルの向上につながったといえる。しかし、福岡・北九州都市圏の混雑は激しさを増す一方で、1両当たりの収容力を必要とされたことから、更新工事の施行とともに転換クロスシートは撤去され、代わりにロングシートに交換されてしまった。こうした改造は、JR東日本などでも行われており、定位の増員と引き換えにサービスレベルが格下になってしまうのは、旅客会社にとっては痛し痒しともいえるかもしれない。(門司港駅 2007年10月9日 筆者撮影)
もちろん、それは帰りだけではなく、行きの道中も似たようなものでした。
8時30分が勤務開始時刻で、鉄道マンである以上、1秒たりとも遅刻は許されません。東京にある親時計を中心に、すべてのJRの駅や施設にある時計は、すべて同じ時刻を指すようになっています。それは筆者が住んでいた寮も同じで、鉄道寮である以上はこの時計から逃れることはできません。ですから、1時間半近くもかかる通勤のために、7時頃には門司駅から列車に乗らなければなりませんでした。
とうぜん、この時刻に列車に乗るためには早起きしなければなりません。当時は若くて体力もあったので、6時に起きるのはどうということはなかったのですが、日勤が続くとやはり疲れも溜まって眠気も襲ってきます。そんなとき、やはり座席に座れれば少しでも楽なのは当然で、この811系に乗ることができればそれはそれで至福(?)の時間だったのです。
写真の通り、811系は転換クロスシートですが、今日の新型車と比べると重厚感のある一昔前のものだとわかります。最近は製造コストの軽減からか、ウレタンフォームを詰め込んだ簡易なつくりの座席が増えました。しかし、このウレタンフォームだと、詰め物に厚みがないと非常に硬い座り心地になってしまい、中距離の移動となるとお尻はもちろんですが、最悪は腰にまで響いてしまいます。しかし、この当時はウレタンフォームを座席に使うことはなく、ご覧の通り座面はふっくらしたスプリング内臓の厚みのある座席で、一度腰を下ろすとリラックス感がありました。
811系が登場してから既に30年以上が経ちましたが、今日も事故で廃車になったPM02編成を除いた全車が南福岡車両区に配置され、鹿児島本線を中心に走り続けています。ただ、30年以上となるとさすがに登場時のままとはいかず、リニューアル工事の施工が進んでいます。
特に制御器の老朽化は避けがたいものがあったようで、サイリスタ位相連続制御からVVVFインバータ制御に換装されました。この制御器の換装によって、サイリスタ位相連続制御では回生ブレーキをあえて使わず発電ブレーキだったのが、VVVFインバータ制御になって回生ブレーキも実装されました。制御方式が変われば当然ですが、主電動機もMT61QA直流直巻電動機からMT405Kかご形三相誘導電動機へと換装されます。
そして、機器面では他にもパンタグラフも変更され、不要になった主抵抗器は撤去されるなど、電装品はその多くが新しく最新の技術を盛り込んだものへと換えられました。
リニューアルは電気機器だけでなく、客室内にも及びます。
既にお話したように、登場時はドア間に転換クロスシートを設置していました。しかし、九州北部の大都市圏ではラッシュ時の利用者が増加傾向を示し、混雑も激しくなってきたことから、転換クロスシートをすべて撤去し、収容力を重視したロングシートに交換されてしまいました。激しい混雑を捌くためには仕方のないことですが、やはり筆者としては転換クロスシートがなくなったのは残念なことです。
リニューアル工事が施工された車両は、新たに1500番代に区分されました。
いずれにしても、民営化によって国鉄の「全国あまねく、どこでも運用できる」という呪縛から解き放たれ、同時に最新の、そして地域の事情に合った仕様の車両をつくることができるようになったことで、JR九州が自社線内でのみ運用することを前提とした交流電車である811系は、まさに民営化したからこそできた車両といえるでしょう。
その証左に、九州の中で最も人口が多い福岡市と北九州市を結び、多くの人々を運び続けて既に30年。リニューアルをしても、今なお活躍しているのは、運用する地域にフィットした設計だったからであり、JR九州にとっても貴重な戦力だといえます。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございま
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