旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

峠に挑んだ電機たち《第1章 国鉄最大の急勾配の難所・碓氷峠》【1】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 新年度に入って早くも1か月が経ちました。

 ブログの執筆も、4月以降はなかなか手が付けられない状態が続いており、さて、どうしたものかと思案に明け暮れてしまっております。まあ、趣味のひとつなのでのんびり気ままに書けばいいのですが、体力と気力を日中に使い果たしているのと、ご承知の通り、今や社会問題にもなっているほどの厳しい勤務なので、お持ち帰りの仕事もたくさんあるので、そちらを片付けつつ、時間を見つけては少しずつ書いているところです。

 さて、この1か月の間、理科の4分野のうちの一つでもあります地学を中心に扱っていました。そもそも筆者は理系ではありますが、電気関係を専門に学び生業にもしてきたので、どちらかというと物理や化学の方が得意で、近くや生物といった自然科学の分野は門外漢です。

 そうはいっても仕事なので「わからない」では済まされません。そこで、地層の構造や成り立ち、火山活動と地震の関連性やメカニズムなど、これまでほとんど関係のなかった分野について見聞を広めていきました。

 そうした中で、やはり日本の国土は山が多く、それも太平洋側と日本海側に立ちはだかる山々は、往時から人や物の往来を阻んできていたのでした。そして、そのことは近代に入っても同じことで、いかにして短い時間で、安定して山を越えて人と物の往来を確保するかということに挑んできたともいえるでしょう。

 鉄道が開業して以来、この山越えというのが大きなテーマの一つだったともいえます。鉄道史を紐解いても、山や峠を越えるために多くの努力が払われてきました。東海道本線でいえば、東京から僅か100kmしか離れていないところで箱根の山が立ちはだかり、最大の難所として補助機関車(補機)を連結するなどしていました。

 しかし、補機を連結すればなんとか山を越えることはできても、列車の運転速度は落ちてしまい、1本の列車に連結できる車両の数(牽引定数)も制限されてしまうので、大量輸送を得意とする鉄道にとって大きな痛手となるのです。

 このような鉄道にとっての難所は、全国至るところに存在しています。その中でも、補機を必要とした山や峠は数多く、電機の時代になっても特に急峻なところでは補機の連結を必要としていました(表1)

表1:国鉄(JR)線に存在する難所となる峠

 

 蒸機から電機、ディーゼル機へと変わっても、これらの場所では本務機だけでは力が足りず、速達性や牽引定数に制限が出てしまうのも仕方がないと、補機の連結を必要としていたのでした。

 この稿では、電機による補機を連結した峠や山の概略と、そこで活躍した「シェルパ」とも呼ばれた電機たちについて、その性能や活躍についてお話していきたいと思います。

 

第1章 国鉄最大の難所 66.7パーミルの急勾配を擁する碓氷峠

■日本の鉄道で最大の難所 碓氷峠

 碓氷峠という名前を知らない人はあまり多くないと思います。この地に鉄道が開業するよりも前、徒歩による移動が当たり前だった時代から、急峻な山道が人々の前に立ちはだかり、その交通を困難にしてきたところです。

 碓氷峠は現在の群馬県安中市と、長野県北佐久郡軽井沢町を隔てる県境にあり、日本海側と太平洋側を隔てる中央分水嶺でもあるのです。そのため、碓氷峠の西側、つまり軽井沢川には信濃川水系へ、西側は利根川水系へそれぞれ水を注ぐ地理上の要衝でもあります。

 碓氷峠の大きな特徴は「片峠」であることです。一般的な峠とは、標高の最高地点を境に両側に傾斜がある地形を有しています。しかし碓氷峠は、最高地点から傾斜した地形は横川側だけであり、軽井沢側はそのまま平坦な地形になっているのです。

 

碓氷峠周辺の地図。赤い目印を境に西側(軽井沢)は平坦になるが、東側は九十九折りの坂道があるのが分かる。このように、碓氷峠は東側のみに険しい坂道がある「片勾配」である。これは。現在の軽井沢が火山の噴火によって平地になったが、横川方は川の浸食によって急な崖が形成されたためである。僅か10kmの間で500mの標高差ができたため、ここを通った信越本線も最大67.7パーミルという急勾配区間を擁さざるを得なかった。(出典:Google Map)

 

 このような特徴のある地形になったのは、碓氷峠の成り立ちにあるといえます。

 そもそも碓氷峠やその周辺は海の中でしたが、700万年前頃から碓氷川の上流でおきた火山の噴火活動により軽井沢を含む碓氷峠は溶岩などによって平地がつくられました。そのまま平地が保たれていれば、今日のような碓氷峠は発生することはありませんでしたが、平地の東側は流れる川によって侵食が進んで、急激な崖が形成されていきました。

 横川駅近くから軽井沢方面を眺めると、周囲は険しく切りだった岩や崖を見ることができます。これは、侵食によって溶岩由来の岩石類が削られてできたものです。このことは、碓氷峠の周辺が激しい地球の活動によって作られたことを物語っているといえ、この険しく切りだった崖などが、後に様々な問題を抱えることになっていったのです。

 

蒸機時代の碓氷峠区間では、アプト式に対応した特殊な機関車が使われていた。鉄道作業局の505号(後に3920形に改番)もその一つで、碓氷峠区間を通過するすべての列車に補機として連結された。しかし、碓氷峠区間はトンネルも多く、登坂時には多くの燃料を燃焼させるため、その煙が坑内に充満してしまい、乗務する機関士や機関助士を苦しめた。中には酸欠状態で失神する者や、最悪の場合は窒息死するケースもあったという。その対策として煙突をT字形に改造して煤煙を後方へ排出する方法をとったり、トンネルの坑口に幕を設置して列車が通過するとそれを閉じて煤煙が機関車にまとわりつくのを防いだりするなど、様々な対策が施されたがどれも決め手に欠けていた。そのため、碓氷峠区間は早期に電化することが望ましいとされ、国鉄で初の電化区間となっていった。(鉄道作業局505号(後に3920形3921号へ改番)パブリックドメイン



《次回へつづく》

 

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