旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

峠に挑んだ電機たち 第3章 今も残る補機運用 川の水を分かつ安芸国の隘路・瀬野八【7】

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《前回からのつづき》

 

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 EF61形200番台が配置され、EF59形と同様に補機運用に就きます。旅客列車や比較的軽量の貨物列車では単機での運用では特に問題はなく、順調に事が運んでいるように見えました。しかし、EF61形200番台を重連で連結する必要がある重量の貨物列車での運用時に、瀬野八の勾配を登り続けているときに、何らかの事情で本務機の機関士が急制動をかけたとき、登坂中であったため補機であるEF61形200番台に乗務した機関士は、マスコンを力行操作していました。つまり、本務機はノッチオフして急制動をかけて減速しようとしましたが、そのことを乗務員無線を通して補機の機関士に伝え、補機の機関士がノッチオフするまでの時間、すなわちタイムラグが生じた間は補機は加速しようとしていたのです。

 もちろん、本務機から急制動をかけたことが伝わると、補機もすぐにノッチオフをして加速を止めますが、それでも僅かな時間だけ加速したままの上田になってしまいます。また、ノッチオフをして加速を止めたとしても、EF61形200番台の走行特性と押し上げる力がEF59形と比べて強力であることから、貨車を押し込む力が強いままの状態になり、本務機と補機に挟まれた貨車に大きな圧力がかかって座屈脱線を起こす危険性が指摘されたのでした。

 こうしたEF61形200番台の出力頼みとなった性能が仇になり、老朽化が進むEF59形の後継機として期待されたEF61形200番台の重連運用は中止となり、補機として運用できる列車は1,000トン以下に限定された上、単機でのみの運用になったのでした。

 その結果、戦前製省形電機を改造したEF59形の置き換えは先延ばしになり、車齢50年近くになる老兵を使い続けなければならなくなり、国鉄の計画は頓挫しました。また、当初は14両のEF60形を改造製作する計画でしたが、これも中止となってしまい、結果としてEF61形200番台は8両を改造したところで中止されてしまい、しかも改造は運用から話された順で施工されたので、車両の番号は飛び飛びになってしまったのです。

 

EF61形200番台は国鉄時代に改造によって製作された後、EF59形や後にはEF67形とともに、瀬野八を越える列車の背中を押し続けてきた。改造種車になったEF60形は、クイル式駆動の1次量産車だったが、その駆動装置が故障を頻発させて不評を買ったのに対し、吊り掛け駆動式で新製された僚機たちはそのまま貨物列車に使われた。しかし、1987年の国鉄分割民営化では、動態保存を目的とした19号機がJR東日本に継承されたのを除いて、ほぼ全車が廃車となって過去のものになった一方、EF61形200番台に改造された車両たちはJR貨物に継承されてその後も生きながらえた。欠陥機の烙印を押されたのにもかかわらず、補機という地味な役回りであったものの、民営化後も走り続けたのは不遇というよりはむしろ幸運を手にしていたともいえる。(©spaceaero2, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons)

 

 しかも悪いことに、国鉄はEF59形の後継としてEF60形を改造したEF61形200番台だけでなく、EF61形を瀬野八用の補機として改造したEF61形100番台の投入も計画していました。しかし、EF61形200番台で露見した欠陥と、運用を限定せざるを得ないことになったため、この改造計画も白紙になってしまったのでした。

 このように、EF59形の後継としては失敗に終わったものの、単機運用に充てることで補完的な役割を担い、その負担を軽減することになりました。また、過大な出力で列車に横圧がかかり座屈脱線をする危険性を指摘されたことから、連結器に大型の緩衝器を追加する改造を受けました。そのため、1エンド側は緩衝器の分だけ伸びたことで、この部分には旧形電機のようなデッキも追設されたのでした。

 もっとも、このデッキは旧形電機のように機関士が車内に出入りすることを目的としたのではなく、入換作業などで操車掛が添乗する時に使うことが主な用途でした。また、重連での補機運用は禁忌とされましたが、補機としての役割を終えて八本松駅から瀬野駅への回送列車として運行するときには、山陽本線の列車密度の関係から重連あるいは三重連、最大でも四重連となるため、機関士が車両を移動するときにも使われました。

 こうして、緩衝器をつけるなど安全対策を施されたEF61形200番台は、EF59形とともに瀬野八を通過する列車を支え続けたのでした。

 1982年にEF59形の後継として、同じEF60形を改造して製作されたEF67形が登場し、EF59形が運用を退き姿を消していった後も運用が続けられ、1984年に瀬野機関区から広島機関区へ配置が変わりましたが、実質には車両配置がなくなった瀬野区に常駐し、交番検査のみを広島区で受ける体制になりました。

 しかし、国鉄の分割民営化が必至となった1985年になると長らく瀬野八用補機の拠点であった瀬野区は廃止になり、広島機関区瀬野派出所に格下げされたものの、やはり常駐は変わることがありませんでした。さらに合理化が進められ、瀬野派出所も廃止されて広島機関区へすべての業務が統合されると、名実ともに広島区配置の車両となったのです。

 

《次回へつづく》

 

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