旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

国鉄の置き土産 瀬戸内を渡るためにつくられた国鉄最後の新系列・213系【15】

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《前回からのつづき》

 

 同じ頃、JR東海はもう一つの大きな課題に対処しなければなりませんでした。

 それは、かつて旧型国電の牙城ともいわれ、東海道本線の豊橋と中央本線の辰野の間を天竜川に沿って結んでいる飯田線の車両置き換えでした。飯田線はローカル線としてはかなり長い197.5kmを、直通の列車であれば6時間以上をかけて走る路線です。

 

飯田線といえば、国鉄で最後まで旧形国電が残っていた路線であったことを知るのは、おそらく筆者と同年代かそれ以上の諸先輩方であろう。吊り掛け駆動独特の走行音を響かせながら、伊那の山間を走ったその姿は随分昔のことになってしまった。飯田線の旧型国電はバラエティに飛んでいて、独特の形状をもった「流電」52系や「半流」クモハ53形、そして「湘南形」の80系などが走り、さながら旧型国電の博物館でもあった。しかし、多くが戦前製の車両であるがゆえに老朽化も激しく、保守にかかる手間とコストは無視できないものだった。また、サービス面でも芳しいものではなく、新性能化が待たれていた。(出典:写真AC)

 

 しかも、沿線には未開の地も多く、中には駅にたどり着くまで非常に困難な道程がある秘境駅もあるほどで、輸送密度は非常に低い線区です。しかし、特に伊那地方に住む人々にとっては、貴重な移動の手段であり、特に自動車を運転することのない高校生などの子どもたちにとっては、通学などのための欠かすことのできない存在といえます。

 このような特異な環境の飯田線は、前述の通り国鉄時代は最後まで旧形国電が使われ、積極的な設備投資の対象にはなりませんでしたが、戦後製の80系電車だけでなく、戦前製の車両も多く使われていたため老朽化と陳腐化は激しく、ようやく重い腰を上げるかのように119系がつくられ投入されました。

 その119系も1982年から翌1983年に製造されたため、2011年の時点で登場からすでに29年が経っていました。また、抵抗制御であることや、車体も普通鋼を使っていたため、車両の標準化と効率化を進めていたJR東海にとって、可能な限り早く置き換えることが課題になっていたといえます。

 

国鉄の末期になって、飯田線にもようやく新性能電車が投入されることになった。とはいえ、まったくの新製車両ではなく、廃車になった101系の台車などを流用したもので、飯田線の輸送実態に合わせた裾絞りのない垂直断面をもった119系が投入された。1987年の分割民営化により、飯田線の運用に充てられていた119系は全車がJR東海が継承し、その後、サービス面でのさらなる向上を目的とした冷房化を進めるにあたって、従来から標準的な工法であったAU75形集中式冷房ではなく、直流電源で駆動するC-AU711形によって冷房化された。そのため、既にAU75形によって冷房化された車両と区別がしやすいように、原番号に5000をたした5000番台に開版され、2010値第2置き換えるまで小単位の編成を組んで伊那の山間を行き来した。(出典:写真AC)

 

 そこで、大垣車両区から神領車両区に転属して、中央西線で日中の運用に充てられていた213系5000番台を転用することになります。

 飯田線への転用にあたっては、そのままでは使うことが難しいとされました。もっとも大きな問題は、飯田線で運航される列車の多くは長距離となり、トイレが欠かすことのできない設備とされていたからでした。

 そのため、213系5000番台はトイレを追加する改造が施されました。クハ212形の連結面側に、バリアフリータイプのトイレを設置し、この部分の窓はすべてステンレス板で塞がれました。

 また、山間部を走るため、特に冬期は列車の交換で長時間停車することもあるため、乗降用扉を半自動扉に改造し、ドア付近には乗客が扉の開閉をするための半自動扉の開閉スイッチが設置されました。

 このような転用改造を受けた213系5000番台は、配置区所を再び大垣車両区に出戻りの配置転換され、豊橋に常駐する形での運用に充てられることになりました。そして、2011年11月から飯田線の営業列車に使われるようになり、豊橋ー辰野間で飯田線の普通列車のほか、JR東日本の中央東線茅野ー辰野間にも乗り入れるようになり、2012年のダイヤ改正をもって119系は全車が運用を離れていき、代わって213系5000番台がすべての列車の運用を担うようになり置き換えたのでした。

 新たな活躍の場を得た213系5000番台は、今度は伊那路での地域輸送に携わることになります。1M1Tの2両編成は飯田線の輸送量に適しているとともに、勾配が多い山岳路線でもあるので、回生ブレーキを使えることは213系5000番台の強みでもありました。

 運用によっては中央本線の茅野-辰野間にも乗り入れたことで、JR東日本の管轄に初めて213系が走ることにもなったのでした。

 飯田線という新たな活躍の場を得た213系5000番台でしたが、残念ながらそれも長く続くことはありませんでした。JR東海の新たな標準型車両として315系の増備が始められると、民営化後に製造された国鉄形の車両は置き換えの対象になってしまいました。製造から既に30年以上が経っているため、その時期であることは避けようがありません。

 

新たな活躍の場となる飯田線に転用された213系は、最短で2両編成を組んで、伊那の山間を走り、ここに住む人々にとって貴重な交通手段として輸送サービスを提供し続けた。転用時に大きな改造工事は施されず、関西本線時代にワンマン下にあたって構造的に不可能とされたものの、飯田線では郊外型ワンマン運転を採用することになり、独特の構造でも改造内容は大掛かりではなくなったといえる。(出典:写真AC)

 

 2021年から製造が始められた315系が東海道本線や中央本線を受け持つ神領車両区に配置されると、真っ先に211系5000番台が置き換えられていきその姿を消していきました。211系5000番台の淘汰が進められると、つぎのターゲットは213系5000番台に移されてしまいます。

 315系の増備がさらに進められたことによって、神領区配置の313系の一部が2022年に玉突きで大垣車両区へ転出しました。そして、大垣区に転入してきた313系によって、今度は213系5000番台を置き換えるという、国鉄時代から伝統的に使われてきた「玉突き」による置き換えが進められたのでした。

 こうして、213系5000番台が担っていた飯田線の運用は313系に取って代わられ、2025年にH4編成(Mc213-5004+T'c212-5004)とH11編成(Mc213-5011+T'c212-5011(の2編成が廃車担ったのを皮切りに、淘汰が始められてしまいました。

 2025年中に廃車になったのは2両編成4本計8両と少なく、置き換えが始まったばかりのように見えました。しかし、大垣区に配置されていた飯田線用の車両は213系だけでなく、既に313系も配置されて運用に就いていたので、置き換え用の車両としてこれを充てることも十分に考えられます。また、神領区に配置されていた313系の一部が、飯田線用として大垣区への転属も始められていることもあり、213系5000番台に残された時間は僅かとなりつつありました。

 そんな最中、2026年2月に入り、JR東海が3月初旬をもって213系5000番台のすべての運用を終了すると発表しました。1989年に製造され、運用を始めてから37年、飯田線に転用されてから15年の歴史に終止符を打つことになるのです。

 製造当時、抵抗制御に励磁回路を追加することで回生ブレーキを使うことを可能にしたか界磁添加励磁制御は、安価な製造コスト、実績と信頼性がある抵抗制御に付加回路をつけることで、直巻電動機のままで回生ブレーキを使うことができる画期的なものでした。しかし、時代の移ろいとともに技術は発達していき、特に大電力半導体素子は大きな発達とともに価格も下がっていき、VVVFインバータ制御が主流になるともはや時代遅れのものとなってしまいました。

 車両の標準化とコストの徹底的な管理をするJR東海にとって、車齢が40年近くに達する旧式化した213系5000番台をこれ以上運用する理由はなく、特に過去のものとなって久しい抵抗制御の機器は、補修用の備品の入手もままならなくなっていると想像でき、入手できたとしても特注品になってしまうため、価格も高価になり運用コストを押し上げてしまうといえるでしょう。

 このような時代の進化による環境の変化によって、213系5000番台はその役割を終えようとしています。それと同時に、民営化後に独自の仕様を取り入れたとはいえ、国鉄が設計した国鉄形車両がJR東海からすべて姿を消すことにもなり、分割民営化から40年弱という時間が経ったことを具体的な形で表しているともいえるのです。

 

《次回へつづく》

 

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