いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。
先月の半ばごろより、当ブログは毎週火曜日と木曜日、そして土曜日に更新しております。これに加えて不定期になりますが、日曜日にコラムを投稿することにいたしました。鉄道職員時代の回顧録などを中心にお届けできればと思います。記事によっては連載となる場合もありますが、その場合は次回の掲載予定日をページの最後で予告いたします。
今後とも、当ブログをご愛読頂ますよう、お願い申し上げます。
世代交代というのはいつの世にもついて回ります。長年に渡って活躍してきたベテランが去り、次の世代にその役割を引き継いでいく、こういった光景は職場や学校など様々な場面で繰り広げられてきました。
それは鉄道車両の世界でも同様で、長きに渡って走り続け、そして親しまれたものもいつかは去っていきます。
EF81形300番台も、その日が訪れようとしています。国鉄形車両としては異色のステンレス車体をもち、外板厚さを薄くしたため強度を保つためのコルゲートを巻き、その無骨な外観もあって「銀釜」として多くのひとに親しまれながら、本州と九州の間をつなぐ役割を担い続けてきましたが、製造からすでに半世紀近くが経ち、後継となるEF510形300番台の増備もあって、退く日も刻々と近づいています。
「銀釜」ことEF81形300番台は、本州と九州を結ぶ関門トンネル区間専用の交直流電機として製造されました。それまで、この区間はEF30形が担っていましたが、列車の増発で所要数が不足することから、当時量産が続いていたEF81形0番台をもとに、車体外板をEF30形でも採用して良好な成績だった耐食性の高いステンレス鋼を採用したものです。
車体外板にステンレス鋼を使った理由は、主な活躍の場であった関門トンネルの環境でした。関門トンネルは関門海峡の海底下に建設された日本で初の海底トンネルですが、ここは常に塩分を含んだ海水が坑内に滲み出しています。そのため、ここを通過する車両は塩分を含んだ水分にさらされるため、塩害などによる腐食対策が必要でした。電車や客車、貨車は、全体の走行時間と比べてここを通過する時間はごく短いものですが、関門トンネル専用の電機は、これらとは比較にならないほど多くの時間を海水を浴びる事が多いのです。そのため、関門区間専用機は代々このステンレス鋼を車体外板としてつかってきたのでした。
さて、筆者は鉄道職員時代、この銀釜のねぐらである門司機関区に勤務していたことがあります。当然、この銀釜は何度も見かけ、自分の生活の中での後継として溶け込んでいた時期もありました。
貨物列車では幡生操ー門司駅間は関門仕様のEF81形が担っていた。列車密度が高いため、門司から幡生操への単機回送は重連だけでなく四重連での運行も設定されていた。そのため、写真のように連結されている4両すべてが番台区分が異なるということも見られた。(EF81 404〔門〕 門司駅 1991年5月頃 筆者撮影)
鉄道職員として採用されて、九州の門司に赴任して一番の「楽しみ」は、やはりこの関門区間専用機である銀釜を間近に見ることでした。東京近郊に生まれ育った筆者にとって、赤い電機はもちろん、このわずか3.6kmほどのトンネルのために特殊仕様としてつくられた銀釜は、遥か遠くの地でしか見ることができない存在なので、それはそれは貴重な存在に映ったのでした。
そして、実際に門司機関区の構内に入ると、そこには真っ赤な塗装を身にまとったED76形はもちろん、ローズピンクに塗られたEF81形400番台、そしてお目当ての銀釜の姿がそこにあり、密かに興奮したものでした。
品源というのは一つの目的を達成すると、欲を出してしまうものでしょう。お目当ての銀釜を自分の目で見るという目的を達成すると、今度は「乗ってみたい」などと考えてしまったものです。
そして、その欲を満たす機会が巡ってきたのです。
門司機関区勤務中は、主として機関区における車両の検修業務についてのOJTでした。ただ、いずれは機関士になることを前提として採用されたので、何度か実際に営業列車を牽く機関車への添乗実習があり、その中に関門間を走る列車に乗る機会を得たのでした。
関門間を走る貨物列車を牽く機関車に乗れるといっても、必ずしも銀釜に当たるとは限りません。当時、門司機関区には300番台は4両全車が配置されていましたが、そのうち2両の301号機と302号機は国鉄時代に常磐線に転属したときに、なんとほかの0番台と同じローピンに塗られてしまいました。分割民営化の直前に古巣の門司に帰ってきましたが、一度ペンキを塗られてしまったために元の姿に戻すことはできなくなってしまったのです。
300番台だけなら確率は50%で銀釜に当たりますが、これだけではすべての列車をこなすことはできません。かつてはEF30形という同じ銀釜の僚機がいましたが、老朽化などによって既に姿を消してしまっています。その跡継ぎとしてやってきたのが、0番台を関門仕様に改造した400番台で、当時は401号機から408号機の8両がいました。そして、増発する列車に対応するためにリピートオーダーとして450番台も仲間に加わり、こちらは451号機と452号機の2両、つまり、銀釜2両に対して12両の塗装されたEF81形がいたので、これに当たる確率は約17%しかありませんでした。
そんな低い確率ですが、関門トンネルを通過する列車の、それも機関車の運転台に乗れるので、それはもう興奮したものでした。たった数分で九州と本州を行き来でき、それもトンネルの中をじっくりと観察できるのも楽しみでした。
添乗前の点呼を受けると、門司機関区構内にある指定された場所まで行くと、そこにはこれから関門トンネルを通って幡生操まで向かう単機回送列車が発車の時を待っていました。
《この稿、次回は3月23日(日)に掲載予定です》
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