旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

国鉄の置き土産:キハ38形が繋いだ非電化路線のバトン【21】

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エピローグ:キハ38形とは何だったのか|八高線・久留里線を支えた国鉄最後期の気動車

《前回からのつづき》

 

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 1986年、国鉄末期の混乱と合理化の波の中で登場したキハ38形は、わずか7両という小さな存在でありながら、八高線や久留里線といった首都圏の非電化区間を支え続けた車両です。

老朽化したキハ35形の車体更新として、そして新会社へ技術を引き継ぐための“橋渡し役”として、短い期間に濃密な役割を果たしたといえるでしょう。

 その後、電化の進展や人口減少、輸送体系の変化といった時代の流れは容赦なく、キハ38形を必要としなくなっていきました。

 しかし、廃車後も解体されず、国内外で第二の人生を歩んだことは、国鉄技術陣が最後に送り出したこの車両の設計思想が、いかに確かなものであったかを物語っています。

 水島臨海鉄道で八高線色を纏い直して走り続ける104号、ミャンマーの陽光の下で再び人々を運ぶ仲間たち、そして房総の地で静かに保存されている1号車。

 それぞれが異なる場所で、国鉄末期の技術と精神を今に伝えています。

 

房総半島の中部、東京湾側から房総丘陵にかけての短い路線である久留里線で活躍したキハ38形は、そこから姿を消して早くも15年近くの月日が経った。首都圏近郊、周囲は電化路線に囲まれた久留里線は、近代化の波から忘れ去られたかのように気動車が走り続けていた。沿線の人口が少ないこと、道路が整備されたことで自動車主体の生活が成り立っていることなどから、久留里線を取り巻く状況は非常に厳しい。それでも鉄道が残っているのは、沿線の高校などに通学する学生の需要に支えられているともいえる。そして、久留里線に乗って学校に通った経験がある人たちにとって、キハ38形は記憶の中で今も走り続けているかもしれない。(出典:写真AC)

 キハ38形は、国鉄気動車史の最後を飾る“締めの一筆”として、今も鉄道史の片隅に静かに名を刻み続けています。

 その存在は、気動車が担ってきた地域の暮らしや、鉄路を支えた技術者たちの思いを、これからも静かに語り継いでいくことでしょう。

〈了〉

 

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