《前回からのつづき》
鉄道による郵便・荷物輸送用として数多くの気動車を保有していましたが、キニ28・キユニ28形とキニ58形は、国鉄が最後に製作した車両でした。
キユニ28形はローカル線における郵便荷物輸送用として、全部で28両が製作されました。その配置先は様々で、名古屋局の美濃太田機関区や水戸区の水戸機関区、秋田局の山形機関区をはじめ、本州以南の各地での運用に充てられ、老朽化したキユニ17形などの気動車を置き換えていきました。
キユニ28形は全国に分散して配置されましたが、中でも四国局の高松運転所に配置されたキユニ28 22の運用が特筆されるでしょう。定期運用としては急行「土佐」に併結される形での運用でしたが、高松発高知行きの207Dは高知方にキユ25形とキユニ28形を連結していました。

同じキハ58系に属していながら、郵便車として製作されたキユ25形は、車籍こそ国鉄に置いていたが、保有は郵政省という私有車であった。キユ25形は取扱便の郵便者としての運用に充てることができ、車内には鉄道郵便局員が郵便物の区分作業をするための設備を備えていた。そのため窓が少なく、特に夏季は少しでも車内の温度を下げようとして窓を開けると、今度は郵便物が風に飛ばされてしまうことになる。乗務する鉄道郵便局員の執務環境を改善するため、キユ25形は製造当初から、AU13形分散式冷房装置を搭載していた。車両製造の費用負担が、財政事情が非常に厳しい国鉄ではなく郵政省であったことから、当時としては「贅沢な設備」であった冷房装置の搭載が可能になった。(©spaceaero2, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons)
郵政省所有の郵便起動車であるキユ25形を連結しても輸送量が足りなかったのか、郵便輸送を含めた運用の都合だったのか定かではありませんが、このような形で組成していることは、当時はまだ道路の整備が今日ほど進んでいなかったため、鉄道による輸送が重要な位置を占めていたと考えられるでしょう。
とはいえ、キユ25形は冷房を搭載しているので、乗務する鉄道郵便局員にとっては快適な執務環境であった一方で、キユニ28形は国鉄所有であるがゆえに非冷房だったので、もしもこちらに鉄道郵便局員が乗務していたとなると、キユ25形に当たった局員は「当たりだ」、キユニ28形に当たったら「ハズレだぁ」などと思ったり、あるいは話題にしたりしていたかもしれません。
キニ28形はたったの4両しか製作されなかった、いわば国鉄の珍車ともいえる存在です。この内、1と2が名古屋第一機関区へ、3〜5が高松運転所に配置されました。
名古屋一区にこの2両が配置されると、もとから配置されていたキニ26形を玉突きで四国に追いやり、代わりに急行「紀州」などの列車に併結する運用に充てられました。そして、この「紀州」もまた、急行「土佐」に劣らぬ珍編成を組んでいました。
名古屋発、紀伊勝浦行き「紀州5号」905Dは、短い5両編成で運転されていました。この内、名古屋方4両は旅客用で、紀伊勝浦方にキニ28形が連結されていました。しかし、名古屋方4両のうち先頭車はキハ57形、次位にキロ28形、その次にキハ65形、そして最後にキハ57形というものでした。
キハ57形は信越本線碓氷峠区間を通過するための装備を持った特殊仕様で、基本的な構造はキハ58系と同じでしたが、台車は枕ばねをベローズ型空気ばねを装着したDT31/TR68形を履いていました。急行形気動車としては破格の空気ばね台車を履いていた理由は、当時の碓氷峠区間はアプト式であったため、ラックレールにブレーキてこが接触しないディスクブレーキを使い、乗客の多少にかかわらず高さを一定に保つことができるばねとして空気ばね台車が使われたのでした。
しかし、キハ57系は碓氷峠区間が粘着式に移行してしまうと、その特殊な機構も意味をもたなくなり、わずか2年で本来の役目を失ってしまいました。長野機関区から各地へ配置転換となっていき、そのうち一部が名古屋区には配置されての運用だったのです。
面白いのは、普通車はすべて空気ばね式台車、本来であれば普通車よりも乗り心地や静粛性が求められるグリーン車の方が金属コイルばね式のDT22/TR51形を履いているという逆転現象が起きていたことです。
同じ編成を組んでいた「紀州4号」とともに、キニ28形は主に新聞荷物輸送に使われました。「紀州5号」と「紀州4号」は夜行の気動車急行として運行されていましたが、1982年に夜行1往復が昼行2往復を残して廃止になると、名古屋区配置のキニ28形は荷物輸送全廃を前に編成から外されて、1979年に配置されてから3年ほどでその役目を失ってしまったのでした。
キニ28形が役目を失ってしまったのは「紀州」だけではありませんでした。国鉄の小荷物輸送そのものの利用が低迷していたことや、トラックによる宅配便の台頭とシェアが奪われていったこと、そして何よりも利用者のニーズが旧態依然とした国鉄のサービスが合わなくなっていったことなどで、新聞輸送など特定の輸送を除いて順次縮小していきました。
また、併結相手になっていた急行列車の削減も、キニ28形やキユニ28形にとって不利に働きました。併結相手を失っても、新聞輸送などといった特定荷物の利用があれば運用が続けられたと考えられますが、もはやこの時には荷物列車として単独での運用に変わっていたとも考えられます。
《次回へつづく》
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