旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

鉄道の進化と安全性向上: 実験と研究の成果 職用車「ヤ」をつけた有蓋車【2】

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《前回からのつづき》

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 狩勝実験線で始められた脱線試験には、二軸貨車であるパレット輸送用有蓋車のワム80000形と同一の車体をもって新製された1両と、ワム80000型から改造された1両、同じパレット輸送用有蓋車でで積載荷重を17トン積みにした三軸車のワサ1形から1両を改造した専用の試験車によって行われました。

 この3両の試験車は三者三様ならぬ三車三様で、ワム80000形を基本に新製された1両は、走り装置は種車の二段リンク式をそのままとした二軸車でした。しかし、二軸車ではあるものの試験の内容に応じて軸距が変えられる特殊な走り装置を備えていました。また、車内も種車とは異なり高さを変えることができる棚が備えられ、ここに積荷の代わりになる死重を乗せて、重量偏位や重心高さを変えることができるようになっており、やはり試験の内容によってこれらの設定を変えて脱線のメカニズムを探ることができるようになっていました。

 車体外観は大きく変化することはなかったのですが、塗装は種車のとび色2号から客車に多く使われていた青15号に変えられ、形式も職用車を示す「ヤ」に変わり、ヤ80形となりました。

 同じワム80000から改造によって製作された1両は、ヤ82形の形式が与えられました。この改造車であるヤ82形は、走り装置である二段リンクを撤去し、代わりにホキ2200形などでも装着されていたTR216ボギー台車を装着していました。

 車体そのものはワム80000形時代と変わらなかったため、車体長は90,650mmでプレス鋼板をつかった総開き戸の構造をもつものでした。ただ、本来は二軸貨車の車体サイズにボギー台車のTR216を装着したため、台車間の中心距離はわずか6,000mmと短く、特異な外観をもった車両となり、ある意味では贅沢な装備だったといえます。

 このヤ82形は、二軸貨車のサイズの車体にボギー台車を装着した場合の走行特性を観測し、二軸貨車のものと比較するとともに、競合脱線を起こる確率も弾き出すための試験のために製作された車両でした。これだけ台車間の距離が短い貨車の走行性能はどのようなものだったのか、非常に興味のあるところといえるでしょう。あくまで推測ですが、積載荷重が二段リンクと同じであるならば、許容される軸重に対して軽過ぎたのではないかと考えられます。そのため、もしもこのような構造の車両が営業用に用いられたとすれば、積載荷重はさらに増加させることができたかもしてません。しかし、許容できる軸重に対して積載荷重が軽いということは、高速で走行したときのピッチングが起きやすかったのではないかと想像できます。とはいえ、台車自体の重量もあったので、もしかすると想像よりもピッチングは少なかったのかもしれません。台車重量が重いこと、そしてボギー台車となったことで、高速走行時の安定性は高くなったとも考えられるでしょう。

 そして、走行実験用の職用車としてもう一つ、ワサ1形から改造されたヤ81形も製作されました。

 ヤ81形の種車になったワサ1形は、15トン積みとして設計されたワム80000形の容積と積載荷重を増加させたパレット輸送対応の有蓋車として1962年に2両が試作されました。

 

ヤ81形の形式図。ワム80000形にしては長く、ワキ5000形にしては短い。ワム80000形の17トン積有蓋車として設計されたワサ1形は、ワム80000形を基本に車体長が12,500mmに延ばされた。これは、パレット積載時は17トン積となるが、バラ積の時には23トン積とするためで、軸重を規定に抑えるため二段リンク式走行装置を3軸備えた「3軸貨車」だった。しかし、3軸貨車は走行性能が芳しくないことなどから量産には至らず、身延線の新聞輸送に使われたほかは休車状態だった。このうちワサ1を苗穂工場でTR216形ボギー台車に換装するなどの改造を施し、走行試験用の職用車であるヤ81形になった。(出典:国鉄貨車形式図 1971年日本国有鉄道より抜粋)

 

 ワム80000形が車体長8,850mmで、最大容積が53.2㎥であったのに対し、ワサ1形は車体長9,840mm、最大容積を57.7㎥にまで拡大させたものでした。プレス鋼板による軽量構造で、側面はワム80000形と同じ総開き戸を備え、パレット荷役を効率よくできるようにした構造でした。

 このような有蓋車が試作された理由は、ちょうど15トン積有蓋車であるワム60000形に対して、積載荷重を大きくしたワラ1形と同じ発想によるもので、15トン積よりも17トン積にすれば効率の良い輸送が可能だと考えられたからといえます。しかし、ワム80000形はワム60000形とは異なり、パレット輸送に特化した設計となったため、同じ積載荷重でもワム60000形より車体を大きくする必要があったため、増加する車体重量を抑えるため側面の引き戸をアルミ製にするなど軽量設計となっていました。

 このワム80000形の設計を基本に17トン積みとしたワサ1形は、軽量構造であるため車体全長を長くすると、中央部が積荷の重さによって垂下する可能性がありました。そこで、この軽量構造と積載荷重の増加を両立するため、二段リンク式走行装置を車体中央部にも設ける三軸貨車となりました。三軸貨車は戦前製の中型貨車に多く採用された方法でしたが、中央の走行装置は一応横方向に動く構造となっていたものの、線路に与える横圧などにより走行性能が悪く、機関車の大型化や高速化が進んだことによってそのことが枷となり、戦時設計で登場したトキ900形を例外として1936年に三軸貨車の製造は禁止されていました。

 しかし、ワサ1形は積載荷重を増加させるために、この禁忌ともいえた三軸構造を採用したものの、やはり三軸貨車特有の走行性能の悪さが克服できなかったのか、わざわざ17トン積にしても、その中途半端な車体長の長さから操車場などでの入換作業において仕訳線の収容数を減らすといった運用上の複雑さもあってか、2両が試作されたに留まり、本格的なパレット輸送対応の大型有蓋車はワキ5000形が量産されることで対応できるようになり、中途半端なサイズのワサ1形は量産に移行することはありませんでした。

 その後、身延線で新聞輸送に細々と使われていましたが、結局運用も中止されて沼津機関区配置のまま休車となってしまいます。余剰になったワサ1形のうち、初号車であるワサ1は1971年に走行特性試験車のヤ81形に改造されることになり、三軸の二段リンク式走行装置を撤去してヤ82形と同じボギー台車のTR216Aを装着して、狩勝実験線での走行試験に用いられることになります。

 ワム80000形から改造されたヤ82形とは異なり、ある程度の車体長があったので、外観もごく普通の大型有蓋車にも見える姿になりましたが、ワキ5000形などと比べれば短いので、少し寸詰まりのような印象を与えていたといえるでしょう。

 

《次回へつづく》

 

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