《前回からのつづき》
1990年には身延線での実態に合わせて、車掌の乗務を省略してワンマン運転に対応した改造が追加されました。乗務員室のすぐ後ろに運賃箱を、仕切り壁の天井付近には料金表が設置されました。この改造と同時に、クモハ123-5045は前面に貫通扉を増設する工事も追加され、その顔つきはJR西日本に継承されて貫通構造に変えられたクモハ123-2~6とほぼ同じものになりました。
こうした一連の改造は1990年までに終えたことで、その後は大きな変化もなく、身延線の閑散区間を中心に、富士川に沿った山々の間を縫うように走り、沿線の人々にとって貴重な交通機関としての役割を担い続けました。
2001年には走行性能を上げることと、もともと101系に使われていた主電動機であるMT46形を再利用していたため老朽化も進んでいたことから、後述の600番台とともにMT54形に換装しました。
しかし、分割民営化によって設立された旅客6車の中で、40番台改め5040番台を保有したJR東海は、もっとも早く国鉄から継承した車両を淘汰していくことになります。
中でも東海道本線用として運用していた113系の中には、先頭車の前部標識灯が大型の白熱灯を使ったいわゆる「デカ目」と呼ばれる初期車もあること、国鉄か継承した車両の多くは電車であれば抵抗制御であったり、気動車は排気量の割に非力で燃費も悪い国鉄制式エンジンを搭載していたりしていました。

1987年の国鉄分割民営化で、新たに設立された旅客会社6社と貨物会社は、国鉄から多くの車両を継承した。中には新製からそれほど時間が経っていないものから、車齢20年を超えるものまで多種多様だった。東海道本線の主力だった113系も然りで、シートピッチ改善車である2000番台もちろんのこと、最初に製造された0番台、しかも前面の前部標識灯は白熱灯を使ったいわゆる「デカ目」と呼ばれる初期車両もあり、古い車両はJR東海やJR西日本に継承されていた。こうした中で、抵抗制御で車齢の古い車両はできれば早期に置き換える方が、民間企業になったJRにとっては喫緊の課題だったといえる。JR東海はこれら系念写を早期に淘汰して、在来線の収益性を可能な限り確保する経営方針を採り、国鉄時代に開発・新製された界磁添加励磁制御の211系に改良を加えた211系5000番台を次々に製作、配置して113系を置き換えていった。211系5000番台の製造終了後は、VVVFインバータ制御を採用した313系がこの役目を担い、大量に増備してされていく一方で、普通鋼製で抵抗制御だった113系が次々に姿を消していく。これは、可能な限り同一の車両を保有し運用することで、検修に携わる技術職員の負担軽減と教育訓練の効率化、そして補修用部品の共通化を図ったといえる。また、最新のVVVFインバータ制御にすることで、より効率的な電力使用も可能になるため、運用コストの軽減も実現させたかったのであろう。同時に非冷房車は、新たに開発したC-AU711形集約分散冷房装置を搭載し、改造工事の工数の削減と工事期間の短縮、そして改造費用を軽減させつつ冷房化を進めることを可能にした。(出典:写真AC)
運用コストに敏感になった会社としての体質もあり、早々に界磁添加励磁制御の211系5000番台を増備してこれを置き換えたり、新たな特急用気動車として新製したキハ85系には、小型軽量で高出力のカミンズ社製のエンジンを採用したりして、比較的速いペースで置き換えを進めました。
そして、JR東海の一般形電車として決定版ともいえる313系が開発されると、残存する抵抗制御車を次々と引退に追いやっていきます。最新のVVVFインバータ制御を採用し、軽量ステンレス車体をもった効率性が高い313系の前に、113系などの電気効率が悪くて自重が重い鋼製車体の車両は為す術もなく、急速にその姿を消していきました。
このことは、1M方式電車という特異な機構をもったクモハ123形にとっても他人事ではありませんでした。313系はMT比を1:1とするために、従来のMM’ユニットではなくM車1両単位での運用ができる機構をもっていました。最小で1M1Tの2両編成を組んで運用できるため、クモハ123形2両編成を置き換えることが可能になったのです。

クモユニ147形を改造することで製作されたクモハ123形40番台は、登場時は冷房装置をもたない非冷房車だった。しかし、1980年代終わり頃になると、鉄道の冷房化が課題になり、中には鉄道事業者ごとに保有する冷房車の進捗率が報道されるようになった。国鉄から新会社に変わったJR各社はこの報道を気にするようになり、国鉄から継承した多くの非冷房車をできる限り早期に冷房化する必要に迫られた。これは、国鉄という過去の負のイメージをできる限り払拭し、新会社になってサービスを重視する姿勢をアピールしたいという思惑があったことも一因であったと考えられる。同時に、効率的な電力使用を可能にするインバータ技術の発達も、地方ローカル線で運用する車両の冷房化を促進することができた。(©)
2006年になると、身延線を走り続けたクモハ123形は5041号を皮切りに廃車が始まり、翌年5月に最後まで残っていた5043号が運用を離脱、廃車になったことで区分消滅しました。
1983年にクモユニ147形として誕生し、1987年にクモハ123形へと改造された40番台→5040番台は、種車としては23年、改造後は20年に及ぶ歴史に幕を下ろしたのでした。
《次回へつづく》
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