旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

もう一つの鉄道員 ~影で「安全輸送」を支えた地上勤務の鉄道員~ 第二章 見えざる「安全輸送を支える」仕事・財布にはドル札、片手に英語の辞書【4】

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財布にはドル札、片手に英語の辞書【4】

 新しく描き直した図面には、駅本屋を示す記号は描かず、すでに撤去されてなくなった線路も描かなかった。そのおかげで、ずいぶんとスッキリした図面になっていたと思う。

 ようやく配線図が完成すると、今度は転轍機の定位方向や番号を書き入れていく。

 ところが、ここで一つ問題があった。

 図面の記号は鉄道独自のものだからいいとして、問題は転轍機の番号だった。転轍機や信号機には必ず番号が振られている。片渡りの転轍機なら「42」のように数字だけだが、両渡りとなるとそれぞれに「43イ」や「43ロ」のように、カタカナが付けられる。

 社内で使うだけならこれでも構わなかったが、アメリカ軍にも提出する図面なので、そのままというわけにはいかなかった。数字は万国共通だが、カタカナはどうにもならない。

 古い図面にはそのまま日本語で書かれていたけど、描き直しをしているのでそうもいかなかった。
 さすがにこれはどうしたものかと、書き上げた図面を眺めながら考え込んでしまった。

 そこで考えついたのが、ローマ字表記に書き直すことだった。
 「43イ」なら「43-i」のように書き表したのだ。
 もっともこれが正しいのかと聞かれると、「その通り」ともいえるし、「いや、そうではない」ともいえる。日本語の独特の表記を英語に直すというのは、簡単なようでそうではなかった。

 英語で書くのはこれだけではなかった。
 転轍機や電話機など、線路に設置してある電気設備を一つひとつ英語で書かなければならなかったのだ。しかも鉄道の設備は専門用語のかたまりみたいなもので、それを英語に訳すのだから恐ろしく難しい作業だ。

 極めつけにその作業をする私自身、英語はからっきしダメときている。中学校から高校までの6年間、英語の成績は他の教科と比べると悲惨なほど酷い成績だった。
 それだけ、英語は大の苦手で大嫌いな学業だった。
 そんな英語を使わなくてもいいように(?)、日本語だけを使う鉄道会社に入ったのが、まさかここで英語と対峙しなければならないなど、思いもしなかった。

 ともかく、仕事である以上は苦手だろうが嫌いだろうが、そんなことを言っているわけにもいかず、英語の辞書を片手にしながらこの作業はとにかく苦労させられた。
 さらに、専門用語も携わる分野によって同じものでも呼び方が変わってしまうので、いったいどの言葉を訳せばいいのかということにも難儀させられた。

 たとえば皆さんが「ポイント」と呼ぶ、線路が分かれる設備。電気(信号)では転轍機(てんてつき)と呼ぶが、施設(保線)では分岐器(ぶんぎき)と呼んでいる。広い意味ではどちらも同じものを指しているので、鉄道に携わる人でない限り区別することはない。

 だから、どっちを使っても間違いではないといえばそうなのだが、私がつくった図面や書類は、年に一回だけアメリカ軍へ提出することになっている、必要な検査や補修工事をするためのもの。そして、この検査や補修工事の契約はなんと日本政府(当時の防衛施設庁)とアメリカ政府(国防総省)が交わし、貨物会社は日本政府に代わって検査や補修工事を実施するというものだった。

 だから、「まあ、これでいいだろう」のように、良くも悪くも手を抜いたものをつくるわけにはいかなかった。用語も正しく訳さないとならないと、これまた先輩たちにしつこいくらいに言われたものだ。

 そのため、転轍機と分岐器も日本語では違うように、英語に直すと転轍機=Switchだが、分岐器=Splitterとなってしまう。見た目に同じものでも、鉄道会社の職種によって呼び方がかわれば、英語での呼び方も変わってしまうから厄介だった。

 さてさてどうしたものか、ここでもまた悩んでしまった。
 とにかく手持ちの辞書はある程度は役に立ってくれたが、さすがに鉄道の、それも信号設備や線路施設のような専門的な用語はカバーしてくれなかった。

 いまのようにインターネットで簡単に機械翻訳ができれば苦労はない。

 それでも何とかしなければならないと、古い資料にあたったり、図書館で資料を探したりして、ようやく訳することができた。
 図面の原本ができあがると、主任の先輩たちに見てもらった。もちろん、日本語で書いたものと、英語に訳して書いたものの両方を見てもらった。そして、英語に訳した方は、いままで使っていた図面と訳語が違うことを指摘されたが、その訳語を使った理由を説明したことで納得してもらえ、ようやく合格をいただくことができた。

 構内配線図と信号・通信設備配置図の原本ができあがると、今度はその図面のコピーをつくらなければならない。コピーといっても、会社やコンビニにあるようなコピー機でつくるのではなく、青焼きコピー機という機械でコピーをつくった。
 この機械でコピーをつくると、コピーされた紙は青色の濃淡で表現される。よく、工事現場などで設計図面を広げると青っぽい色したものを目にすることがあるが、それと同じものだった。
 一般的なコピー機は紙のサイズが決められていて、どんなに大きくてもA3サイズまでしかコピーができないが、青焼きだとロールされた長尺の複写用紙があるので、それを図面の原本と同じ長さに切って、途切れることなくコピーをつくることができた。
 それを電気区の職員の人数分つくって、新しい構内配線図として配った。
 ここまでできれば、とりあえずは図面の更新作業は終わりだったが、仕事自体はそれでお終いというわけにはいかなかった。