旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜番外編 ローカル線荷物輸送近代化を担うも短命で終わった荷物気動車【6】

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《前回からのつづき》

 

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■単独運用に終始したキニ58形

 1978年にキロ58形を改造して製作されたキニ58形は、落成とともに水戸機関区に3両全車が集中配置されました。

 この頃の常磐線は既に電化されていましたが、取手以南が直流電化、これ以北が交流電化と電源方式が異なることや、客車では終着駅で着回しなどの作業が必要で、運用上の小回りがきかないことなどから、気動車による郵便荷物輸送が続けられていました。

 しかし、キニ55形などが老朽化してきたことで、これを置き換えるための新型車両としてキニ58形が登場したのですが、常磐線での運用は他の列車に併結するのではなく、線用の列車を仕立てての運用でした。

 また、常磐線は電車化が進んでいたことや、輸送密度が高く列車が数多く運転されていたため、これらに支障なく運行できるものとして、原則として強力な2エンジン車が充てられていたのです。

 このような常磐線特有の環境の中、キニ58形は水戸区配置になると、先輩格であるキニ55形などともに、線用の荷物列車を組んで隅田川ー水戸ー平ー仙台間の荷物輸送を担っていました。

 

キニ58形の車内。荷物車は、床面には金属製のすのこが敷かれた状態だった。これは、車内で荷物扱いをする時に、重くて大きい物は荷扱人が専用の道具を使って「引き摺って」いたため、滑りやすくしながら荷物の梱包を可能な限り傷めないためだったと考えられる。(©Rsa, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

 

 2~3両という短い編成を組んでいたものの、2エンジン車を優先的に充てていたため、この荷物列車はディーゼルエンジンが回転する音を轟かせながら、そのパワーに任せるように電車なみの加速をしながら、常磐路を走り抜けたと想像できるでしょう。

 1978年の常磐線ダイヤを見ると、隅田川を0時頃に発車して夜が明けきらない中を走り、水戸で一部を切り離した後、平には4時過ぎに到着する運用が組まれていました。この時間帯の運行は、恐らくは新聞の朝刊輸送と推測できます。また、平ー仙台間は日中の時間帯に1往復、水戸ー平間は2往復、隅田川ー水戸間に2往復(前述の深夜早朝便も含んで)と、全部で3運用があったので、新聞だけでなくそれなりに他の小荷物を運ぶ需要があったと推測できます。

 しかしながら、他の郵便・荷物車と同様に、キニ58形の生涯は儚いものでした。

 1984年のダイヤ改正を境に、荷物車たちの先行きに暗雲がたれ込むように、荷物輸送は縮小していきました。郵便輸送が縮小し、多くの郵便車が仕事を失い、郵政省の所有であることや郵便車という特殊な構造の車両であることから、車齢など関係なく廃車となって解体され姿を消していきました。

 そして、荷物輸送の不振と郵便輸送の縮小は、キニ58形を含めた荷物車の運命を決定づけていくのでした。

 

《次回へつづく》

 

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