旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

走り抜ける「昭和の鉄道」 21世紀にも通じる車両の始祖・東急7700系(Ⅰ)

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 北は北海道から西は九州まで、いまやどこの列車に乗ってもステンレス車体の車両に乗ることができます。そのほとんどはペンキ要らずで、ステンレスの地肌をそのままにして銀色に輝かせ、アクセントと路線の識別のためにシンボルとなる色の帯を巻いています。

 今日では当たり前になったステンレス車体をもつ鉄道車両も、ほんの四半世紀ほど前までは特殊な存在でした。

 というのも、ステンレスという金属は溶接に神経を遣う素材だそうで、板の厚さが薄いほど難しいとか。ヘタな溶接をしてしまうと、ステンレスの板は歪んでしまい見栄えも悪ければ使い物にもならないそうです。

 そのため、いくらステンレスが雨水による腐食に強く耐久性があり、軽量で塗装も要らないなどのメリットがあっても、加工が難しいが故にステンレス車体の車両は鉄道会社にとっては夢の存在でした。

 そんな加工が難しいステンレスをふんだんに使った車両が、アメリカや南米の鉄道で走っていました。日本のある車両メーカーが南米に売り込みに行ったとき、逆にステンレス車の素晴らしさを実感させられ、「これからはステンレスの時代だ!」と思い知らされたとか。

 その日本のあるメーカーが、いまはなき東急車輌でした。東急車輌は横浜にあった鉄道車両メーカーで、しかも第二次大戦後に発足したという後発の会社でした。親会社にこそ東急電鉄がありますが、東急電鉄の車両だけをつくっているだけでは数も限りがあります。やはり、国内はもちろん海外にもシェアを広げたいものです。

 そこで、東急車輌アメリカのバッド社という車両メーカーから、ステンレスの溶接を中心とした加工技術を導入しました。バッド社のステンレス加工技術は特許も多く、知的財産に関しては非常に細かく、そして権利に対してうるさいアメリカの会社。そのバッド社の指導のものと、ステンレス車をつくるのに専用の工場まで建てたそうです。

 そして、1962年に東急電鉄は日本で最初のオールステンレス車となる7000系電車を登場させました。それまでにつくられた車両とは違い、ステンレス独特の銀色に輝く車両は、新しい世代の鉄道車両を感じさせるのには十分だったことでしょう。

 その7000系電車は、当時の営団地下鉄日比谷線東横線との直通運転に備えてつくられました。もちろん、老朽化が進む吊り掛け駆動の3000系電車を置き換える目的もありました。

 無塗装で、しかも角張った独特のデザインは、日本の鉄道車両にはあまり例のないものでした。それもそのはずで、7000系電車は構体の設計や車両のデザイン、そして電装品などの艤装の方法までもがバッド社の指導の下に行われました。そのため、多くの部分でアメリカの鉄道車両のデザインが採り入れられていました。

 その7000系電車も134両がつくられましたが、沿線の人口が増加し輸送力を増強する必要や、新たに開発されたVVVFインバーターを採用した車両への置き換えなどから、1999年までに現役を退いていきました。

 しかし、その7000系電車の車体は腐食に強いステンレス製です。骨組みや台枠もステンレスだったので、普通鋼のように雨水などで劣化する心配はありません。そこで、目蒲線や池上線に残っていた3000系電車を置き換えるために、車体や台枠などといったものはすべてそのままにし、電装品だけを最新のVVVFインバータに更新して生まれ変わったのが7700系電車でした。

 1987年から走り始めた7700系電車は東急電鉄でも支線級になる目蒲線(後に系統分離で多摩川線)と池上線で、3両編成という短い組成で走り続けます。

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 7700系電車の車内は時代に合わせて内装を更新されています。座席のモケットも、当時新製が続いていた9000系電車や1000系電車と同じブラウンとオレンジの暖色系となりました。7000系電車の時代は臙脂色だったので、大分明るくなった印象です。

 座席は9人掛けです。着席定員を促すために3人ずつに分けた仕切があります。座席の袖もパイプだけで組まれたものではなく、白い化粧板を施した肘掛けが設置されました。

 座席だけを見ると1990年代の車両を思わせますが、客室の窓は当時では一般的になった1段下降式ではなく、昔ながらの上下に二分割された下段上昇・上段下降のサッシです。こうしたあたりが1960年代の設計を残していました。

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 7700系電車に更新されたときに新たに冷房装置が取り付けられました。7000系時代には考えられなかったことです。真夏の暑い日に、この7000系電車か営団3000系電車がやってくると、車内の暑さを覚悟して乗ったものです。

 地下鉄へ乗り入れる仕事があった時代は、冷房装置を設置できない取り決めがあったためでした。地上だけを走ることになってその制約がなくなったのと、接客サービスの向上を目的に設置されたのでした。

 車内の天井には7000系の時代を色濃く残す扇風機があります。昔はこの扇風機が唯一の空調装置でした。モワッと暖かい空気をただかき混ぜるだけのものでしたが、全くないよりはよかったです。

 その扇風機も、今日では冷房で冷やされた空気を混ぜて、効率を上げる目的で使われていました。いまではスイープファン(ラインデリアとも)が一般的になったので、とても懐かしいアイテムです。

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 荷物を載せる網棚も時代を感じさせます。文字通り、「網」でつくられた「棚」です。

 今日では網棚もパイプで構成されたものや、さらには強化プラスチックでつくられたものなどが主流です。1960年代~80年代頃までは、こうした網棚が多く見られました。

 そして、この構造の座席上の設備は、パイプ類が非常に多いのも特徴の一つです。釣り革の内側には掴まるためのパイプがレール方向に渡されています。釣り革があれば要らないのでは?と思われるものですが、これが意外と便利だったんです。
 カーブや分岐器を通過する時に揺れが激しいと、釣り革では体が揺れてしまうのをこのパイプに掴まることで軽減できました。時にはデートなどで彼女には座席に座って貰い、自分は立ったままで話すとき、このパイプを両手でつかんでいる方が話しやすかったです。まあ、これは余談ですが(笑)

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 7700系電車のデザインは独特のものです。先にもお話ししましたが、これは米国バッド社の指導によるものでした。天井のカーブは日本の車両に多く見られるいくつもの曲線を組み合わせた柔らかいものではなく、単一の曲線で構成されています。そのため、雨樋部は丸みがなく角張ったものになりました。

 正面の貫通扉も奥に引っ込んだ構造になっています。これもバッド社の指導によるもので、正面の窓と貫通扉の間には衝突時に強度を保たせるための柱が設置されいるためにこのようなデザインになったそうです。

 こうしたデザインは、アメリカの鉄道車両にも多く見られるもの。なんとなく、日本離れしたのはこのためでしょう。

(つづく)

 

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