《前回からのつづき》
座席はドアとドアの間に7名が座れるロングシートを設置し、中央部の1人分はべ―ゼルナッツ色と呼ばれる薄茶色とし、その両側にあるそれぞれ3人分はロームブラウンという濃い茶色にして、着席できる定員を明確にしました。
車内もまた、従来の国鉄通勤形電車のイメージから脱却させたものとなった。座席のモケットは、中央部に淡色のものを1人分、その両脇に濃色のものを3人分ずつ、あわせて7人掛けであることを明確にした。座席の端の仕切りは化粧板を配して座り心地に藻配慮していた。カラースキームは座席モケットをブラウン系、車内の壁面をクリーム色とした暖色系としたことで、明るく温かみのある印象に変化した。後に座席モケットは交換されてブルー系になったが、基本的には登場時と大きく変わることはなかった。(©白糸 at the Japanese language Wikipedia, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)
天井は白、壁面はクリーム色9号とし、それまでの国鉄型車両に共通していた緑色系の内装から、座席の色と相まって暖色系にまとめられました。このカラースキームの変更も、車体デザインと同様に乗客に好感をもってもらうとともに、新しい車両であることをアピールする狙いがあったと考えられます。
203系では製造当初より冷房装置を搭載していました。これは、常磐緩行線では初めての冷房車であり、接客サービスの面でも大きく改善しました。搭載された冷房装置は、通勤形電車に搭載するものとして標準型とされたAU75系集中冷房装置で、203系はこのAU75系の中でも省エネルギー形であるAU75G形を採用しました。
AU75G形から送り出された冷却風は、天井内のダクトを通して室内に送られました。そのため、天井は平天井となり、冷房効果を高めるための補助送風機として、天井中央部にスイープファン(ラインデリア)設置していました。
203系は1984年から製造が始められ、第1次量産車として10両編成8本、合計で80両が落成し、松戸電車区に新製配置されると、さっそく常磐緩行線と千代田線乗り入れ運用に当てられました。
もっとも、この80両だけでは103系1000番台をすべて置き換えることは叶いません。国鉄は203系をさらに増備しなければなりませんが、ここで一つの問題に突き当たってしまいます。
その問題とは、製造コストが高いことです。
そもそも電機子チョッパ制御自体が高価なものであり、1両あたりの価格は201系は103系の約1.5倍ものコストがかかりました。そこへ、203系は軽量化と塗装を省略することをねらって、アルミニウム合金の車体としたため、さらに価格が跳ね上がってしまいました。
老朽化が進むとともに、電力使用量が多いがゆえに、営団に対して差額を支払わなければならない103系1000番台を置き換え、チョッパ制御者へ置き換えてほしいという要請を実現させなければなりません。その一方で、国鉄の財政事情はすでに火の車という言葉では足りないほど、巨額の債務を抱え込んでいたため、車両を新製したくても簡単に予算を組める状態ではありませんでした。
そこで、この相反する事情から、少しでも製造コスト抑えて支出を減らし、必要不可欠とされた203系を新製増備を進めるため、1985年に製造された車両は可能な限り装備や製造時の工数を減らした「軽装車」と呼ばれる100番台に移行しました。
《次回へつづく》
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