旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 痛勤ラッシュを支え続けて【6】

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冷房装備でサービス改善を推進【後編】

さすがに冷房装置を載せた分だけお値段も高くなっているのに、まったく役に立たないというわけにもいきません。とはいえ、すべて新車で編成を組むことができれば問題も解決しますが、何しろ1500両以上も冷房なしでつくっているので、そうすることも現実的ではありません。
 そこで、非冷房車として走っている車両を冷房車に改造することにしました。もちろん、電源になる電動発電機も冷房に対応できる大容量のものに取り替えます。そうすれば、冷房化率も上げることができ、電源が足りないために宝の持ち腐れということも避けられます。おまけに、新車を製造するよりは安く済むでしょう。


前回までは 

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 こうして、非冷房車で走っていた103系電車にも、冷房装置を取り付ける改造工事が始められました。
 しかし、実際に工事を始めてみると、時間もコストもかかってしまいました。
 これは、改造で載せた冷房装置が、冷房車として登場した車両と同じ集中式のAU75形冷房装置を使ったということが大きな要因でした。
 この冷房装置、当時の国鉄では最も標準的なものの一つで、103系電車だけではなく113系電車や115系電車など、あらゆる国鉄形車両に装備されていました。この標準というのが国鉄にとっては大事なことで、車種によって装備する機器が異なっていては、メンテナンスをする側も煩雑になり、しかも部品もその分だけ確保しなければならず経済的ではありません。大量につくればその分だけ生産コストも下がり、部品も共通のものを用意すればよく、メンテナンスをする側も一つの機種を憶えれば済むなどのメリットが多かったのです。

f:id:norichika583:20180703173744j:plain▲屋根上に載せられているAU75形集中式冷房装置。国鉄の電車で最も多く普及した冷房装置で、通勤形電車のほとんどがこの冷房装置を装備して冷房化を推進した。民営化後にも量産は続けられ、その後は改良形が東日本を中心に使われている。(写真は奈良線で運用されていたモハ103-484 筆者撮影)

 ところが、このAU75形冷房装置、とにかく大型で重量が嵩んでいました。
 最初からこの重い冷房装置を載せてつくられた冷房車は、その重さに耐えることができるように、屋根を初めとした部分は設計が変えられていました。しかし、非冷房車はそんな重い物を屋根の上に載せるなんて考えてもいなかったので、屋根の構造も昔からの必要な強度を保っただけの設計でした。
 さあこうなると、工事の手間もかかります。屋根は重量のある冷房装置を載せても耐えられるように補強をしました。そして、冷房装置から出てくる冷たい風を車内全体に行き渡るようにダクトも取り付けます。さらに、冷房装置を動かす電源となる電動発電機も載せ替えました。

f:id:norichika583:20180702231801j:plain武蔵野線103系電車の車内天井部。写真はちょうど冷房装置があるところで、左側に室内の空気を取り入れる吸気口が見える。扇風機の周りには冷房装置から送られる冷気を通すダクトが設けられ、左側の吊り広告の近くにある四角いルーバーから冷気が車内に送られる。この冷気ダクトを設置するだけでも工数が多くなり、もともと冷房装置を載せることを前提としない設計のため、屋根の補強も必要だった。(武蔵野線で活躍していた103系電車 筆者撮影)

 この冷房化工事だけで、1か月から2か月の時間がかかったそうです。
 当然ですが、その分だけ人件費もかかり、補強工事やダクト増設工事の部材費もあるので、相当高価な工事費がかかったようでした。おまけに、冷房化工事をするのは103系電車だけではなく、113系電車など非冷房車としてつくられたほかの車両もいたので、そちらも冷房工事をしなければなりません。そのために、一度に大量の工事を施すというわけにもいかず、少しずつ冷房化を進めていきました。しかし、最終的には分割民営化までに全車の冷房化は叶わず、その後は新会社に託されることになってしまいました。
 とはいえ、夏場の通勤ラッシュで、少しでも快適に過ごせるようにと、サービス面での改善に貢献したことは大きな意味があったといえるでしょう。