1.八王子駅で働いた日々:貨物・OT線・キハ35系とキハ38のリアル
この記事では、筆者が国鉄からJRへ移行した直後の現場で経験した、八王子駅・八高線・梶ヶ谷派出をめぐる電気区の業務や文化の違い、そしてキハ35系・キハ38形が走っていた時代の空気感を振り返ります。
国鉄の縄張り意識が残る中での管轄区分の背景や、非電化時代の八高線で見かけた気動車の記憶を、当時の現場目線でお伝えします。
◆筆者と八高線との出会い
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。
筆者が梶ヶ谷の電気区派出に勤務していた頃、現場に出るといえばほとんどが八王子駅でした。当時はJRに看板は変わったものの、国鉄の流れや匂いが色濃い時代で、地方機関である鉄道管理局の「縄張り」もそれなりに残っていました。
分割民営化によって、旅客会社6社と貨物会社に分けられ、貨物会社は全国1社でそうした古い「縄張り」は外から見ると取り払われていたようにも見えましたが、実際にはそうでもなかったのです。
筆者が勤務した電気区は、本区は横浜羽沢駅構内に置かれていました。横浜羽沢駅は国鉄時代は東京南局に属していたので、本区が管轄する駅や運転区所も東京南局が管轄していたところを継承していました。
具体的には東から新鶴見機関区、新興駅、東高島駅、横浜羽沢駅、根岸駅、逗子駅、そして田浦駅でした。さらに西に行くと相模貨物駅と西湘貨物駅もありましたが、ここは本区からはかなり遠い位置にあるとともに、当時は貨物の取扱量がそれなりにあったため、西湘貨物駅構内に相模派出を置いて保守管理業務を担っていました。
ところが、新鶴見機関区があるところから、西に数キロしかない梶ヶ谷貨物ターミナル駅は本区の管轄ではありませんでした。その理由として、梶ヶ谷(タ)駅は、国鉄時代は東京南局ではなく東京西局の管轄下にあったため、民営化時に電気区の管轄を線引する際に、旧国鉄の管理局ごとに分けられたため、距離的には本区からも行ける範囲であるにも関わらず、本区の管理からは外され、わざわざここに派出を置いていたのです。
当然、一緒に仕事をした先輩方も、本区は東京南局出身の人たち、梶ヶ谷派出は東京西局出身の人たちで、同じ仕事をしていてもどこか違う空気というか文化というものを感じたものです。
こうしたことから、梶ヶ谷派出の管轄は国鉄時代の東京西局管内に限られ、八王子駅と八王子機関区(当時、既に車両配置はなかったが、留置線は残され機能していた)、初狩、竜王、石和温泉と本区よりも範囲が広く、甲府を越えた山梨県内までを守備範囲にしていたのでした。
もっとも、大月以遠はあまりにも遠すぎるため、派出の職員が自ら出向いて保守作業などをすることはほとんどなく、実際には協力会社に業務委託する形で日常の検査や修繕といった作業を行っていたのです。

八王子駅は中央本線に所属する駅なので、国鉄時代は東京西鉄道管理局の管轄にあった。しかし、分割民営化によってJR東日本の駅としてだけでなく、JR貨物の駅としても機能することになったため、この駅を管轄する組織がかえって複雑になった。JR東日本では、東京地域本社▶八王子支社となったが、JR貨物は関東支社の管轄に置かれrている。ところが、分割民営化間もない頃は国鉄時代の境界が見えない部分で残っていたため、同じ会社、同じ区所でも「棲み分け」がなされていた。その一例として、筆者が勤務した電気区は、本区が東京南局管内にあった横浜羽沢に置かれ、その派出として梶ヶ谷があった。梶ヶ谷は横浜羽沢から車で30~40分程度の距離しかなかったものの、東京西局管内であったため、わざわざここに派出が置かれたと考えられる。そして、梶ヶ谷派出のメインは八王子であったため、ほぼ毎日1時間近くかけて「出場」することになった。(八王子駅・旧八王子機関区跡 左奥にはOT専用線が伸びている。 筆者撮影)
皮脂ターミナルの片隅で見つけた近代派。八高線キハ35系の中に光る、キハ38形の記憶
八王子駅と八王子機関区だけは、派出の職員が検査や修繕と言った業務を行う直轄業務とされていました。八王子は東京西部、中央本線の要衝ともいえるところで、特急列車や特別快速、時に「山電」と呼ばれる高尾以西に向かう中距離列車、横浜線と八高線も乗り入れ、ひっきりなしに列車が発着するターミナルです。
その合間を縫うかのように、甲府方面に発着するコンテナ貨物列車や、八王子駅構内に接続する日本オイルターミナルの専用線(部内では「日本オイルターミナル」の英文名、Japan Oil Teriminalの略称を使った「OT線(オーテー線」と呼んでいた)を介して、ガソリンなどの石油類を積み込んだタンク車が連なる専用貨物列車も発着し、しかも甲府方面に向かう貨物列車は八王子駅で機関車の付替えをする運用もあったので、これを留置する八王子機関区にも新鶴見ほどではないにせよ、ある程度の入換作業があったため、自ずと検査や修繕といった業務が多かったのです。
このように、東京西部の要衝としての役割をもった駅だったため、朝、出勤して始業点呼の時に担務指定を受けると、ほとんどが八王子駅か八王子機関区に行くことを命じられ、公用車で1時間近くかけて現地へ赴くのが「日課」のようなものだったのです。
その八王子で作業をしている時に、筆者の楽しみといえばそれまであまり縁のなかった中央本線や八高線の列車を見ることでした。もちろん、構内を歩いたり作業をしている合間しか見ることができないので、じっと観察することはなかったのですが(そんなことをしたら、先輩に叱られるか車両に撥ねられてしまいかねない)、業務の傍らで横目に見ながらそれらの列車が行き交う光景は、ターミナル駅そのものという印象でした。
中でも八高線の列車が発着するときは、思わず「おっ」なんて声を上げたものです。
今でこそE231系などステンレス製の車体をもった電車が使われていますが、筆者が八王子の構内で歩いたり作業をしたりしていた当時は、まだ電化前のこと。色褪せしやすく「元気のないタラコ色」などと揶揄された朱色4号1色の首都圏色と呼ばれた塗装を纏ったキハ35系が、東京都内の駅には似つかわしくないディーゼルエンジンの咆哮と、燃料である軽油が燃えた匂いと微かに黒い煙を撒き散らしながら加速して走り去る姿に、八王子というところはある意味で地方都市の駅という感覚ももったものです。

キハ38形は1986年から1987年にかけてキハ35形の車体更新という形で改造製作され、高崎第一機関区に配置されると八高線で運用された。旧来の国鉄形気動車にない斬新なスタイルと塗装は、八王子駅に出入りする姿は一目で分かるほど鮮烈だったことを思い起こす。色あせて汚れの目立つ首都圏色の気動車が多い中で、異色の存在でもあった。(出典:写真AC)
そんなキハ35系に混ざって、ホワイトアイボリーに赤色の独特の帯をあしらった気動車を見かけることがありました。乗降用の扉は3か所で、キハ35系と同じ通勤形の体裁をもっていましたが、特徴的だった吊り戸ではなくごく普通の戸袋をもつ扉、前面は前面窓の周りを黒色で処理した105系や201系に通じるデザイン、そして前部標識灯と後部標識灯はケーシングの中に水平に並べて配置されるなど、近代的な外観をもった異色の存在でした。
そして、このキハ38形を見る機会はそう多くなく、見かけたら「おっ」とさえ思うほどその数は少なかったのです。
《次回へつづく》
あわせてお読みいただきたい