旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

峠に挑んだ電機たち 第2章 奥羽山脈越えの隘路、33.0パーミルの板谷峠【10】

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《前回からのつづき》

 

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 1980年になると、更に2両が増備されます。これは、奥羽本線経由で上野ー青森間を結んでいた寝台特急「あけぼの」が、20系から24系25形へ変更され、さらに連結両数が増やされることに伴うもので、2次車の製造から10年が経っての増備でした。3次車となるこの2両は、主電動機をMT52B形に変更され、機関士の1人乗務に対応するため運転室内に扇風機を設置、20系客車を牽引するときに使う電磁ブレーキ用のジャンパ栓を新製時から装備するなどの変更が加えられました。また、従来は切り抜き文字を車体に直接取り付けていたナンバーも、エッチング処理をしたブロック式に変わり、外観も僅かに変化しました。 

 総勢13両のED78形は、EF71形とともに奥羽本線板谷峠区間を越える列車を中心に、国鉄分割民営化までその数を減らすことなく運用が続けられました。そして、1987年になると、配置区所であった福島機関区の名称が福島運転区に改められました。これは、機関区という名称が貨物会社の帰属となるため、旅客会社が継承する運転区所で機関区を名乗っていたところは、すべて変更されることになったためでした。そして、この年の4月にJR東日本が発足すると、ED78形は福島運転区配置のままこれに継承されました。 

 JR東日本に継承されたED78形は、そのまま板谷峠区間を通過する列車に使われました。しかし、分割民営化後に多くの車両に貼り付けられたJRマークは、ED78形とEF71形にはありませんでした。あくまでも推測ですが、ED78形とEF71形は運用区間が限られていたことや少数機であること、そして奥羽本線が福島駅ー山形駅間が改軌工事によって新幹線規格に変更され、近い将来廃車になることが前提になっていたからだと考えられます。 

 1990年代に入り、ED78形にとって運命の刻々と近づいていきます。1990年から始まった福島駅ー山形駅間の標準軌への改軌工事が始まり、山形新幹線の開業にむけて着々と計画が進められていきます。この工事の影響で、貨物列車は仙山線を経由するようになると運用もそちらに集中するようになります。 奥羽本線の運用は送り込みを兼ねた列車以外はなくなり、事実上、同線から撤退した形になりました。 

 

碓氷峠に次ぐ国鉄の難所だった板谷峠用として製造されたED78形だったが、EF62形やEF63形とは対称的に廃車後に保存されたものは僅かだった。交流機という地味な存在と、板谷峠碓氷峠ほどは注目されなかったことも理由の一つであると考えられる。しかし、33.0パーミルという勾配は粘着式の鉄道にとっては間違いなく厳しいものであり、これに対応した特殊な装備をもったED78形やEF71形の存在は、奥羽本線を走る列車にとって欠かすことのできない存在だったといえる。2025年現在、EF78形は1号機が保存されているのみだが、1号機は廃車後に製造した日立製作所に引き取られ、屋根のある展示施設で静態保存されている。(© DAJF / Wikimedia Commons

 

 1991年には改軌工事が進んだことを受けて、相方であるEF71形は定期運用を失い姿を消していったのに対し、ED78形は仙山線を経由する貨物列車などの運用もあったため、そのまま残ることができました。そして、1993年になると新製以来、長らく過ごしてきた福島所の車両配置がなくなり、ED78形は新たな住処として仙台電車区に配置転換しました。 

 仙台区に配転後も、仙山線では引き続き貨物列車の運用に充てられました。この頃はすでに軌道強化工事が終わっており、軸重可変機構を持たないED75形も入線することはできましたが、勾配区間があることから回生ブレーキを使うことができるED78形が貨物列車の運用に入っていたのでした。しかし、1996年に山形駅での貨物取扱が終了して自動車代行駅へ移行したことによって、仙山線高速貨物列車の設定がなくなり、ED78形の定期運用もほとんどなくなりました。そして、1998年に専用貨物列車の設定もなくなったことで、すべての定期運用を失ったことで、12・13号機を除いて廃車となりました。

 残った2両は仙台区への配置が続きましたが、列車を牽くのではなく、空きなどに線路上に落ちた葉を取り除く「落ち葉清掃列車」として細々とした運用が続けられるに限定が運用されたのです。

 しかし、それも長く続くことはなく、2000年に最後まで残って「落ち葉清掃」の運用に就いていた12・13号機の2両もその役目を終えて廃車となり、1968年から30年間、険しい地形で厳しい勾配、そして冬になると豪雪地帯でもある厳しい中での活躍に終止符を打ったのでした。

 

《次回へつづく》

 

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