旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

学校の児童生徒だけが乗る「専用列車」 思い出とともに走った修学旅行用電車たち【7】

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《前回からのつづき》

 

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■特急用から波動用へ転換 栄光の国鉄特急形183・189系が集約臨を引き継ぐ

 2002年に集約臨の運用から外れ、167系は翌2003年に全車が廃車となってしまいました。しかし、神奈川県内の公立小学校の修学旅行は、変わらず続けられ集約臨も運転が続けられました。その任を引き継いだのは、かつて国鉄の特急列車として栄光の運用についていた直流用特急形電車である183系と189系でした。

 どちらも国鉄時代から民営化後初期は、特急列車やその間合い運用として普通列車、ライナー列車に充てられていました。この栄光の運用を独占していた車両も、民営化によって経営環境が大きく変わり、新会社として誕生したJR東日本も経営が安定してくると、乗客サービスの向上などを目的に、新しい車両を設計製造して定期特急列車の運用に就かせます。

 特に中央東線の「あずさ」や「かいじ」には、数多くの183系が充てられていました。曲線が多く連続した勾配もあるなど、狭隘な線形をもつ中央東線で183系にとっては過酷であり、同時にそれ以上のスピードアップは望めません。

 そこで、「あずさ」用には曲線を通過する時に、減速を最小限にすることができる、振り子電車である351系が開発されて運用に充てられました。また、「かいじ」にはE257系が新製されると、中央東線優等列車は民営化後に製造された車両が占めるようになり、国鉄時代の183系は臨時列車など波動輸送用に使われるようになります。

 さらに、信越本線の「あさま」用として運用されていた189系は、北陸新幹線が長野暫定開業すると最大67‰という急勾配がある碓氷峠区間(横川−軽井沢間)が廃止されます。この区間の廃止により、189系は僚機である489系とともに運用の多くを失い余剰となりました。

 

167系が老朽化により廃車となったあと、集約臨に充てられたのはかつては特急列車で活躍した183・189系だった。すでにこの頃は分割民営化後に製造された車両が定期特急列車の運用に充てられ、かつて国鉄の看板ともいえた183・189系は多くが老朽化により姿を消していった中、残った車両たちは波動輸送用として運用されていた。もともとが特急列車としての車両だっただけに、車内は座り心地のよいリクライニングシートを備えるなど、集約臨としては「贅沢」なもので、筆者が小学生の頃の固定ボックスシートとは雲泥の違いがあった。(クハ189-11 チタH102編成【東チタ】 川崎 2007年7月4日)

 

 こうしたこともあり、189系は183系とともに多くが運用を失ったため、老朽化の激しい車両は廃車となり、比較的状態の良い車両を房総特急に充て、残りは165系や167系が担っていた波動輸送用の予備車とされました。

 神奈川県内−日光間の中距離集約臨にも、この183・189系が2003年から充てられました。

 183・189系時代の集約臨は、当初は田町区配置車が充てられていました。後に、田町電車区田町車両センターが廃止になると、波動輸送用の183・189系大宮総合車両センター東大宮センターへ配転になり、引き続き集約臨にも運用されました。

 固定クロスシートの167系から、リクライニングシートを備えた183・189系への置き換えは、小学生が乗る集約臨としては大幅なグレードアップといっても過言ではありませんでした。

 そもそも修学旅行は、児童生徒が最後の思い出を作る最大の行事です。ボックス式のクロスシートならば、4人が向かい合わせで座って食事をしたり、茶菓子を食しながら会話や簡単な遊びをしたりして楽しみます。しかし、183・189系は基本的には2人1組で座る座席なので、4人1組のボックスシートのようにするためには、座席を回転させる必要があります。

 筆者は現在の仕事では、この集約臨に乗って修学旅行の引率をする機会があります。183・189系が集約臨に充てられていた時代にも乗ったことがありますが、子どもたちは座席を回転させる方法を知らない場合が多いので、隣に座る人としかコミュニケーションを図ることができないケースも続出しました。

 また、リクライニングシートは長旅を快適にするために、欠かすことのできない設備ですが、子どもたちにとってはこれが「非常に面白いもの」らしく、何度も背もたれを動かしてしまう場面を多く見ました。快適にするのはいいのですが、これを何度も動かして壊されてはたまったものではありません。そこで、リクライニング機構を使わないようにすることで、「万が一」を回避せざるを得ないのでした。

 かつて自らの子ども時代には、167系のボックスシートで3時間ほどの列車の旅でしたが、この時代はリクライニングシートで、しかもかつては「乗ること自体が『高嶺の花』」だった特急形電車が集約臨に充てられていたことも驚きに値するもので、一緒に引率にあたった先輩と顔を見合わせながら、なんとも「贅沢な時代」になったものだと苦笑いしたものです。

 しかし、固定クロスシートは既に時代遅れであり、急行形電車自体が過去のものになっていき、近郊形という分類そのものがJR東日本からは消滅、ボックスシートを備えた電車もごく一部を除いて消滅した時代にあって、こうした団体臨時列車に充てられる車両も、リクライニングシートを備えたかつての特急形電車になったのは必然だったのかも知れません。

 

《次回へつづく》

 

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