旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

国鉄の置き土産~新会社へ遺産として残した最後の国鉄形~ 北海道と四国、異なる地で走り続けるステンレス製気動車・キハ54形【9】

広告

《前回からのつづき》

 

blog.railroad-traveler.info

 

 2003年になると、主要機器の更新工事が施工されました。もともとキハ54形は車体やエンジンを除いて、多くの機器を廃車となった車両から発生したものを再利用していました。国鉄末期にすでに破綻した状態の財政の中で、できる限り製造コストを抑えながら新型車両をつくるための苦肉の策でした。そのため、一部の部品は老朽化が進んでいたため、これを更新し車両自体の寿命を延ばすとともに、性能の向上を狙ったと考えられるでしょう。

 エンジンは新製時に搭載されたDMF13HS形はそのままとし、変速機をN-DW54形に換装しました。この変速機は変速段+直結2段の3段変速で、走行性のは大幅に向上することができました。また、台車も軸箱支持がウィングばね式、枕ばねには金属コイルばねを使ったDT22形から、軸梁式軽量ボルタレス式のN-DT54形に換装しました。

 これによって、台車自体の重量も軽くなったことや、ボルスタレス台車を装着したことで、乗り心地も大きく改善しました。加えてブレーキ装置も制御弁を交換したり、応荷重装置を追加したり、制輪子を従来の鋳鉄製から苗穂工場で製造されている特殊鋳鉄製制輪子に変えるなど、ブレーキ性能も向上させました。これは、当時JR北海道が進めていた列車の高速化を重視した施策の一つと考えられ、実際に自重を1トンの軽量化を実現させ、最高運転速度は110km/hまで引き上げることができました。もっとも、走行性のは向上したものの、運行する路線の状態などから、95km/hまでしか出すことができませんが、それでも高速性能を向上することができたというのは、当時、高速化こそが利用者への最大のサービスと考えていたJR北海道にとっては大きな意味のあるものだったといえます。

 

JR北海道に継承されたキハ54形500番台は、製作当初は廃車発生品であるDT22系台車を装着していた。しかし、高速化をはじめとした走行性能を向上させるなどのために、軽量ボルスタレス式のN-DT54形に換装した。この台車換装によって、乗り心地が向上したことはいうまでもないだろう。(©Chatama, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

 

 また、500番台は比較的長距離を乗車する乗客や、観光利用の乗客も多いと考えられたことから、車内設備も改善させました。特にクロスシート部は、キハ183系の更新などによって発生した簡易リクライニングシートに交換し、座席配置を中央部に向けた「集団見合い式」に変えました。釧路配置の車両はこれよりもさらに推し進めた形で、座席は海峡線で運用されていた50系5000番台の廃車によって発生した座席に交換されました。そもそもこの座席は、海峡線開通に備えて50系客車を改造したときに、0系新幹線電車の廃車発生品である転換クロスシートを再転用したもので、いかにしてコストを抑えることに腐心しているかが覗われます。

 こうした更新工事とは別に、JR北海道のキハ54形には急行列車として運用することが前提の車両も存在しました。札幌駅と稚内駅との間を結ぶ急行「礼文」は、特急「宗谷」を補完する優等列車として運転されていました。その走行距離は396.2kmにも及ぶ長大なもので、東海道新幹線でいえば営業キロで東京駅と岐阜羽島駅とほぼ同じで、この長距離列車にキハ54形が充てられることになったのでした。

 1986年12月に、急行用として製造された3両のキハ54形(527〜529)は、急行料金を必要とする列車として遜色の内容に、新製当初から座席に転換クロスシートが設置されていました。もっともこのシートは、快速「海峡」用に用意された50系5000番台客車と同じく、0系新幹線電車の廃車発生品が使われました。やはり、廃車となった車両から使えるものを再利用することで製造コストを抑えたのでした。

 この急行用に製造された3両の500番台は、計画通りに急行「礼文」に充てられ、札幌駅と稚内駅の長距離輸送に活躍しました。もともと「礼文」はキハ54形への置き換え前から前者普通車のモノクラス編成であったことや、あくまでも道央ー道北間の連絡輸送は「宗谷」が主体であり、「礼文」はこれを補完するための存在だったので、グリーン車の連結は必要ないとされていたのでしょう。

 しかし、JR北海道は高速バスとの激しい競争にさらされ、これに対抗する必要から2特急列車の最高速度を向上させていきました。札幌駅ー旭川駅間で運転されていた特急列車の最高速度が引き上げられ、特急「スーパーホワイトアロー」の運転が始められるなど、その環境は大きく変化していきました。そして、「礼文」は札幌駅ー旭川駅間の運転をとりやめ、旭川駅稚内駅間に運転区間を短縮させました。札幌駅からの利用客は「スーパーホワイトアロー」と「礼文」に乗り継ぐために旭川駅での乗り換えが必要になりましたが、それでも所要時間は5時間強で収まったため、「宗谷」や「サロベツ」よりも早いという珍しい現象もあったのでした。

 

急行「礼文」の運用に充てられているキハ54形500番台。このように、一部は急行列車での運用を前提としたため、車内設備などを優等列車向けに変更して落成している。札幌ー稚内間で運行されていた時期もあり、その走行距離は396.2kmにものぼり、所要時間も5時間21分にもなった。この所要時間は、現在の東海道・山陽新幹線における東京ー博多間に匹敵するものであり、これだけの長距離・長時間走行をキハ54形はこなしたのだった。(©Rsa This photo was taken with Canon EOS 700D, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

 

 2000年代に入り、JR北海道は都市間連絡列車のさらなるスピードアップをすることにしました。特に長距離運転で所要時間も長い「宗谷」の所要時間を短縮させることは、喫緊の課題と考えられたのでしょう。そのため、宗谷本線の軌道改良工事をするとともに、新型特急用気動車のキハ261を充てて、「スーパー宗谷」を設定しました。このときに、「礼文」は札幌駅ー稚内駅間に運転区間を延長したうえで、特急に格上げして「スーパー宗谷」に編入されたことで、1961年の運転開始以来、途中2年間の「利尻」へ統合されたことを除いて、長きにわたる歴史に幕を下ろしたのでした。

 「利尻」が「スーパー宗谷」に統合されたことで、急行用として走り続けてきた500番台の3両はその役目を終え、旭川に配置のまま一般仕様と同じ普通列車を中心とした運用に充てられました。もっとも、一般仕様の車両も更新工事によって座席は急行仕様と遜色ない程度にアップグレードされているので、大きな差はないといえるでしょう。

 

 

お詫び

急行「礼文」に関する既述に誤りがありました。正しくは、急行「礼文」は旭川稚内間の運行であり、運転距離も259.4kmです。執筆時に資料の読み取りと解釈に誤りがあったためでした。ご指摘くださった読者様に御礼を申し上げるとともに、お詫びして当該箇所をの削除訂正をさせていただきます。

 

《次回へつづく》

 

あわせてお読みいただきたい

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info