旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

JR西日本

この1枚から 三つの時代を走り続ける旧型客車・国鉄オハフ33

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 近年、静態保存されていた蒸気機関車を再整備して、動態保存という形で復活する例が多くなりました。つい最近では、京都・梅小路にある京都鉄道博物館に収蔵されていたD51・200号機が復元整備さ…

この1枚から 「復活」という幸運を手にしたカマたちⅠ・EF65 2のお話

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 7都府県に緊急事態宣言が出されて2週間が経ちました。ターミナル駅などでは人出も減ったようですが、逆に商店街やスーパーなどは宣言前に比べて増えているようです。 筆者の地元であり生まれ…

走り抜ける「昭和の鉄道」 京の都から浪速へ川沿いを走る老兵・京阪2200系電車

子ども頃、鉄道を題材にした絵本に描かれていた電車の中で、なぜか印象深く記憶に残っているのが近鉄特急と京阪電車。全車は特急用の車両で、しかも「ビスタカー」という愛称とともに、2階建車両を挟んだ独特の流線型をしていたので、幼い少年の記憶に焼き付…

消えゆく「国鉄形」 痛勤ラッシュを支え続けて【31】

21世紀近くになって得た新たな仕事場【2】 一方、JR西日本にとって、1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災は大きな転機の一つになったといえるでしょう。この震災で山陽本線は不通になり、寝台特急列車や貨物列車といった長距離列車の運転にも大きな影響…

消えゆく「国鉄形」 痛勤ラッシュを支え続けて【30】

21世紀近くになって得た新たな仕事場【1】 いよいよ、103系電車のお話も終わりが近づいてきました。 大都市圏の通勤輸送に対応し、経済性を優先させた性能で設計された103系電車は、当初のの予定通り多くの通勤路線で活躍しました。その基本設計は21世紀に…

消えゆく「国鉄形」 痛勤ラッシュを支え続けて【29】

「うぐいす色」は山手線だけではない 古都を結んだ103系電車【2】 関西圏のうぐいす色の103系電車は、関西線のほかに奈良線でも走りました。いえ、過去形ではなくこの記事を書いている2018年11月現在も、残り僅かとはいえ後進の205系電車とともに古都を結ぶ…

消えゆく「国鉄形」 痛勤ラッシュを支え続けて【27】

浪速の中心を回り続けたオレンジバーミリオン【2】 101系電車よりも後につくられたとはいえ、103系電車とて1960年代の設計なので老朽化はもちろん、接客設備の陳腐化も否めませんでした。対抗する私鉄は続々と新車をつくっては走らせるので、性能も接客設備…

消えゆく「国鉄形」 痛勤ラッシュを支え続けて【26】

浪速の中心を回り続けたオレンジバーミリオン【1】 関西圏の103系電車はスカイブルーを身に纏ったものばかりではありませんでした。 大阪市の中心部を環状に走る大阪環状線はその成り立ちが非常に複雑で、首都圏の山手線のように国が敷いた鉄道ではありませ…

消えゆく「国鉄形」 痛勤ラッシュを支え続けて【25】

西のスカイブルー・京阪神緩行線【後編】 こうした経緯で、京阪神緩行線に103系電車が送り込まれてきたのです。 もともと103系電車は山手線のように、駅と駅の間の距離が短く、頻繁に発車-加速-減速-停車を繰り返す路線向きの性能を備えた車両でした。 京…

走り抜ける「昭和の鉄道」 ライバルとの熾烈な競争へ挑み続けて・阪神5001形

関東近辺で生まれ育ったせいか、関西の私鉄にはあまり縁がないのですが、それでも時折乗る機会に恵まれることがあります。 関西の私鉄は国鉄や他社と同じような区間を走る路線を抱えるため、常に乗客を奪い合う熾烈な競争に晒されてきた歴史がありました。 …

消えゆく「国鉄形」 痛勤ラッシュを支え続けて【24】

西のスカイブルー・京阪神緩行線【前編】 前回までは blog.railroad-traveler.info 阪和線に次いで関西圏に103系電車が送り込まれたのは、京都~大阪~神戸~西明石を走る普通列車・京阪神緩行線でした。あまり聞き慣れない路線名かもしれません。 一般には…

10月第1週のふりかえり

いつも拙筆のブログをお読みいただきありがとうございます。 ブログを始めてから1年と少しが経ちましたが、皆さまにお読みいただいたいるおかげで続けることができています。 さて、今月から週ごとと月ごとにどのような記事をたくさん読んでいただいてたのか…

消えゆく「国鉄形」 痛勤ラッシュを支え続けて【23】

大阪湾に沿って紀州路へとつないだスカイブルーの103系【後編】 阪和線の103系電車は、1987年の国鉄の分割民営化までは大きな変化もなく、大阪と和歌山の間を行き来する仕事を続けました。 ところが、JR西日本に替わった翌年の1988年には、205系電車がやって…

豪雨災害で物流の寸断が続く山陽本線、貨物列車の迂回運転実施へ

平成30年7月豪雨から早くも1か月が経ちました。 この災害でお亡くなりになられた方に、改めてご冥福をお祈りいたします。また、被災された皆様には心からお見舞いを申し上げるとともに、1日も早い復興をお祈りいたします。 さて、この豪雨で日本の大動脈でも…

豪雨災害で運転見合わせの貨物列車、山陰本線で迂回運転を計画 ~その課題と解決策を考える~

はじめに 運転再開の見込みは? どのような影響があるのか JR貨物が迂回運転を計画 しかし・・・ (1)迂回運転を計画している路線の問題 (2)車両の問題 (3)乗務員の問題 早期の運転を目指して 終わりに はじめに 2018年6が28日から7月8日頃にかけて起き…

消えゆく「国鉄形」 数奇な運命を辿った急行形【7】最終章

しかし、さすがに若い頃は高速で長距離を走ってきた無理もたたり、後年は短距離が中心になったとはいっても老朽化が進行してきたことや、北陸新幹線の金沢開業によって金沢-直江津間が第三セクターへ移行したこともあり、ついに2015年に413系電車と組んでい…

「のぞみ34号」重大インシデントについて元鉄道マンの考察と提言(17)最終章

終わりに…「安全神話」などは存在しない ここまで長々と「のぞみ34号」台車折損事故について、筆者の経験などをもとに考察し、提言を書いてきました。 最後に新幹線の安全輸送を語る上で述べておきたいことは、「安全神話」などは存在しないということです。…

「のぞみ34号」重大インシデントについて元鉄道マンの考察と提言(14)

(3)根幹を支える職員を自社の責任で育成する このように安全輸送を守るためには、現場に携わる職員の存在が必要不可欠であり、こうした職員には実践で培った経験と技術が重要であることは、これまでにも何度も述べてきました。 しかし、近年、多くの鉄道…

消えゆく「国鉄形」 別れ別れになった兄弟たち【4】

そんな高速で重量のある貨物列車を牽くことを至上命題に誕生したEF66形に大きな転機が訪れます。 貨物列車としての花形の仕事が次々に失われていた1985年、あろうことか東京-九州間の寝台特急の先頭に立つという仕事が舞い込んできました。これには私も驚き…

シリーズ駅弁の旅 新大阪駅「関西味めぐり」

最近、出かける度にお土産とばかりにご当地駅弁を買ってくる習慣がついてしまいました。一家揃って遠出をすることがなかなか難しいので、せめて「食べる」ことでその土地を味わってもらえればなんてことも考えたりするものです。 今回ご紹介するのは、先日所…

「のぞみ34号」重大インシデントについて元鉄道マンの考察と提言(8)

最後に、今回のように一歩間違えれば台車枠折損による脱線事故、最悪は脱線転覆事故を起こす可能性があった重大インシデントを二度と起こさないための対策について提言したいと思います。 現在、重大インシデントについては国の運輸安全委員会が事故調査中で…

消えゆく「国鉄形」 目立つことなく縁の下を支えた「山男」たち【後編】

分割民営化で79両中68両が貨物会社へ、残りは旅客会社へ引き継がれました。 やはり、貨物列車がその仕事の中心で、国鉄時代と変わらずコンテナ貨物列車や、首都圏から信州への石油輸送列車を牽き続けます。こうした仕事は、後継のEH200形電機機関車が登場す…

「のぞみ34号」重大インシデントについて元鉄道マンの考察と提言(3)

●輸送指令の状況判断とコミュニケーション能力 さて、「のぞみ34号」の重大インシデントに話を戻しますと、餘部橋梁列車転落事故の輸送指令の不適切な判断と、今回の「のぞみ34号」の重大インシデントには類似点があると考えられます。 【餘部橋梁事故】風速…

「のぞみ34号」重大インシデントについて元鉄道マンの考察と提言(1)

2017年12月11日、走行中の博多発東京行きの新幹線「のぞみ34号」のN700系電車16両編成のうち、13号車東京方の台車枠が折損する事故が発生したことは既に多くの方がご存知だと思います。 博多発車後、山陽新幹線を走行中に床下から異音がし、さらに異臭や霧の…

信越線・大雪で車内に430人閉じ込めたまま15時間立ち往生 その背景について考える 

身を切るような寒さが続きます。2018年が明けて、日本列島は猛烈な寒波が襲来。関東から東海の太平洋側を除いて、軒並み大雪に見舞われているようで、テレビのニュースや情報番組でも大雪と寒波の話題が取り上げられています。 そんな中、新潟の信越本線では…

夜行列車の考察 ~商品価値を重視した対北海道列車~ その2

「北斗星」よりさらに充実した商品価値を求めた「トワイライトエクスプレス」 その「北斗星」の成功からおよそ1年後。JR西日本は大阪-札幌間に新たな夜行列車の運行を始めた。「トワイライトエクスプレス」がそれである。いわゆる日本海縦貫線を走破し、青…

夜行列車の考察 ~商品価値を重視した対北海道列車~ その1

青函トンネル開通が夜行列車の大きな転機に 「商品としての価値」を失った対九州方面の夜行列車。 1970年代に設計・製造された老朽化が進行し、サービス水準も陳腐化していく車両で、高い運賃とあまりにも長い所要時間で、他の交通機関から利用者を奪われつ…

夜行列車の考察 ~なぜ、JRは積極策に出なかったのか~

一般に、利用者離れが始まると、利用者を取り戻そうと様々な「改善」を行うのがサービス業をだけではなく、鉄道会社などの運輸業でもすることだろう。会社は利潤を生み出すことで成り立っているから、収益が減ればそれに対して増収につながる方策をとるのが…

夜行列車の考察 ~夜行高速バスの旅を体験~

百聞は一見にしかず、百見は一労作にしかず 私が通っていた(正確には通信課程なので、受講していた)大学の正面入口に、こんんな言葉を掘った石碑がある。百聞するより一目見た方が分かる。百回見るよりも一度経験する方がもっと理解できる。 そういうこと…