旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 雪と闘い40年、最終盤の711系【2】

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《前回のつづきから》

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 711系にはこれ以外にもいくつかの特徴があります。本州以南で運用された車両の多くは、客室の即窓は開口部が大きく、上下段ともに上昇または上段下降下段上昇のアルミサッシの窓が設けられました。しかし、この開口部が大きい窓では、冬になると凍てつくような風が車内に漏れ入ってきてしまい、暖房効果が奪われてしまいます。そこで、711系は幅1,080mm、縦680mmという小ぶりの1枚窓にしました。そして、この窓は二重窓として、外気の侵入を防いでいたのです。

 もう一つは、登場時には備え付けられていませんでしたが、第三次車では前部標識灯は前面窓下、左右に設置されたシールドビーム灯のほかに、貫通扉上にある種別表示器上に砲弾型のシールドビーム灯2個が追加されました。これは、従来から設けられていた前部標識灯が、走行中に着雪して塞がれてしまうことがあることとと、特に吹雪いているときなどは視界が極端に悪くなるため、高い位置に前部標識灯を設けることで視認性を向上させるとともに、照明の明るさを確保するためでした。こうした4個も前部標識灯を設置したのは、北海道で運用される車両の大きな特徴で、781系キハ183系、さらには民営化後に製造された721系なども、こうした設備をもたされたのでした。

 

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711系が活躍した舞台は、冬季の気候が想像以上に厳しい北海道であった。厳冬期の北海道は湿り気の少ない雪と、言葉通り「身を切るような」寒さのため、ここで運用される車両は本州以南にはない特殊な装備をもっている。その一つが前部標識灯であり、登場時はシールドビーム灯2個であったのが、冬季の視界確保と車両警戒を兼ねて貫通扉の上部にある種別幕の上に、砲弾型のシールドビーム灯2個が増設された。このクハ711-112も、札幌駅到着時にはご覧のように走行中に巻き上げたり、正面から叩きつけるように付着した雪で覆われていて、貫通扉脇のステーからには氷柱が着いている。スカートの連結器周りは相当量の雪が入り込み、もはや「埋まっている」といっても過言ではない。こうした厳しい条件の中で走行するため、各種の特殊な装備をもっていた。(クハ711-112〔札サウ〕 札幌駅 2011年11月23日 筆者撮影)

 

 さて、写真は真冬の札幌駅に到着した711形を捉えたものです。

 函館本線旭川から大雪の中を走ってきた711系の前面には、かなりの量の雪がついていました。北海道や東北、北陸など雪が多い地方では見慣れた光景かもしれませんが、筆者のように雪のない首都圏で生まれ育った筆者にとっては、非常に珍しく新鮮な光景でした。

 とはいえ、この前面への着雪量からも、北海道の冬は想像を超える厳しさであることがおわかりいただけるでしょう。こうした厳しい気候の中を、毎日安定して、そして安全に走り続けるには、前述のような特殊装備が不可欠なのです。

 登場以来、夏は爽やかな風の中を、そして冬は凍てつく厳しい寒さと雪の中を、711系は道央部の都市間輸送を担ってきました。しかし、厳しい気候の中で走り続けたことで老朽化も始まり、加えて道内各地で盛んだった石炭産業が衰退していく中で、多くの人が閉山された町を後に札幌を中心とする都市圏に集中した結果、ラッシュ時間帯を中心に片側2ドアでは押し寄せる乗客を捌くことが難しくなり、条項に時間をとられて遅延が多発するようになりました。

 老朽化の代替えと、より多くの乗客をスムーズに輸送するため、民営化後には片側3ドアの721系が登場し、それと交代していくように初期につくられた711系の廃車が進められていきました。

 最後まで残ったのは第三次車で、1980年から製造されたグループは多少の改良も加えられて100・200番代を名乗り、後輩となる721系が増備を続けられている間も、道央の電化区間を走り続けたのでした。

 その第三次車も、2000年代も終わりの頃になると老朽化と、新車の投入により代替えが進められていくようになります。2014年のダイヤ改正では、それまで多くの運用があった函館本線小樽ー手稲間の運用がなくなり、岩見沢旭川間の普通列車と札幌ー岩見沢間の1往復の運用のみとなり、頻繁に顔を出していた札幌や小樽からその姿を消していきました。そして、当初の計画通りに733系が増備されたことで721系や731系にも余裕ができ、2015年3月のダイヤ改正をもって前者が運用を離脱、3月31日には残っていた全車が廃車となって系列消滅しました。

 先に廃車されていた第一次車、第二次車は1968年に製造、最後までのこった第三次車は1980年の製造と、製造期間に開きがありますが、最初に酷寒の北海道でその産声を上げて過酷なまでの気候の中を走り始めてから48年、第三次車だけをみれば35年ですが、いずれにおいても北海道という特異な気候の中を走り続け、道央の都市間輸送に携わり多くの人々を運び続けたました。その特異な気候に適応し安定した輸送サービスを提供するために、サイリスタ位相制御など新機軸をふんだんに取り入れるなど、711系が確立した極寒地仕様の車両技術は、民営化後のJR北海道にも受け継がれ、その基礎を確立したことは特筆に値するといえます。

 この写真はまさに、711系が酷寒の気候と、そして冷たい雪と闘い続けてきたことを象徴するかのようにも思えるのは、筆者だけでではないと思います。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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