《前回からのつづき》
カートレインは、汐留駅を発車すると、途中の停車駅は設定されず、終着の東小倉駅まで走り続けます。上り列車も同じ設定で、途中で停車するのは機関士が交代するための運転停車のみに限られました。また、列車の最高速度は100km/hに設定され、可能な限り高速で走り、所要時間を短くするという目標が掲げられました。
この条件に適した車両となると、さらに絞り込まれていきます。というより、大型有蓋車で最高速度100km/hに対応できるのは、10000系高速貨車の一員としてつくられたワキ10000形の他にはありませんでした。
もっとも、この頃はワキ10000形は大量の余剰車が発生していました。中には仕事を失って廃車となり、廃止されて機能をなくした旧操車場などで、解体される日を待つ車列に並んでいることさえあったのです。
当然、国鉄はこの条件に合った車両として、仕事を失ったワキ10000形に白羽の矢を立てました。ワキ10000形にとってはまさかの起用で、貨車という車両の性格上、花形の運用とは程遠い存在だったのが、一挙に檜舞台に躍り出ることになったのです。
もちろん、国鉄もそのままの姿でカートレインの運用に就かせることはしませんでした。妻板部と屋根は、山手線と同じ黄緑色で塗られていましたが、これを夜行列車のイメージに合わせるために、青15号に塗り替えたうえで、側扉には「カートレイン」のロゴを書き込んだ板を追加で取り付けました。
こうして、カートレインとして自動車を乗せて走ることができる貨車が用意されましたが、まだまだ課題が残っていました。乗客が持ち込んだ自動車を貨車に載せるには、そのままというわけにはいきません。ワキ10000形が側面の扉を総開き戸にしていても、ホームなどからは直角方向に載せるしかありませんでした。もっとも、自動車が横方向に動くことができればそのような苦労もなかったでしょうが、実際にはそんなことはできません。
そこで、発着する駅には自動車用のパレットを予め貨車の前に置いておき、乗客は持ち込んだ自動車を指定されたパレットの上に自走して乗せます。そして、走行中の揺れで自動車が揺れて内部の壁にぶつからないように、自動車とパレットの間をワイヤーあるいはチェーンで固定させると、待機していたフォークリフトが、パレットごと貨物室の中へと載せることにしたのです。
この方法であれば、自動車をワキ10000形に載せることができます。しかし、ワキ10000形は大型有蓋車とはいっても、貨物室の中の広さには限りがあります。そのため、載せることができる自動車は全長4670mm、車幅1700mm、そして車高は1985mmに制限されていました。このことは、後にカートレインが衰退していく遠因となっていきます。

乗客のマイカーを運ぶ車両として最初に考えられたのは、貨車である車運車だったその中でも、ク5000形は最も多く運用されていたため、積み下ろしのノウハウはあったものの、無蓋車の一種であるためブレーキ装置から飛び散る鉄粉がこびりつくなど、預かった車を汚損する危険があったため、早々にこの案は却下になった。そこで、屋根がありブレーキから飛び散る鉄粉など汚損する物から守ることができる有蓋車が適当であるとされ、中でも高速運転が可能な大型有蓋車を使うことにした。当時は車扱貨物輸送が原則として廃止され、多くの大型有蓋車が余剰車化していたが、その中から100km/hの高速運転ができるワキ10000形を、自動車績採用に改造して使うことにした。(©永尾信幸, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)
カートレインを利用する乗客は、持ち込んだ自動車とは別の車両に乗ることになります。深夜の東海道・山陽本線を走り抜けるので、乗客を乗せるためにそれなりの設備が整った車両を用意しなければなりません。
カートレインは夜通し運転される列車なので、これに充てる客車は寝台車が最も望ましいものでした。当時、最新の設備をもった寝台車は、24系や14系といった客車でした。24系はB寝台に二段式寝台を備えた25形や、14系にも同じ設備をもつ15形が存在しましたが、どちらも国鉄にとっては「虎の子」であり、当時、人気のあった寝台特急にもっぱら充てていました。
この最新鋭の車両をカートレインに充てることは、無理なことでした。そんなことをするには定期列車から車両を引き抜くことになり、寝台特急の定員を少なくして輸送力を削いでしまうからです。そして、予備車はあっても、その数は最小限しかないため、これを回すことも不可能でした。
そこで、国鉄が目をつけたのは余剰車両でした。これであれば、定期列車に影響を与えることもなく、カートレインにも必要な車両を充てることができます。当時、24系や14系の増備によって、古い20系は特急運用から外されて急行に格下げされているか、波動用の予備として残されていました。それでも、1980年代には車両の老朽化や、客室内の設備が時代に合わなくなるなど陳腐化し、第一線級の車両ではなくなっていました。そして、一部の車両は老朽化や余剰化によって廃車が進められ、中には解体の日を待つために旧操車場などで消えゆく「死者の列」に並んでいる状態でした。
国鉄はこの20系を活用して、カートレインに充てることにしました。といっても、20系のB寝台は、寝台幅520mm(52cm)、寝台間の高さが735mmの三段式という古い規格のもので、最新鋭の24系25形が備える寝台幅700mm(70cm)、寝台間高さ1110mmの二段式とは比べ物にならないほど、窮屈かつ居住性の悪いものでした。
さすがに1980年代半ばに、このような古い規格の寝台を備えた車両を、新たに運行するカートレインに充てることは、サービス面で難がありました。しかし、同じ20系でもB寝台ではなくA寝台であれば、それも解決できるのでした。

カートレインの乗客を乗せる客車もまた、ワキ10000形と同様に余剰車となっていた車両から選ぶことになった。24系や14系といった客車は寝台特急など定期列車の運用に充てられていたことや、国鉄としては比較的新しい車両でもあったため、カートレインに充てる余裕もなかった。かつて「走るホテル」と豪華な設備を誇り、夜行列車の最高峰とまで言われた20系は、新形式に押される形で格下げなどになるとともに、多くが役割を失って余剰車になっていた。ナロネ21形はプルマン式の寝台を備えた開放式A寝台車で、居住性もよいことからカートレインの運行に際して留置先などから呼び戻され、最後の花道を飾ることになる。(©spaceaero2, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)
波動用に残されていた20系の多くは、設備は陳腐化していても、寝台料金が安価なB寝台が中心でした。三段式寝台を備えたナハネ21形などであれば、1両あたりの定員も多くなるので、繁忙期には輸送力を確保できることが期待できるため、こちらが中心になっていました。
一方、A寝台は寝台が大きく快適性は高いものの、寝台料金は高くなるとともに、定員も少なく波動用としてはあまり適した車両とはいえません。そのため、B寝台車であるナハネ21形は比較的多くが残っていたのに対し、A寝台車は多くが余剰化していたと考えられます。
その余剰車として隅に追いやられていたA寝台車に、新たな役割を与えるべく白羽の矢が立ったのでした。
《次回へつづく》
あわせてお読みいただきたい