旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

峠に挑んだ電機たち《第1章 国鉄最大の急勾配の難所・碓氷峠》【22】

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《前回からのつづき》

 

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 EF63形は常に碓氷峠区間で補機専用として運用することが前提でした。そのため、ここを通過するすべての列車は、EF63形の力を借りなければなりません。言い換えれば、EF63形の連結なしでは通過することが許されないという、特異な鉄道だったともいえるでしょう。そして、EF63形は常に麓側になる横川方に連結され、下り本線の登坂時には最後尾から列車を押し上げる形になり、上り本殿での降坂時には重力に引っ張られて加速しようとする列車を、先頭に立って強力なブレーキを使って規定速度を超えないように押し止める役割を担いました。

 強力で安全装備を多くもったEF63形が補機として必ず連結されるとはいえ、碓氷峠区間を通過する列車には多くの制約が課されていました。

 

客車列車(下り・登坂)

360トン

EF62+客車+EF63+EF63

客車列車(上り・降坂)

客車+EF62+EF63+EF63

貨物列車(下り・登坂)

400トン

EF62+貨車+EF63+EF63

貨物列車(上り・降坂)

貨車+EF62+EF63+EF63

電車または気動車

 

電車・気動車8両(80系、185系は7両)+EF63+EF63

 

 客車列車の場合、戦後を代表するスハ43系は1両あたりの空車換算3.5、積車4.0とすると、最大でも9両編成が限度でした。貨物列車の場合は、代表的有蓋車であるワラ1形は空車換算1.0、積車2.0だったので、最大でも20両編成が限度だったのです。

 一方、碓氷峠区間は電車や気動車による列車も運行されました。自力で走行できるとはいえ、やはりEF63形の連結は必須でしたが、こちらの場合は新性能電車や気動車は最大8両編成まで、旧性能電車の80系と新性能電車の185系は最大で7両編成までという制限がありました。加えて、どの車両でも通過が許されているのではなく、台枠や連結器が強化されるとともに、重量の重い電動車が必ず横川方に連結されるなど、数々の対策を施した、いわゆる「横軽対策」がなされた車両でなければ足を踏み入れることが許されませんでした。

 このような制約、特に連結できる最大の両数の制限は、輸送力が逼迫しその増強が求められる中では大きな足かせでした。ラック式時代に比べて、所要時間が大きく短縮することができ、列車の運行頻度を向上させることができたとはいえ、それでも限度があったのです。

 

EF63形が動態保存されている碓氷峠鉄道文化むらでは、一般の人が実車を操縦する体験ができる。国内の鉄道保存施設では唯一の存在で、その人気は高いという。EF63形を操縦するためには、事前に施設が実施する講習を受けなければならないが、本物の機関車であることから必要なことだと言える。講習を受講し終えると、憧れの機関車の運転席に座り、機関士の気分が味わえる。その体験ができる線路は、かつては信越本線の一部を構成していた本物の「本線」であり、軽井沢へ向かって登り始める場所でもある。その線路上を、EF63形のうち11・12号機と24・25号機の4両が使われる。講習直後は単機での運転になるが、経験を重ねて「資格」を取ることで重連の運転も体験できるという。撮影したのは7月で、暑い中での運転になるため、側面の窓はもちろん、全面の貫通扉も「開けっ放し」だ。実際に、貫通構造の機関車ではこのように貫通扉を開けっ放しのまま乗務する機関士もいたという。(EF63 25 碓氷峠鉄道文化むら 2011年7月18日 筆者撮影)

 

 そして、「横軽対策」が施された電車は、本来であれば自力で走行できるにも関わらず、碓氷峠区間では自力で走ることは許されず、EF63形が連結されても客車などと同じように無動力でなければならないのです。せっかく自力で走る機器と能力をもっているのにもかかわらず、このような運用はある意味無駄であり、この能力を活かせま列車の運行本数は増やせなくても、1本あたりの輸送量を増やすことができます。

 そこでEF63形は、特殊な機能をもった電車と協調運転をすることも前提として設計されました。通常、機関車における協調運転は、機関車同士、すなわち総括制御回路を使って、重連ないし3重連の機関車を1つの運転台に乗務した機関士の操作によって行われます。碓氷峠区間では、上り列車・降坂時に前補機として連結されたEF63形に乗務した機関士が、その後部に連結された本務機であるEF62形も含めて3両の機関車を制御するのです。このとき、EF62方にも機関士は乗務していますが、原則として運転操作をすることをすることはないのです。

 ところが相手が電車の場合、総括制御回路がないのでこうした運転方法は採らません。

 

EF63形は碓氷峠を通過するすべての列車に連結され、下り列車として坂を登るときには横川方から列車を押し上げ、上り列車として坂を降りるときには強力なブレーキと国鉄電機として最大の重量を活かして列車全体の速度を抑えるブレーキ役だった。しかし、こうした特殊な運用をこなすために、軽井沢方の前面スカート部には各種の車両と連結できる装備を持っていた。連結器は並型連結器と密着連結器の両方を使える「双頭連結器」が装備され、電気的に接続するためのジャンパー連結器も形式に応じたものが備えられ、物々しい雰囲気を醸し出していた。(EF63 10 碓氷峠鉄道文化むら 筆者撮影)

 

 169系や189系、489系は碓氷峠区間を通過する列車の輸送量を強化するため、EF63形と協調運転が可能な装備をもった電車が登場すると、従来の8両編成から最大12両編成にまで増結が可能になり、輸送力も強化することができました。

 電車との協調運転の場合、EF63形とジャンパ連結器で電気回路を構成します。EF63形に乗務した機関士が運転操作をすることにより、機関車だけでなく電車側も機関士の操作によって力行や制動といった動作をすることができるのです。このとき、電車に乗務する運転士は、碓氷峠区間では一切の運転操作をすることが禁じられ、下り列車で登坂時は、運転士は信号確認や前方監視の役割を担い、無線を通して機関士にその情報を知らせるのみで、上り列車・降坂時はそうした作業もない状態で乗務していました。

 この協調運転によって、最大で12両編成にまで増強でき、輸送力が格段に上がったのは言うまでもありません。特急列車の場合、グリーン車も2両、食堂車も1両連結できる余裕ができ、サービス面でも大きく改善することを可能にしました。

 

169系や189系、そして489系は碓氷峠区間を通過するすべての車両に必須とされた「横軽対策」に加えて、補機となるEF63形との協調運転を可能にするシステムを備えたことで、最大で8両(ただし、80系電車と185系電車は7両)に制限されていたのを、12両にまで引き上げることで輸送力を増強することを可能にし、旺盛な信越本線の旅客需要に応えた。分割民営化後も、北陸新幹線長野開業までは「あさま」などの特急列車が運行され、189系などで組成された列車は8両を超えた編成を組んでいた。写真は登場時のぶどう色2号に塗られ、碓氷峠を下ってきたEF63形24号機を先頭にした189系。(パブリック・ドメイン

 

《次回へつづく》

 

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