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筆者が鉄道マンとして働いていた時代、タイトルにある灯に「常に最悪を想定して備える」というのは、先輩方からよく言われた言葉の一つでした。日本の鉄道はよくも悪くも時間に正確であり、そして何より安全輸送を第一としていました。このことは、世界中の鉄道を見渡しても日本が誇れることの一つだと自負していました。
輸送部門であれば、到着した列車を可能な限り短い時間で客扱い(乗客を乗り降りさせること)をし、定時には発車させることを優先させていました。特に運転取扱駅では、信号所に詰めている輸送係は列車が駅に到着した時刻と発車させるべき時刻に神経を振り向けつつ、信号装置を操作して多少混雑してその時間が延びたとしても、定時に近い時刻には発車させるように全力を尽くしていました。

横浜駅で京浜東北線と直通している根岸線は、横浜市民にとって通勤通学をはじめ様々な場面で利用されることの多い、重要な鉄道である。同時に、根岸駅にあるENEOS根岸製油所からは精製されたガソリンや軽油、灯油といった石油燃料を輸送する貨物列車も多く運転され、首都圏に住む人々の生活に欠かすことのできない役割を担っている。そのため、桜木町ー根岸間にはタキ車で編成を組んだ車扱貨物列車も設定され、桜木町以北は高島線、武蔵野南線を経由して内陸部にある油槽所へと運ばれている。しかし、京浜東北線区間で人身傷害事故などの輸送障害が発生し、列車の運転が抑止されてしまうと、僅かな区間しか走らない貨物列車にも影響を及ぼし、さらには武蔵野線や中央本線などにも影響が波及してしまう。(出典:写真AC)
たとえば、旅客列車が数多く走る中を貨物列車を走らせる場合、その動力特性から両者が次の駅へと到着できる時間には差があります。信号所の輸送係はそのことを踏まえて、見通しを持って作業に当たっていました。特に輸送障害(事故)などによって列車の運行に遅延や抑止が発生したときには、なるべく早く列車を発車させて遅延が広がらないように務めています。
筆者が経験した中では、根岸線の根岸駅がそうしたことを実践していました。
京浜東北線の蒲田−川崎間の踏切で人身傷害事故が発生し、京浜東北線はもちろんのこと東海道本線も抑止がかかりました。当然、この2つの路線はすべての列車が運転を見合わせることになり、刻々と遅延が広がっていきます。そうした中で、根岸駅から発車させることになっている貨物列車もまた、その影響を受けることになります。しかし、根岸駅の信号扱所は、この貨物列車が桜木町駅から高島線に入っていくことや、その先、品鶴線や武蔵野線にも抑止の影響が広がることを考慮し、なるべく早く発車させようと奮闘していました。
ところが、輸送指令は抑止だからすべての列車を走らせることができないの一点張りで埒が明きません。信号扱所の輸送係は、貨物列車に先行させた列車は1本だけであることを知っていたので、その列車を横浜まで詰めさせれば、貨物列車を桜木町まで進めることができ、さらに高島線に転線させて抑止の影響を最小限に食い止めることができることを考えていたのです。
当然、輸送指令と根岸駅の信号扱所では意見が食い違うので、電話越しに熾烈なバトルが展開されました。まだ鉄道マンになって間もない当時の筆者も、その様子を見て少々ビビリはしたものの、何がどうなっているのかを理解することはできました。

根岸線ホームからは海側を望むと、そこには数多くの側線が敷かれている。本線はJR東日本、発着線はJR貨物、貨車の入換をする仕訳線・専用線はENEOS(入換作業は関連会社の日新)、そして本牧方には神奈川臨海鉄道の線路があるなど、一見しても分からないほど多くの鉄道事業者の線路が入り組んでいる。そのため、線路施設はもちろんのこと、電気設備の境界も複雑で覚えるのに苦労したものだった。根岸線は信号保安設備にATCを採用しているものの、根岸駅このような貨物列車の発着がある駅であるため、信号取扱所が設置されている運転取扱駅でもあった。信号取扱所には輸送主任が常駐し、貨物列車が発着するときには進路を開通させるなどの信号操作をし、隣接する運転取扱駅との連絡業務も行っていた。(©LERK (トーク · 投稿記録), CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)
結局、輸送指令がその考えを呑んで、貨物列車は最小限の遅延で発車させることができましたが、ここからわかるのは、輸送指令は抑止になった線区の状況を把握することと、抑止を解除するのであれば一部ではなく全体を一斉にすることに重きを置いていたこと、信号扱所は抑止となった線区だけでなく、その先に接続する線区への影響を考慮していたことや、そのような事態になったときに、どれが最悪の選択になるのかを想定し、それを最小限に食い止めるための手立てを常に考え備えていたということでした。
この例のように、当時は腕利きともいえる職員が現場に数多くいたので、一度異常事態が起こると、現場レベルでも可能な限り速やかに収拾することが可能だったといえるのです。そして、このようなことを実現するためには、冒頭でもお話したように、「常に最悪を想定して備える」ということを、日頃から考えていたからといえるのです。
《次回へつづく》
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