旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

爆音を轟かせて走り抜けた強力気動車 国鉄キハ66系【1】

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 いつの拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 

 

 第二次世界大戦後も全国で活躍していた蒸気機関車は、燃料となる石炭の品質が悪化したことや、国内炭の価格の上昇、そしてなによりも鉄道沿線に住宅が開発されて進出してきたことから、蒸機が吐き出す煤煙は社会問題になっていきました。また、石炭価格の上昇や、石炭を満載した蒸機が走ることのできる距離が短く、途中で給炭と給水をこまめにする必要があり、蒸気が牽く列車は自ずと運転停車や機関車自体の交換が生じることから、列車の到達時間の短縮、すなわち速達性を高めることも困難でした。 

 こうした状況から、国鉄は幹線や地方幹線は電化を進めて蒸機から電機、電車への転換を、その他の路線についてはディーゼル機や気動車への置き換えを進め、動力近代化による無煙化を進めることにしました。 

 鉄道路線の電化は、戦前からも大都市圏では進んでいたため、大きな困難はありませんでした。直流1,500Vであれば既存の技術をそのまま使うことができるので、技術的なハードルも低いものでした。特に東海道本線山陽本線は列車の運行頻度が高いことから、大都市の電車路線と同じ、直流1,500Vによる電化で進められました。 

 他方、東海道本線山陽本線ほどの運行頻度が見込めないものの、一定程度の列車が走行する地方幹線については、直流電化よりも建設コストを低く抑えることができる交流20,000Vでの電化を進めることになりました。しかし交流電化はそれまで経験がなかったこと、電機や電車の動力源となる主電動機は直流電動機を使わざわなければならないため、交流電流を直流電流に変換させんる必要があり、黎明期の交流電機では水銀整流器を使うなど、試行錯誤で進められていました。 

 そして、電化の対象にならなかった路線では、ディーゼル機や気動車を導入して、蒸機の一掃と無煙化の達成、さらに列車の運転速度を向上させることにしました。ところが、ディーゼル機や気動車に欠かすことのできないディーゼルエンジンもまた、当時は技術的な面で発達の途上にあり、国鉄はこちらでも試行錯誤を強いられることになりました。 

 そもそも国鉄は、その前身である鉄道省時代に気動車を完成させ、営業運転に充てていました。といっても、今日ようなものではなく、鉄道省と日野ヂーゼル工業が共同開発した出力100PSのGMF13系をキハ41500形(後のキハ04形)や、国鉄制式のGMH17系をキハ42000形(後のキハ07形)へ搭載して、内燃気動車を実用化させていました。いずれも燃料にガソリンを使うガソリンエンジンで、GMF13系は直列6気筒で排気量13,000cc、後者は直列8気筒で排気量17,000ccという、出力の割には排気量もシリンダーも大きく、燃料消費量も多いものでした。 

 また、キハ41500形とキハ42000形はどちらも変速機が機械式が採用されていました。この機械式とは自動車でいうところのマニュアル・トランスミッション(MT)と同じで、これらの車両の運転台にはクラッチペダルやシフトレバーがあるなど、まるでバスの運転席からハンドルをなくしたようなものでした。実際にその運転方法は独特で、0km/hから発車するときにはクラッチペダルを踏みこんでからシフトレバーを1速目に入れ、加速していくたびにシフトレバーを操作してギヤを変速させるという、まさに自動車のMT車さながらの操作をしなければなりませんでした。 

 この機械式変速機は、比較的構造が簡単であまり高い技術レベルを求められないことなどから、戦前の日本だけでなく内燃機関を搭載した黎明期の気動車は、多くがこの方式が採用されていたとされています。 

 

鉄道博物館に保存展示されているキハ41307(キハ04 8) (©掬茶, CC BY-SA 4.0, 出典:ウィキメディア・コモンズ)

 

 構造が簡単で高い技術レベルを必要とせず、製造コストも比較的安価な機械式変速機は、一方で大きな欠点をもっていました。それは、2両以上を連結した場合、総括制御ができないということです。 

 この総括制御とは、複数の車両を先頭に連結された車両にある運転台から、加速から減速、停止まですべての車両に対して1か所で制御するというものです。今日の気動車はすべて先頭車にある運転台に乗務した運転士が1人で、1編成全ての車両を運転操作することにより制御しています。これであれば、閑散期は必要最小限の数で運行し、繁忙期になれば需要を満たす分だけ車両を増結できます。増結しても、列車の運行に必要な運転士は1人だけで足りるので、柔軟な車両運用を可能にします。 

 しかし、機械式ではそれがほぼ不可能といっても過言ではありません。そもそも、運転士が速度に応じてクラッチを踏み、シフトレバーを操作して変速ギヤを変えるのですから、よほど高度なシステムを持たせない限り難しいといえるのです。そのため、朝夕のラッシュ時間帯などで乗客が多いときには、2両以上を連結して運行しますが、このときに運転士は各車両ごとに乗り込んで、汽笛などの合図で運転操作をする協調運転をしていたのでした。 

 さて、こうした機械式の不便さと、ガソリンを燃料とすることの高い危険性、さらに戦時中の燃料枯渇や軍需優先の政策などから、気動車の運行は途絶えていました。戦後になり、前述の通り蒸機の削減による無煙化と動力近代化計画の推進のため、再び気動車が注目されます。 

 

《次回へつづく》

 

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