旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 旅客のEF510が首都圏にいた頃

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 齢を取るのは早いもので、ついこの間まで「まだまだ若いから~」なんて言っていたのが、気づいたらもうこんな齢に!?なっていました。仕事柄仕方のないことなのですが、毎年同じ年齢の人たちを相手に1年間過ごし、年度が明けるとまた似たような年齢の人たちと1年間を一緒に過ごす。これの繰り返しなので、自分が齢を重ねているなんて自覚もないのです。

 しかし、こうした写真を眺めると、やはり「ああ、あの頃のなんだ」なんて、過ぎ去った過去のことを思い出すのです。そして、現実には「歳を重ねたもんだ」なんていう現実を突きつけられて苦笑いしています。

 旅客会社にとって、機関車は必要最小限だけ保有していればいいものです。ともすると、「機関車なんか要らないよ」と全廃にしてしまった会社もあります。寝台特急など客車列車が健在だった頃は必要な車両でしたが、それもすべて廃止になった今日では、新車の配給輸送と砕石ホキ車やレールを積んだチキ車ぐらいしかなく、それこそ最小限で済むというものです。

 技術の進歩によって、レールを積むチキ車は気動車に置き換えている会社もあります。クルーズトレインと呼ばれる観光列車もまた、旧来の客車ではなく気動車であったりハイブリッド車であったりと、最新技術をつぎ込んでいます。

 検修などの面だけではなく、乗務員の人的な面でも機関車は特殊な存在です。同じ電気車であっても、その運転方法は電車とは大きく異なります。それは内燃動車でも同じで、ディーゼル機関車気動車でも異なります。

 そうしたこともあって、旅客会社における機関車は徐々に数を減らしているといえるでしょう。

 ところが、民営化後20年近くが経った頃、例外といっても差し支えないことがありました。JR東日本が、電気機関車を新製したのです。

 これは、国鉄から継承したEF81の老朽化が進み、置換えが必要になったからでした。この当時は寝台特急北斗星」や「カシオペア」などもまだまだ健在で、自社の列車にも使う必要がありました。加えて、JR貨物から一部の貨物列車の運転を委託されていたので、旅客会社の機関車+貨物会社の貨車という運用もあったのでした。

 どちらもそれまでは交直流電機であるEF81が担っていたので、後継となる機関車も同様に交直流電機としなければなりません。

 しかし、そうした限定した運用のために、わざわざ新型機を開発していたのではコストもかかります。何より、必要な数は限られているので、開発コストをかければ当然のことですが、車両1両あたりの単価も高くなってしまいます。そんなことは、経営的にも避けなければなりません。

 そこで、JR東日本は、既にJR貨物が開発して量産され、運用面でも実績を上げつつあったEF510に目をつけました。これを自社の仕様に少しだけ変えれば、開発コストもかからず、比較的安価に新型機を手に入れることができます。

 こうしてつくられたのがEF510 500番代でした。

 

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 EF510 500番代は、JR貨物の0番代をベースにしています。といっても、9割以上は0番代と変わりません。電装品や走行機器、車体の構体やデザインも変えませんでした。変えたところといえば、東北本線で運用するときに交直セクションのある黒磯駅を通過する際に使う「列車自動選別器」やATSといった保安装置ぐらいです(旅客はこの当時ATS-PとATS-Psを使用しATS-Snは装備しなかった。一方の貨物はATS-SFが必要だった)。

 車体は交直流電気では一般的な赤系統ではなく、何と青色に金色の帯を巻いていました。そして、側面には流れる星をデザインしたものまでつけられていました。

 500番代は寝台特急北斗星」の24計25形客車をモチーフにした意匠になったのです。これだけではなく「カシオペア」のE26系客車のシルバーをモチーフにした車両もいくつかありました。

 いずれにせよ、自社の看板列車の一つである寝台特急と一体感をもたせるデザインとしたのは、さすがは旅客会社らしいといえます。

 500番代は全車が田端運転所に配置になりました。首都圏で運用される電機のほとんどは、田端運転所をベースにしていたので、このこと自体はごくありふれたものです。しかし、その製造はかなり急ピッチで、16両をたった1年の間につくったのでした。

 電機の本家ともいえるJR貨物ですら、電機の新製は年に数両ほどで、ともすると1両とか0という年もあるほどです。運用する線区の実態に合わせて複数の形式を製作しなければならないので仕方がありませんが、それにしても1年間で16両は驚異的です。

 EF510川崎重工三菱電機のジョイントで製作されていますが、この1年間のEF510の生産ラインをすべてJR東日本に振り向けたことになります。そして、それを裏付けるように2009年~2010年にJR貨物EF510を1両も製作していません。

 しかも1両あたりの単価もそれなりに高価であることは容易に想像が付きますので、いかにJR東日本の財力がすごいかを窺い知れるというものです。

 そして、前述のように首都圏の一部の貨物列車は、JR東日本JR貨物から委託を受けて運転していました。機関車と機関士はJR東日本で、貨車はJR貨物だったのです。このあたりの事情は別稿に譲りますが、こうした変わった運用もあったので、新鶴見には旅客の機関車が出入りし、乗務してきた機関士も到着の点呼を貨物の当直で受けることがありました。

 この変わった運用も、製造から僅か3~4年しか経っていない2013年のダイヤ改正で消えてしまいました。貨物列車の受委託が廃止になり、貨物列車はすべてJR貨物の機関車と乗務員によって運転されるようになりました。そのため、500番代は早くも用途を失い、余剰機と化してしまいます。

 その後、JR東日本から除籍された500番代は、次々と配給輸送されていきました。まあ、そのまま余剰だからといって廃車解体するには、あまりにも車齢が若すぎます。そんな無駄なことをしてしまっては、株主が黙ってはいません。さすがに、中古車として売却するのが妥当だったのでしょう。

 JR東日本で早くも御役御免を言い渡された16両の500番代は、富山へと送られていきました。富山といえば、いまやEF510の牙城です。ある意味、当然の成り行きだったのでしょう。

 ところで、写真に写るEF510は503号機は、2009年に新製され田端運転所に配置されました。4年近くを寝台特急常磐貨物を牽いたあと、僚機とともにJR東日本を除籍されJR貨物に売却。売却後は富山機関区に配置となり、0番代とともに日本海縦貫線の貨物列車を牽いています。

 写真を撮影したのは2011年の夏頃で、乗務員扉と機器室の間には、赤い丸(日の丸)に東北地方をモチーフにした「がんばろう東北」のステッカーが貼付されていました。未曾有の大惨事となった東日本大震災からまだ日が経っていない頃で、僚機たちも同様にこのステッカーを貼る姿が見られました。

 

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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#JR東日本 #JR貨物 #交直流電気機関車 #EF510