4:急行「銀河」1950–1952:スハ43系投入とスロ60形登場が変えた戦後夜行急行の進化
《前回からのつづき》
1950年には戦前製のスハ32形や戦後も継続して増備されていたオハ35形に代わって、新たな鋼製客車としてスハ43系の製造が始められると、さっそく「銀河」にも充てられ、三等座席車はスハ43形とその緩急車であるスハフ42形に置き換えられました。その一方で二等座席車は新製車ではなく、綱体化改造車の60系に属するスロ60形に置き換えられます。
このスロ60形は戦前製の木造車を綱体化改造によって製作されたため、スハ43系のような新製車両ではありませんでした。しかし、GHQの指示によってリクライニングシートを備えた上等車両を製作することになりましたが、国鉄はスハ42形の改造を計画したものの不都合が多かったことから、綱体化改造車の一つとして製作することにしまた。

▲1950年当時の編成例。二等座席車は鋼体化改造の60系となるスロ60形が使われていた。スロ60形はGHQの指示でリクライニングシートを備えた車両として製作された、いわゆる「特ロ」とされた二等座席車だが、こうしたあたりにまでGHQが口を出すのは、「銀河」に連合国軍将兵の利用が多かったと推測できる。
スロ60形は従来の二等座席車とは異なり、リクライニングシートを設置したため、その差が大きいものになってしまいました(いわゆる「特ロ)。さすがに国鉄は一等座席車としての形式名を与えて運用しようと考えましたが、ここでもGHQからの横槍が入りました。

オハ35系の後継としてスハ43系が製造されると、さっそく「銀河」にも投入された。真新しい車両を投入し、旧式化した車両を置き換えるのは優等列車の中でも特急から先に実施されるのがセオリーだが、「銀河」の場合、格下になる急行であるにもかかわらず、特急を差し置いて充てられた。 (スハフ42 186 大井川鐵道千頭駅 2016年4月29日 筆者撮影)
一等車であれば高い運賃を得ることができますが、これでは利用できる人はごく一部に限られてしまいます。特に連合軍の軍人やその家族、外国人観光客の利用を目論んでいたGHQは、二等にすることで彼らの支出を抑え利用を促進しつつ、安価ながらも上級のサービスを提供させようと考えていたといえます。
GHQの指示には逆らえない国鉄は、このリクライニングシートを設置した新たな車両を二等車にせざるを得なくなり、スロ60形という形式名を与えたのでした。そして、この最新で上級な設備をもったスロ60形は、さっそく「銀河」に組み込まれて運用に充てられたのです。
そして「銀河」の列車番号も下り13列車、上り14列車に改められ、運転区間は東京ー大阪間から神戸へと伸ばされることになりました。「銀河」の運転が始められた当初は大阪までだったのが、早くも神戸までになったことで戦前の「名士列車」と呼ばれた第17・18列車と同じ運転区間になりました。
運転区間が拡大したため、運転ダイヤも少し変化しました。下り列車の東京発時刻は変わらず、大阪の着時刻も同じとされて変化はありませんでしたが、終着が神戸に変わったことでここへの到着は8時25分になりました。上り列車は神戸20時05分発となり、大阪21時00分発、東京には翌8時08分着と38分も繰り下げられたことで、所要時間は運転区間が延びた分だけ長くなり11時間3分になりました。そして、このダイヤは多少細かな変動はあったものの、運転区間が姫路まで延長された1965年まで維持することになります。

▲1950年当時に時刻表。運転開始当初は大阪までの運転だったが、神戸まで延長されたことで、戦前の「名士列車」と同じになった。
1951年になると、二等寝台車のマロネ39形が新しいスロネ30形に差し替えられました。スロネ30形はスハ43系の二等寝台車として新製された車両で、基本的な設備はマロネ39形と大きく変わらず、2段式寝台を1室あたりに2組備えたコンパートメント式でした。ただし、寝台の幅はマロネ39形が700mmであったのに対し、スロネ30形は600mmと100mmも狭くなり、新型に置き換えられたにもかかわらず寝心地の点では悪くなったといえます。
1952年になると、寝台車はさらに増結されました。マイネ40形1両とマイネ41形1両、そしてスロネ30形2両の全部で4両の寝台車が組み込まれました。その分だけ二等座席車は減らされたものの、鋼体化改造客車のスロ60形から特急用としてつくられた新製車であるスロ53形に差し替えられ、さらに一部の三等座席車はスハ43形からこれまた特急仕様のスハ44形に代わり、「銀河」はまさにその隆盛を誇っていました。

▲1952年の編成例。三等座席車には特急用のスハ44形とスハフ43形が連結され、一等寝台社のマイネ40形・マイネ41形もあることから、さながら特急と同等の車両が使われていたことがわかる。唯一、特急との違いは食堂車の連結がないだけだろうか。
それも長くは続かず、1年後にはマロネ41形が減車されて、寝台車はマロネ40形1両とスロネ30形2両の3両になり、一部の三等座席車として組み込まれたスハ44形はスハ43形に戻されてしまいました。
こうした増結や減車、差し替えは1年ごとに、ともすれば数ヶ月で行われ、「銀河」は当時の他の列車と同様に細かい変化が繰り返されていました。二等座席車はスロ54形やスロ53形が基本的に使われ、マイネ40形だけは必ず連結されているなど、かつての「名士列車」としての面目は何とか保っていた状態だったともいえるでしょう。
《次回へつづく》
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