旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

国鉄の置き土産~新会社へ遺産として残した最後の国鉄形~ 北海道と四国、異なる地で走り続けるステンレス製気動車・キハ54形【6】

広告

《前回からのつづき》

 

blog.railroad-traveler.info

 

 北海道で使うことを前提とした極寒地仕様の500番台は、暖地仕様の0番台とは大幅に設計が異なりました。なにより、冬の北海道は気象条件が非常に厳しく、気温は0度以下になることも多々あり、そして何よりも雪深い中を走らなければなりません。そのため、従来の車両も、北海道向けのものは本州の寒冷地仕様と比べても、厳重な対策を施していました。

 車体は0番台と同じ軽量ステンレス構造ですが、窓は従来の北海道向けの車両と同じく、幅930mm、高さは630mmと小さくとっていました。これは、開口部が広くガラス窓の面積が大きくなるほど、ガラスを伝って冷気が車内に入り込み、保温性が低下してしまうためです。そして、窓は二重窓として、外側の窓はアルミサッシを、内側の窓はFRP製の窓枠を使っていました。

 乗降用扉は0番台と異なり、幅850mmの引き戸を車端部にそれぞれ1箇所ずつ設置しました。引き戸となった理由も、やはり冬季の保温対策のためで、この扉のレールには凍結防止用のヒーターも設置されていました。そして、長時間停車をする場合に備えて、乗降用扉は半自動扉となり、扉横にある押ボタンスイッチで開閉の操作をすることができます。

 

北海道の鉄道は札幌都市圏と海峡線を除いて、そのほとんどが非電化であるため、数多くの気動車JR北海道に継承された。キハ22形やキハ56系、そしてキハ40系などいずれも厳しい北海道の冬季の気候に対応した酷寒地仕様だが、キハ56形を除いて多くが1エンジン車だった。エンジンの非力さから、冬季は除雪を兼ねた運行のために2両編成を組まなければならないことも多く、輸送量に見合わない不経済な運行を強いられていた。(キハ40 818〔札ナホ〕 小樽駅 2004年 筆者撮影)

 

 0番台では乗降用扉付近のデッキは省略されていましたが、500番台では従来の車両と同じくデッキが設けられました。やはり冬季に冷気が客室内に入ることを防ぐためで、保温性を重視した設計です。

 500番台は新製当初から冷房装置の搭載はされませんでした。これは、夏季の北海道の気候は本州以南と比べて気温が低いこと、湿度も低く蒸し暑いということが少ないと考えられたからでしょう。代わりに車内天井には扇風機を設置し、外気を取り入れることができるように押し込み形通風機も備えられました。

 冷房装置が省略された代わりに、500番台は暖房装置を強化しました。通常、鉄道車両の暖房は電気ヒーターを使うことが多く、気動車には電気温風ヒーターが使われていました。しかし、北海道の冬は非常に厳しい寒さであり、キハ54形を運用することが想定されたのは、札幌都市圏を中心とした道央地区ではなく、根室などの道東地区やそこから北に向かう宗谷本線などの道北地区でした。そのため、寒さはさらに厳しいことを想定していたため、客室内に温水を通す配管を引き通し、エンジンからの冷却水を循環させる温水暖房が装備されました。この温水暖房は非常に強力で、厳しい寒さの中で車内を快適に暖めるには必要十分でした。

 車内の接客設備は、0番代と異なり長距離運用も想定していたため、セミクロスシートとされました。デッキ付近は0番代と同じバケットシートを使ったロングシートを配置し、車両中央付近はクロスシートを設置しましたが、このシートはバス用のものにヘッドレストを取り付けたもので、こうしたあたりにも製造コストを抑えるための工夫がなされていました。

 また、0番台ではトイレが省略されていましたが、500番台にはFRP製のユニット式トイレが設置されました。このトイレは、製造当初は鉄道車両に多く見られた「垂れ流し式」でしたが、走行中でなければ使うことができない不便さや、線路上に汚物を落下させるため「黄害」が発生し衛生面でも問題になったこと、和式トイレであったことなどから、後に便器は洋式に交換され、循環式にするなどの改造を受けました。ただ、床下にはエンジンなど様々な機器で占められていたため、汚物タンクは屋根上に設置しました。

 ところで、このトイレにかかわる話として、筆者が鉄道職員時代の先輩は「黄害」かなり悩まされていたそうです。中長距離列車が往来する本線での作業中、トイレを装備した列車が通過するときには、線路からかなり離れた位置に退避してました。その理由は、通過する列車の車内で乗客がトイレを使っていた場合、汚物を「撒き散らしながら」通過していったとのこと。そのことを知らない新人職員などは、体中にその汚物を浴びる羽目になってしまい、それはもう強烈な臭いを発して、事務所に戻るやいなやすぐさま風呂に入らなければならなかったそうです。それでも臭いが落ちないこともあり、家に帰ると家族が逃げ出してしまったとか、彼女に逃げられてしまったとかいう、嘘か真かの話も聞かされました。中には意地の悪い先輩職員から「ウンのいい奴」などとからかわれたそうですが、汚物には様々な菌も入り混じっているので、中には病気になってしまうケースも有り、あまり笑えないこともあったそうです。

 

かつて、列車トイレは写真のような形態のものだった。非常に高い段差に「登る」ようにして上がり、用便をする和式のトイレは、D51蒸気機関車の開発や新幹線計画に携わった、かの国鉄技師長・島秀雄氏が考案したものだった。手前側に便を排出する穴があるが、循環式になる前はここから直接線路上に「垂れ流し」ていたのだった。そのため、線路内に立ち入って検査や修繕などの業務に携わる保線職員や電気職員にとっては、通過する列車から垂れ流される「モノ」を浴びる危険があり、衛生的にも非常に問題で批判の的になっっていた。(©PekePON, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

 

 垂れ流し式のトイレは、走行中の風圧で砕けたり飛散するというのが設計側の建前でしたが、実際に線路上で作業をする機会が多い保線職員や電気職員からすると、「そんな話なんか信じられるか!」というほど、黄害はかなりの問題でした。

 500番台は冬季に積もった雪を掻き分けながら、1両編成でも運行できるようにするために2エンジン車として製造されました。しかし夏季にはその必要がないことから、エンジン1基を使わないで走行できる仕様になっていました。これは、平坦な路線で2基のエンジンを使って走行した場合、燃料もその分だけ使ってしまい経済的でないことから、運用コストを抑えるために設けられたものでしたが、実際にはあまり使われなかったようです。

 このように、500番台は同じキハ54形としてつくられましたが、0番台とは大きく異なる部分が数多くあったのでした。

 

《次回へつづく》

 

あわせてお読みいただきたい

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info