《前回からのつづき》
ラック式区間では、EC40形などと同じ第三軌条方式による電流供給のため、片側2か所ずつの集電靴が設置されていました。この第三軌条方式による電化は、国鉄ではこの碓氷峠区間だけだったので、いわば横軽用の特殊装備の一つだったといえます。そして、ED42形は国鉄最後の第三軌条方式に対応した車両でした。
主電動機は1時間定格出力170 kWのMT27形が、粘着運転用に2基、ラック運転用に1基の合計3基が装備されました。動輪軸が4軸となるD級機では、通常の電機であれば主電動機は4基搭載されるのが一般的です。しかし、ED42形には3基の主電動機しか搭載されていませんでした。これは、台車に架装された主電動機には、動輪軸を動かすためのロッドが装着され、このロッドは動輪に接続されて動力を伝えていたためでした。
このMT27形はED42形を開発する際に新たに設計されたもので、弱め界磁のない独特のものでした。通常、高速運転をする電気車の主電動機には弱め界磁をつかう使うのが一般的といえますがですが、やはりED42形はラック式区間を含めて最高運転速度は低いため、回路が複雑になる弱め界磁制御を使わず、製造コストを抑えることをねらったと考えられます。
「第三の主電動機」は台車と台車の間、車両の中央部に設置されていた。そして、この「第三の主電動機」こそ、アプト式区間でラックに噛ませるピニオン(歯車)を動かすためのものであった。ピニオンは粘着式台車と同じく1基の主電動機で2軸を動かすもので、粘着式に移行するまで碓氷峠を越えるために欠かすことのできないものであった。台車の同輪軸の手前にピニオンが見え、その右上にはこれを動かすための主電動機が見て取れる。(ED42 1のピニオン部 碓氷峠鉄道文化むら 2025年5月4日 筆者撮影)
ED42形の主回路は、電磁空気式の単位スイッチが採用されました。ED41形では電動カム軸接触器と電磁空気カム軸接触の2つを搭載していましたが、これらは動作不良などの故障をしばしば起こしていました。当時の技術では、カム軸接触器の構造が複雑で保守が難しかったためか、より簡単な構造で日本の鉄道において実績があり、コストも低く鉄道省の標準でもあった単位スイッチが採用されたのでした。
台車はED41形と同様に、粘着式台車は2軸ボギー式で、台車の中央部に主電動機を架装し、この回転軸からロッドで動輪軸に接続して動力を伝える方法を採用しました。ラック式台車は2つの粘着式台車の間に設置されていました。
ブレーキ装置もほぼED41形のものを踏襲したため、列車全体に作用する列車ブレーキには自動空気ブレーキを装備しました。また、機関車単体に作用するものには、ラック式用の主電動機に電機磁軸を締め付けて制動力を得る、空気式バンドブレーキを装備するとともに、ラック軸にも緊締するための手動ドラムブレーキを装備し、勾配での緊急停止などで転動しないための保安ブレーキが装備されていました。
このように、原則として鉄道省標準とされた国産品の機器などを装備しながら、その構造はED41形をほぼ同じにしたED42形でしたが、後年になり電力回生ブレーキを追設する改造を受けました。
電力回生ブレーキは、現代では多くの鉄道車両に装備されている主電動機を発電機とし、そこで発電した電力を集電装置を通して架線に戻すことで、その負荷に対する主電動機の回転抵抗をブレーキとして使うものです。これに対して、発電ブレーキは主電動機を発電機として使うところまでは同じですが、回路上の負荷は主抵抗器を使い、ここで電気エネルギーを熱エネルギーに変換し、その抵抗負荷を主電動機の回転抵抗として制動力を得るものでした。回生ブレーキは発電した電力を架線に戻すので、省電力性に優れ、電力コストを抑えることができますが、同一線路上に他の電力を使う列車が存在していることや、地上の変電設備がこれに対応している必要があるなど、ブレーキとして安定した動作をするためには条件があります。
アプト式電気機関車は、写真のED42形をはじめすべてがロッドで動力を伝える方式を採用していた。そのため、主電動機は1台車に1基を装備するものになり、写真のように主電動機が露出していた。また、ロッド式の伝達方式であったことから、同輪軸の車輪直径は一般的な電気機関車と比べて小さく、主電動機の数からも高速で走行することはできなかった。これは、アプト式区間のみを走行することが前提で、高速で走行することを考慮しなかったことと、速度性能よりも急勾配を登ることができるトルク力を重視したためと考えられる。(ED42 1の台車部分 碓氷峠鉄道文化むら 2025年5月4日 筆者撮影)
これに対して発電ブレーキは車両に搭載した主抵抗器の抵抗値でブレーキ性能が決まり、他の列車に左右されることなく安定した制動力を得ることができます。しかし、せっかく発電した電力を、主抵抗器で電気エネルギーから熱エネルギーに変換してこれを「捨てる」ため、無駄が生じ電力コストは高くつきます。また、碓氷峠区間のように勾配が厳しく発電ブレーキを連続して使うような線区では、主抵抗器が赤熱して焼損する危険があります。この主抵抗器が焼損してしまうと、発電ブレーキは使えなくなるため、踏面ブレーキのみになってしまい、最悪の場合、この踏面ブレーキも破損してノーブレーキ状態に陥る危険があり、実際に主抵抗器の過熱や焼損事故もしばしばあったといいます。
こうしたことから、国鉄はED42形に電力回生ブレーキを装備して、電力消費量を抑えながら、安定した制動力を得ようと考えたのでした。もっとも、電力回生ブレーキを装備する構想は1931年からあり、1933年にはED40形に装備して試験が行われて、1933年にはED42形でも試験を実施して好成績を得たものの、当時の電力料金が安価であったことからその必要性が弱かったことや、変電区の設備を改修しなければならなかったこと、さらには1942年には太平洋戦争が勃発したため、そのような余裕がなくなってしまったことから実現はしませんでした。
しかし、戦後になると状況が一変しました。電力料金が大幅に値上げになり、戦前のように発電ブレーキを使って電力を湯水のように使えなくなったことや、電力区の設備の改修が進んだことから、1950年にED42形に対して本格的な電力回生ブレーキを装備する改造が始められました。そして、1953年までにED42形全機に対して改造工事が終わり、本格的に上り列車が降坂する際には電力回生ブレーキを使用することになり、電力使用量を大幅に縮減することを実現したのでした。
《次回へつづく》
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