《前回からのつづき》
21世紀を目前にした2000年に、試作車900番台が全車廃車となったのを皮切りに、0番台の淘汰も2001年に始められました。900番台は1979年に製造されましたが、質実剛健ともいえる国鉄形であるにも関わらず、たったの21年で廃車の運命を辿っていったことは、それだけ北海道の気候の厳しさや、道内特急列車の運用が過酷であることを物語っているともいえます。
翌2001年からは量産車である0番台も淘汰の対象になっていきました。国鉄時代に製造されたこれらの車両もまた、900番台とともに厳しい気候と過酷な運用で、老朽化が進んでいたことや、新系列気動車による極端なスピードアップを図ったダイヤ編成をするうえで、鈍足なこれらの車両を運用し続けることは、言葉悪くいえばJR北海道にとって「足手まとい」になってきたためともいえます。

冬季の過酷な気象環境の中で運用することを前提とした、北海道専用の特急形気動車として開発されたキハ183系は、初期形では「スラントノーズ」と呼ばれる形状の先頭車になった。従来の、国鉄形特急電車にも通じるスタイルであるもの、舞い上がる雪が前頭部や前面窓前のスペースに着雪することを防ぐため、傾斜をもたせたものになっていた。同時に、工作工数を減らして製造コストを削減することを目論見、直線的な形状を持つ独特のスタイルが、かえって北海道専用車のいうイメージを植え付けることになったといえるである。分割民営化後、JR北海道の主力車両として重用され、昼行の特急列車はもちろんのこと、気動車併結改造を受けた14系客車の寝台車を組み込んで、夜行列車としても使われた。(出典:写真AC)
その一方で、国鉄末期に増備されたN183系は、製造当初から高速で運用することを視野に入れた設計だったため、このときは淘汰の対象にはされませんでした。しかし、振り子式車体傾斜装置を装備し、曲線でも高速で走行できるキハ281系やキハ283系などといった新系列気動車に近い高速走行主体の運用は、N183系にとっては想像以上に過酷なもので、特にエンジンなどの駆動系に大きな負担を与え続けることになります。
2007年になると、ついにN183系も淘汰の対象になってしまいました。「とかち」系統で運用されていた車両で、特に利用率が悪い「利尻」と「オホーツク」の運行終了によって廃車が始まり、翌2008年には「まりも」も運行が終了したことにより夜行列車としての運用がなくなりました。さらに2009年に「とかち」の運用もキハ261系に代わられたことで、N183系の「とかち」系統の運用がなくなったことで、余剰となったN183系が廃車の対象となり4両が姿を消しました。
そして、2013年になると、過酷な運用を続けてきたことが、ついに悪い形で露呈することになります。
その年の4月8日に、函館本線約も駅構内で「北斗」20号の4号車のエンジンが破損し、煙が出てしまうという車両故障による事故が発生しました。それから3ヶ月後の7月6日には走行中の「北斗」14号の4号車のエンジンがエンジンブローを起こし、そこから出火するという列車火災事故が発生しました。いずれもDML30系エンジンの故障による事故であり、JR北海道は同系列のエンジンを搭載しているN183系とNN183系の運用を停止する措置をしました。
この後1年間は、原因の特定とそれに対応する改造が終わるまでの間、N183系はNN183系とともに運用に入ることができない状態が続いたため、「北斗」は減便を、「サロベツ」は運休を余儀なくされました。もっとも、N183系は最高運転速度が120km/hだったので、NN183系のような130km/h運転は実施していませんでしたが、直列12気筒エンジンであるDML30系を搭載していたことから、NN183系の運用停止措置に合わせられたといえるでしょう。そして、それまで130km/hで運転されていた「北斗」の3往復は120km/hに減速するダイヤ変更を実施するとともに、燃料系統の交換をする工事を受けたのでした。

広大な北の大地で都市と都市を結ぶ鉄道ネットワークを維持するためには、本州以南では考えられない苦労が伴っていたと想像できる。特に都市間高速バスとの熾烈な競争を強いられる環境の中で、JR北海道はいかにして利用者を取り込むかが課題であった。その答えとして、バスよりも短い時間で目的地に着くことができるという、列車の高速化であった。民営化後に開発増備された車両には、振り子装置を装備させるとともに、高出力エンジンを搭載することで、運転速度の高速化を達成した。その一方で、国鉄から継承した車両はそうした運用には適していなかったことから、一部をさらに高出力にしたエンジンへの換装、ブレーキ装置の回収などを施して、120km/h運転に対応させることで、新系列気動車に限りなく近い性能を与えた。しかし、連続した長距離高速走行、そして特に冬季の過酷な気象条件の中での運用は、車両そのものに大きな負担を強いていくことになる。その結果として、エンジンブローやシャフト折損という、気動車としては致命的な故障を誘発し、列車火災事故という重大事故を引き起こしていくことになったといえるだろう。(出典:写真AC)
同じ時期にJR北海道は重大事故やインシデントを相次いで起こしてしまったため、社会からは厳しい線が注がれることになります。特に高速化志向の営業方針は、車両はもちろんのこと軌道にも大きな負担をかけてしまうことになります。適切な検査と修繕を、確実な技術で行っていれば防ぐことも可能だったかもしれませんが、実際には職員の世代交代に伴う技術の継承がままならないだけでなく、民営化時からJR北海道が抱えていた労使問題など、様々な要因によってそれが実現できていませんでした。
相次いだ重大事故やインシデントを重く見た国土交通省は、JR北海道に対して特別保安監査を実施しますが、あまりにも監査をする対象と項目が膨大だったため、監査に入る人員を増員し、断続的ですが翌年にまで続く異例の長さで行われたのでした。
こうしたことも背景になり、JR北海道は国土交通省から業務改善命令を受けることになります。また、安全部門を担当していた役員の解任を命令、鉄道事業法違反などで北海道警察に刑事告訴されるという、過去に1度もない異常な事態に発展していったのです。そして、これを契機にJR北海道はそれまでの高速化志向による収益重視の経営方針を改め、安全重視へと大きく舵を切ったのです。
この方針転換は、キハ183系にも影響を与えることになったといえます。国鉄時代に製造され、すでに車齢が30年以上が経った古参車両を、新型車両へ置き換えることで安全性を向上することになったのです。そして、2015年にJR北海道は5年間をかけてキハ183系を淘汰する方針が発表されたのです。こうなると、この年からの5年間は、キハ183系にとって退役を勧告されたも同然となり、いわば消えゆくその日を待ち続けることになったのです。
《次回へつづく》
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