旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

もう一つの鉄道員 ~影で「安全輸送」を支えた地上勤務の鉄道員~ 第二章 見えざる「安全輸送を支える」仕事・再び研修勤務 隅田川駅で過ごした1か月の技術研修【前編】

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◆再び研修勤務 隅田川駅で過ごした1か月の技術研修【前編】

 鉄道という仕事は、列車の運転に直接携わる仕事から、駅での改札や出札、それに操車や誘導、車両所や工場での車両の保守、線路や電気設備の保守管理といった施設関係の仕事までありとあらゆる職種がある。もちろん、それぞれが互いによい相乗効果で安全に列車を運転できる。だから、どの職種も専門的な知識や技術が必要になるので、私のような新人が配属されたからといっていきなり仕事ができるわけではない。だから、しっかりとした基礎教育を受ける必要がある。
 入社して九州まで出向いて車両所や駅、機関区で教育を受けてきたのだが、この研修では電気区や施設区といった施設系統の研修はなかったから、ますます配属されてもできる仕事などなかった。
 さすがにこのままではマズい。せっかく入社したのに仕事ができないとあっては、単なる給料泥棒になりかねなかった。
 もちろん、会社もそのままでいいとは考えていなかった。とはいっても、施設系統の職場に新入社員が配属されるとはどうやら想定外だったらしく、支社の技術課はだいぶ慌てたようだ。だから、専門的な教育を受ける研修が始まるまで、なんと1週間近くも待つことになってしまった。
 ようやく準備が整ったということで、区長から隅田川電気区へ行くように指示を受けた。
 隅田川電気区は常磐線隅田川駅構内にある電気区だった。鉄道に詳しい方ならご存知と思もうが、常磐線に乗って南千住駅あたり、進行方向右手にコンテナを積んだ広大な敷地が見えたらそこが隅田川駅だ。
 隅田川駅は南の東京貨物ターミナル駅と並んで、東京の貨物列車の北の玄関口。ここから多数の貨物列車が発着しているが、なんといっても隅田川駅は都心にかなり近い。私が通った当時はなかったが、ここから程ない所に東京スカイツリーもあるから、想像はつくと思う。
 さて、隅田川電気区への通勤となると、少々厄介だった。当時、私は九州から戻って実家暮らしだったので、最寄り駅である南千住駅へは横須賀線と山手線、そして常磐線と乗り継ぐ必要があった。さすがに都心へ向かう列車、しかも2回も乗換となると辟易してしまった。
 もう一つの方法は東急東横線で地下鉄日比谷線直通の北千住行きに乗る手だった。この当時はいまのように目黒線などはなく、副都心線などまだ工事もしていなかった。東横線も渋谷と桜木町を結ぶだけで、急行と各停、それに日比谷線直通の3種類しか列車がなかった。まあ、いまのように複雑な種別と行き先ではなく、至ってシンプルだったのがよかった。
 この日比谷線直通列車に乗っていけば、南千住駅までは一本で行けるから乗り換える必要はない。これなら、ゆったりと通うことができると踏んで、東横線日比谷線で行くことにした。
 ところが、一つ問題があった。いまでは考えられないが、なんと冷房のついてない車両が走っていたのだ。晴れた日なら窓を開ければ風も入ってきてそれなりに快適(といっても、今日のようなレベルの快適さではないが)だったが、雨の日となると窓を開けても細くしか開けられないので、雨の湿気と重なって車内は蒸し風呂状態。着ているワイシャツは瞬く間に汗でベトベトになってしまったが、本当によく耐えたものだと感心してしまう。今時の若い人たちには考えられない環境を、25年前の人たちは当たり前にしていたから感心してしまう。
 そんな苦行(?)の通勤で隅田川電気区へ通い、支社の技術課や隅田川電気区の先輩方が講師になって、電気の基礎からのみっちりと学ぶことになった。
 最初はほぼ毎日のように座学。渡されたテキストはコピー機で増刷りしたものをステープラーで綴ったなんとも簡単なものだった。どうやら国鉄時代に鉄道学園で使っていたテキストを活用したようだったが、私は中身を見て驚いた。そこにあるのは電気理論の基礎。オームの法則やらフレミングの法則やら、高校時代に学んだことばかりだった。私は工業高校の電子科を卒業していたので、この内容はまさに基礎中の基礎。だから、最初のうちは本当に座学が退屈で仕方がなく、講義を聴きながらテキストをペラペラとめくっては時間が経つのを待っていたような気がする。