旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

【今週の1枚】EF510-515

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EF510-515〔田〕 新鶴見機関区 2011年4月28日 筆者撮影

■EF510-515

 JRの電気機関車といえば、今ではJR貨物が大多数を保有していることは、多くの方がご存知のことでしょう。特に2010年代に入ると、長らく走り続けてきた寝台特急や夜行急行といった客車列車が次々に廃止となって姿を消していくと、旅客会社が機関車を保有する理由はほとんど失われてしまいました。

 2026年現在も残っているのはごく少数で、それも国鉄から継承した車両ばかりなので、老朽化やそれに起因する運用コスト、機関車独特の検修や運転技術が必要で、その技術を維持継承していく理由も失われつつあり、多くは気動車や電車などの事業用車に取って代わられつつあります。

 しかし、今から15年前は旅客会社にも機関車を保有する理由がそれなりにあり、特にJR東日本は2009年から新型電機を製造し導入しました。もっとも、JR東日本が自ら保有する電機を一から開発するのは、コスト面で非常に不利であることから、当時、JR貨物が増備新製を続けていた車両に、独自の仕様を盛り込むことで、開発コストをかけずに導入したのがEF510形500番台だったのです。

 そのEF510形500番台ですが、その発注方法がJR貨物とまったく異なるものでした。

 機関車の総本山ともいえるJR貨物は、財政基盤が旅客会社と比べて脆弱な上、毎年のように大量のコンテナを取り替えなければならず、そこへ国鉄から継承した古い機関車も数多くあることから、こちらも取替用の車両を製造しなければならない、ある意味ではコストの掛かる構造でした。

 そのため、EF81形などは更新工事を施して延命しつつ、新車を毎年数両ずつ新製して導入する方法がとられています。EF510形0番台は2001年に先行量産機である1号機が製造されて以来、2026年現在も製造が続けられています。もっとも現在は0番台ではなく九州島内仕様の300番台に移っていますが、ロングセラーであることには変わりないでしょう。

 ところが、JR貨物のEF510形は、2010年と2011年の2年間は1両も製造しませんでした。この2年間は、JR東日本向けの500番台が集中的に製造され、ただでさえ高価な電機を2年間で一気に15両も増備するあたりは、その財力に物を言わせたと言っても過言ではないでしょう。また、JR貨物にEF510形の製造ラインを2年間とはいえ明け渡させ、自社向けの車両だけをメーカーに製造させるあたりは、盤石な財政基盤を持つJR東日本しかできない「荒業」と言えるかもしれません。

 

 EF510形515号機は、2011年に川崎重工(現在の川崎車両)と三菱電機のコンビで製造された、500番台のラストナンバー機です。

 500番台の僚機たちとともに、老朽化するEF81形の置き換え用としてして新製されると、田端運転所の配置となりました。

 主に寝台特急「北斗星」や「カシオペア」を牽く運用に充てられ、その塗装からも分かるように、生まれながらにして花形仕業を約束された存在でした。

 もっとも、寝台特急だけの運用では15両は多すぎる陣容です。この花形仕業の裏では、会社発足以来、JR貨物から委託されていた常磐線系統の貨物列車を牽く運用にも充てられていました。

 これは、JR貨物が保有する機関車の一人、それを運転操縦する機関士の数を必要最小限にするための措置で、会社発足以来長らく続けられてきた施策でした。そのため、旅客会社が保有する電機が貨物列車を牽き、これに乗務するのはJR貨物の機関士ではなく、JR東日本の機関士だったのです。

 このような背景があったため、田端配置のEF510形500番台は頻繁に新鶴見にもやって来ていたのでした。

 しかし、EF510形500番台は、会社の方針に振り回されることになります。

 2015年になると、JR東日本は製造してから間もないEF510形500番台、15両全車を廃車除籍しました。2010年に501号機が製造されてからたったの5年、ラストナンバーである515号機は4年で御役御免とされてしまったのでした。

 これは、北海道新幹線の開業が大きな影響を与えていたといえます。

 青函トンネルは北海道新幹線の開業によって、電化方式が在来線向けの交流20kV50Hzから、新幹線受けの交流25kV50Hzへ転換・昇圧されたことで、それまで青函トンネルを越えていたEH500形が入線できなくなり、運用範囲が青森以南に短縮されたためだと考えられます。

 運用区間の短縮により余裕が出てきたことで、分割民営化以来、長らく続けられてきた首都圏を中心に常磐線系統の貨物列車の運転委託を終わらせ、EH500形にその運用を代えること可能になった東宇環境の変化でした。

 それに加え、首都圏と北海道間を結んでいた寝台特急も廃止が決まったことも、EF510形500番台の運命を決めたと言ってもいいでしょう。客車列車が廃止されてしまえば、いくら最新型といっても出番はほとんど失われてしまいます。

 このように、たったの4年でEF510形500番台を取り巻く環境が大きく変化した結果、JR東日本はEF65形やEF64形1000番台などを残し、15両の新車が御役御免となる憂き目に遭う羽目になりました。

 最終号機である515号機も2015年にJR東日本としては廃車除籍されると、富山へと送られました。そして、旅客会社仕様の機器を下ろされ、代わりに貨物仕様の機器を搭載し整備したうえで、2016年にJR貨物としての車籍を取得して富山機関区配置となって日本海縦貫線の貨物列車運用に充てられるようになったのでした。

 2026年現在も、富山機関区に配置されて、日本海縦貫線を中心に貨物列車の運用に就いていますが、0番台と異なり青色を基調とした塗装を身にまとって、日本海縦貫線を走り続けています。