旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

旅人もマイカーも乗せて 夢のような夜行列車だったカートレイン【6】

広告

《前回からのつづき》

 

blog.railroad-traveler.info

 

 汐留駅東小倉駅間で運行が始められたカートレイン(後にカートレイン九州)の好評に気を良くした国鉄は、言葉通り「二匹目のドジョウ」を追いかけることにしました。少しでも乗客を呼び込み、収入を上げようと形振り構わずといったところでしょうか、翌年には分割民営化が決定していても、サービス改善などに躍起になっていたといえるでしょう。

 1986年から運行が始められたのは、名古屋駅より東京方にある熱田駅から、汐留発の列車と同じ東小倉駅までの間を結んだ「カートレイン名古屋」でした。

 熱田駅が発駅に選ばれたのは、汐留駅とほぼ同じ理由によるもので、名古屋の中心部に近いことやかつては貨物輸送の拠点の一つで、これらを扱うための施設があったことでした。唯一の違いは、汐留駅が貨物駅であったのに対し、熱田駅は旅客も扱う一般駅だったことです。

 カートレイン名古屋は、下りは熱田駅を19時40分に発車し、終着となる東小倉駅には翌日9時00分に到着するダイヤが組まれていました。所要時間は9時間20分と、汐留駅発のカートレイン九州よりも短くなりました。また、熱田駅の発車は19時以降とされたので、比較的余裕をもって列車に乗ることができ、東小倉着も9時と早いので、滞在時間も長く取ることができたのです。

 そのカートレイン名古屋に充てる事になった車両は、カートレイン九州とは異なりました。乗客が持ち込む自動車を載せる車両は、高速貨車の一員で大型有蓋車のワキ10000形ではなく、製造から10年にも満たずに荷物輸送の廃止によって余剰車と化した、悲運の荷物車であるマニ44形が選ばれました。

 

カートレインの第2弾として運行が始められたカートレイン名古屋は、先に登場していたカートレイン九州とは車両面で大きく異なった。自動車を乗せるための車両は、大型有蓋車であるワキ10000形ではなく、やはり余剰となっていたマニ44形を活用した。パレット輸送用に登場した荷物車であるマニ44形には、自動車を載せるための必要な改造を施すとともに、併結相手となるユーロライナーにあわせた塗装に変えられた。また、最後尾には行灯式のテールサインも掲げられることがあるなど、その力の入れようは元祖を大きく上回っていた。(©Toyotacoronaexsaloon, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)

 

 マニ44形は形式が示す通り荷物車ですが、その構造は大型有蓋車と同等でした。側面は有蓋車と同様の側面総開き戸で、パレット荷役に対応した構造でした。荷物室の前後には車掌が乗務するための乗務員室が備えられているあたりは客車ですが、外観はほとんど貨車と変わらぬものでした。

 マニ44形が選ばれた理由は定かではありません。余剰車という点ではワキ10000形と同じでしたが、走行性能はマニ44形は95km/hと若干劣るものの、走行距離がカートレイン九州と比べて短く、5km/h程度の差であれば所要時間もそれほど長くならないと考えられたからでしょう。また、カートレイン名古屋に充てられた機関車は、これを記録した写真を見る限り、EF65形の中でも主に0番台、特に「ユーロライナー指定機」がその先頭に立っていたことから、元空気溜め管引き通しを必要とするワキ10000形は適さなかったと推測できます。

 カートレイン名古屋に抜擢されたマニ44形は、自動車を載せる運用に適した改造を受けました。また、乗客が乗ることになる客車として、名古屋鉄道管理局が保有していたジョイフルトレインであるユーロライナーが使われることになったことから、塗装もこれに合わせた塗色に塗り替えられ、最後尾には行灯式のテールマークも設置されました。

 乗客が乗る車両は、前述の通り名鉄局が保有したユーロライナーの車両を充てました。ユーロライナーは12系客車を改造した欧風客車で、車内は4人または6人用の個室を備えていました。個室内にはソファとなる座席がありましたが、比較的大きめの座席であったことや、上段になる収納式の簡易寝台も備えていたため、乗客が横になって休むこともできたようです。

 ただし、カートレイン名古屋に連結されたユーロライナーの客車は、すべて中間車となるオロ12形700番台でした。12系はサービス用電源は分散式が採用されていて、電源を供給する発電セットは編成の両端に連結されるスロフ12形700番台に装備されていました。中間車だけで編成を組むと、この電源を供給する車両がなく、このままでは冷房も効かず真っ暗闇のまま走ることになります。スロフ12形700番台は展望室を設置するといった大改造を施されていた特殊な仕様だったため、カートレイン名古屋に連結するのは適当ではないと考えられたのでしょう。

 

カートレイン名古屋に充てることになった客車は、カートレイン九州のような余剰車からの転用ではなく、当時、名古屋鉄道管理局に配置されていた欧風客車の12系700番台「ユーロライナー」を充てた。洋室コンパートメントの客室を備え、各部屋には簡易寝台にもなる座席などをもったこの車両は、ある意味で豪華な列車だったともいえる。しかし、欧風客車の「目玉」ともいえる編成両端に連結されていた展望車は外され、代わりに14系座席車を改造した「ユートピア」のうち、サービス用電源を搭載したスハフ14形を加えていた。(©spaceaero2, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

 

 そこで、電源車としてユーロライナーに合わせながらも、個室ではなく普通座席車として座席などの交換をした、「ユートピア」用のスハフ14形700番台が連結されたのでした。

 1986年から運行が始められたカートレイン名古屋でしたが、翌1987年に分割民営化されると、JR東海にすべて継承され、引き続き運転時期を指定した臨時急行列車として運行が続けられます。

 しかしながら、カートレイン九州と同じくマニ44形に載せることができる自動車に制約があったことや、運賃などの収益の分配などの面や整備など人員と手間、そしてコストがかかるなどJR九州にとっては旨味がなく、1994年の運行をもって終了となり、わずか8年という短さで幕を下ろしたのでした。

 

《次回へつづく》※次回は10月23日(木)に投稿予定です。

 

あわせてお読みいただきたい

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info