旅メモ ~旅について思うがままに考える~

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さらば札沼線末端区間【7】 《鉄路探訪》かつての「赤字83線」から、都市圏輸送を担う電化路線へと進化する鉄道・札沼線

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百合が原-あいの里教育大

 百合が原駅から再び直線となって、列車は北へと向かっていく。線路の両側には一戸建ての住宅が整然と建ち並んでいるが、右側には住宅の奥に雪が積もって一面真っ白な土地が広がっている。冬季は当然、農作業はできないか雪が積もるに任せるしかないが、ここが農地だということは冬季でもしっかり分かる。

 篠路駅札沼線の中でも数少ない有人駅だ。といっても先ほどの新琴似駅と同じく業務委託駅だ。みどりの窓口があるなど、JR直営の駅と大して変わらない。駅に勤める社員の制服を見ても、その差はあまりないから、一般の乗客からすればあまり分からない。駅は相対式2面2線で、隣接する他の駅と同じ構造だが、駅の歴史そのものは古く、1934年に桑園から石狩当別まで札沼南線として開通と同時である。そして、かつてはこの駅の周辺でとれる農作物を貨物列車で発送していたようだが、現在ではその面影もない。

 篠路駅を出るとすぐに緩やかな右カーブを通過して、伏龍川を渡河する。左手には農地が広がっているのが見えるが、すぐに住宅地が広がり、間もなく拓北駅に到着する。とにかく、この駅間の短さは大都市近郊の通勤路線並みだが、JR北海道もこの札沼線は札幌都市近郊区間として認識しているようで、駅にもナンバリングしている。

 拓北駅から線路は東に向かって直線に伸び、キハ201系気動車もその加速性能に任せすぐに60km/hの速度に達する。電車並みの走行性能をもつキハ201系気動車にとっては、その力が十分に発揮できない使われ方で、駅間距離の短い札沼線ならば、その高い加減速性能を発揮できるのではないかと思うのだが、実際にはそうではない。その答えは、次のあいの里教育大駅で乗り継いだ列車で解る。

 

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あいの里教育大駅に到着した列車から降りる乗客たち。多くの若い学生らしい人たちで混雑する様子は、駅名とも合っている気がする気がする。実際、駅の近くには北海道教育大学札幌校があり、駅の周辺や札沼線沿線には多くの学生が住んでいるという。

 

 拓北駅からあいの里教育大駅までの間も、一戸建てないし低層の集合住宅が整然と建ち並んでいる。北海道の住宅地は、というより北海道の都市は、碁盤の目状に道路が走り、しっかりと組まれた都市計画の上で開発されているようだ。当然、建物も直線状に建ち並ぶので、整然としている印象が強くなる。道路に交差点と直線しかなく、カーブがあるところは川沿いとか鉄道沿い以外には見あたらない。鉄道はそうした街の景観のなかで唯一の「例外」のようだ。

 あいの里教育大駅もまた、相対式2面2線の地上駅だ。しかし、札沼線の複線区間はここまでで、ここから先はすべて単線になる。そのため、あいの里教育大駅止まりの列車も設定され、なおかつ石狩当別方へ行く列車もあるので、この駅で上下列車の交換もある関係から、駅の札幌方には渡り線が設置されている。

 列車が駅に到着すると、ここまで乗ってきた乗客のほとんどがホームに降りていき、車内には1両に数人が残っている程度だった。筆者もここで降りたが、溶けた雪がシャーベット状になってホームを濡らし、それが靴にまとわりつくとたちまち足先を冷やしてくれた。やはり、北海道の冬は厳しいようで、11月下旬でこうなのだから、これが1月や2月となった時にはどうなるのだろうかと考えさせられた。

 あいの里公園行きの普通列車が発車していくと、あいの里公園駅は一気に静かになった。列車から降りた乗客は、やはり他の駅と同様にすぐに改札へと向かい、駅をあとにしていくようだ。この寒い中で列車を見送り、駅の構内の様子を観察しているなど筆者ぐらいなもので、さすがにあいの里教育大駅の駅員も訝しげな表情で筆者を見ているようだった。

 駅のホームを観察しながら写真を撮影していて、一つ違和感があることに気がついた。それというのも、ホームの番号の付け方だ。確か、筆者の記憶が間違いなければ、線路やホームの番号の付け方は、駅本屋のある方から順番につけるのが原則である。ところが、このあいの里教育大駅は駅本屋に面したホームは2番線で、その反対側が1番線と案内されていた。理由は定かではないが、こうした変則的なのはあまりみかけない。

 

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▲雪の中のあいの里教育大駅札沼線では数少ない有人駅の一つだが、駅の出札窓口にいる係員は、JR北海道の社員ではなく系列の北海道ジェイ・アールサービスネットの社員が担当する「業務委託駅」だ。自動改札の上には列車の案内表示があり、改札前の待合室は暖房がきいていて快適に列車の到着を待つことができる。


 実は、筆者がこの駅の降り立つのは2回目で、いまから4年ほど前にも来たことがある。この時には、駅舎その物は今回の建物と同じだったが、駅舎の中はそれほどきれいだったという印象はない。今回、改札を通って駅舎の中に入って驚いたのは、待合室としてきれいに整備されていたということだった。改札は自動化され、出札窓口もカウンター形式の開放的なすたいるになり、改札機の上には列車の発車時刻と行き先を知らせる液晶パネルが取り付けられているなど、4年の間にサービス向上の取り組みがなされ、大きく変化しているのには驚いた。もちろん、こうした取り組みは大切で、ただでさえ鉄道よりも自動車が重宝する北海道では、接客サービス向上の取り組みが利用客を引き留めることになるのだろう。こうした取り組みが報われ、利用者の増加になればなお嬉しいことで、筆者としてもそれを願わずにはいられない。

 ところで、駅名の由来について触れておこうと思う。あいの里教育大の「あいの里」とは、札幌市郊外のニュータウンにつけられた街の愛称だが、筆者は「愛の里」と思い込んでいた。ところが、かつてこの地に住んだことのある人に話を聞くと、「何を言っている、そんなんじゃないよ。昔、このあたりでは藍がよく採れたんだよ。そこから『藍の里』、転じて「あいの里」となったんだよ」と説明されながらも笑われた。思い込みというのは実に恐ろしくもあり、時には笑い話なるものなんだと思った。

 もう一つの教育大とは、言わずもがな北海道教育大学札幌校の最寄り駅であることから付けられた。もっとも、あいの里教育大駅そのものは1986年の開業と、札沼線の歴史からすればつい最近のことで、開業当初からこの名称であった。その北海道教育大札幌校は、もともとはこの地にあったのではなく、1987年に札幌市の中心街から移転してきたので、駅の開業と駅名の設定は、教育大が移転してくることが織り込み済みだったことが伺える。そのキャンパスは駅前からまっすぐ伸びた大通りを歩いて行った先にあり、大学の裏には茨戸川と呼ばれる石狩川三日月湖がある。

 

f:id:norichika583:20200505234315j:plainあいの里教育大駅に進入するキハ201系気動車。この当時、札沼線は札幌駅からあいの里教育大駅あいの里中央公園駅、石狩当別駅、北海道医療大学駅と折り返し運用が4形態あった。それぞれの駅は隣同士という珍しい運転形態である。

 

 そして、このあいの里教育大駅は、札幌ニュータウン即ちあいの里の中心駅であり、駅前にはスーパーなども建っていて、街の中心的な役割を担っていることが窺える。駅前にはバス停もあり、ここから北海道中央バスの路線バスが、近隣各地と駅を結んでいる。

 

※この記事は、過去に筆者が運営していたwebサイト「鉄路探訪」に掲載した記事を、加除訂正の上こちらで再掲載しています。内容は2011年11月22日~23日に取材した当時のものです。

 

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