房総の非電化区間・久留里線を行く:木更津駅から祇園駅までの車窓紀行
《前回からのつづき》
この稿は、2026年3月14日のダイヤ改正によって久留里線・久留里ー上総亀山間の廃止されることから、かつて筆者が取材し公開していた乗車記「鉄路探訪記」を再構成した上で、当ブログにて再公開いたします。取材は2012年1月5日と2014年5月26日に行っており、記事の内容も執筆及び公開当時のものです。2026年現在とは異なる部分がありますが、ご了承の上、お読みいただきたいと思います。
木更津駅の構内は予想以上に広かった。島式2面4線という線路配置は、内房線特急の停車を考慮して有効長が比較的長い。そして、つい最近まではこのホームには、スカ色を身に纏った113系電車の普通列車が発着していたが、首都圏の113系最後の牙城であった房総地区にも新系列と呼ばれる車両の投入が推し進められ、ついにすべての113系電車が運用を離れてしまっている。
代わりには、京浜東北線で使われてきた209系電車の電装品を新しいIGBT-VVVFインバータ制御装置に換え、車内の座席を一部ボックスシートに改造した209系2000番代・2100番代が房総における普通列車の主役となっていた。改造をしているとはいえ、元々が混雑の激しい線区での仕様を前提に設計された209系電車は、所謂「通勤形電車」で4ドアロングシートが基本。
しかも、京浜東北線という埼玉県の大宮から神奈川県の大船までのロングラン運用が祟ったのか、元々の設計強度が最低限だったのか、軽量ステンレス構造の車体には一部歪みすら見て取れる。そんな「満身創痍」ともいえる車両が、さらに老骨に鞭を打つような運用に使われるとなると、はたしてこの先何年もつのか疑問ではあるが。

キハ30形気動車は、地方都市や大都市近郊の非電化路線でも、比較的輸送量の多い路線用に開発された通勤形気動車である。かつては首都圏だけでも相模線、八高線、川越線と活躍の場があったが、電化の推進により活躍の場が失われ多くは廃車となってしまった。全国でもキハ30系が活躍しているのはこの久留里線のみとなり、それも2012年中には新型気動車の投入が予定され、最後の活躍となってしまった。幕張車両センター木更津派出に所属するキハ30形は、リバイバルカラーとして登場時の気動車一般色を纏っている。(キハ30 88〔千マリ〕 木更津駅 2012年1月5日 筆者撮影)

木更津駅で発車を待つキハ30形気動車。ホームは内房線に対応した長さのために、2両編成の列車にはもったいないほどの余裕がある。朝夕のラッシュ時には3~6両編成で運転される列車ももあるので長さも無駄にはならない。(木更津駅 2012年1月5日 筆者撮影)
そんな「新しくとも古参」の電車が発着するのを横目に、本当の意味での古参である車両が、ディーゼルエンジンのアイドリング音を響かせながら発車までの一時を過ごしている。国鉄から引き継いだキハ30形気動車がそれで、行き先表示幕には「久留里線」と書かれているが、それはステッカーで貼られていて、久留里線のためだけに生き残り、最後の活躍を続けているのだ。まさしくかつての気動車王国・千葉を今に伝える貴重な存在だともいえると思う。
木更津駅の構内には、久留里線の車両基地となる幕張車両センター木更津派出もあり、朝のラッシュ時間帯の運用を終えた気動車が、係員の手によって洗車されている姿も見られた。
国鉄時代からめまぐるしく所属が変わってきた当派出は、国鉄時代に千葉機関区木更津支区として発足、後に本区となる千葉機関区が気動車区に改変して千葉気動車区木更津支区となり、佐倉機関区に移管してその支区となった。そして、国鉄の分割民営化で佐倉機関区がJR貨物の所属となることから、幕張電車区木更津支区となっている。その後も、めまぐるしく組織変更が行われ、現在の所属になる前は館山運輸区木更津支区だった。
それが、2010年のダイヤ改正を機に幕張車両センターに統廃合され、現在の形態になっている。とにかく、久留里線の車両基地だけを見ても、所在地こそ変化はないものの、その扱いはまるでたらい回しにされてきたという感が拭えない。このあたりにも、久留里線の扱いが窺い知れる。
木更津駅のホームには、僅かな人の姿があるだけで静かなものだった。目的の上総亀山行きの下り列車は9時15分発なので、ちょうど朝の通勤時間帯を過ぎて一段落ついたというところだろう。しかも、訪れたのは正月3が日が明けたばかりの1月4日だから、それほど人の姿があるわけもない。朝の冷たい空気に触れながら一通り観察し終えると、いよいよ古豪・キハ30形に乗り込んだ。


木更津駅内房線東京方面のホームには、多くの通勤客で混雑していた。それとは対照的に、久留里線のホームは人がまばらで乗る人も数人程度しかいなかった。ホームは電車対応の高さになっているが、それでも国鉄形の気動車は床面が高い位置にあるため、ステップが欠かすことのできないものだった。キハ30系は通勤形として設計されたため、開口部が3か所もあるため、一般形のように戸袋窓を設けてしまうと台枠の強度が保てなくなる。そのため、国鉄の営業用車両としては珍しい吊り戸を採用している。(木更津駅 2012年1月5日 筆者撮影)
車内に入るドアにはステップがあり、今日のバリアフリーとは無縁だった時代に造られた車両の証みたいなものだ。客室内には青いモケットが張られたロングチーとが並び、床や内壁はくすんだ緑色というカラースキームはまさしく国鉄形一般車両そのものだった。節電のためか、室内灯が点されていなかったため、こうしたカラースキームも相俟って薄暗い印象があったが、それもまた国鉄形らしい。
定刻になるとドアが閉まり、思った以上に軽快なエンジン音とともにゆっくりと走り出す。ゆっくりと走り出したのは、木更津駅構内の複雑な線路配置と、それによる幾つかの分岐器を渡るための措置で、決してエンジンが非力なわけではない。特に、JR東日本に継承されたDMF17H系列やDMF15HZA系列などの国鉄が設計・製造したエンジンを装備した車両は、すべて新設計のDMF14HZ形を装備している。このキハ30形も同じく出力250PSのDMF14HZ形を装備しているので、エンジン出力には余裕がある。
車体と車内の乗客を左右に揺らしながら、分岐器を通過する時の特有の通過音を響かせながら、2両編成の短い列車は内房線と僅かに並走した後、右にカーブを描きながら内陸に向かって走っていく。進行方向左手の車窓には、真冬という季節のために作付けがされていない田畑が広がり、右手には低層の住宅が建ち並ぶという光景だ。特に田畑は枯れた植物の茶色と、むき出しの土の茶色だけというもので、冬の寂しさを表現している。
そんな田園地帯をまっすぐ進んでいくと、幅の広い道路をアンダーパスしていく。この大きな道路は国道16号線で、ちょうど東京湾を取り囲むように内陸を走る道路で、木更津のある房総半島とは海を隔てた反対側の三浦半島から、東京の八王子から埼玉県内を横断し、千葉県松戸市や千葉市を通って房総半島の東京湾沿いを走っている。もっとも、筆者の知る国道16号線はとにかく交通量が多く、渋滞の激しいというイメージなのだが、木更津市内の国道16号線はそうしたイメージからほど遠く、交通量もそこそこにのんびりと走れるようだ。
国道16号線をアンダーパスしてすぐに列車は減速し、久留里線で最初の駅となる祇園駅に到着する。

久留里線は木更津市街を抜けるとこのような光景が連続する。沿線には農業用地が多く、そこに住宅が点在している。そのため、地域の人々にとって日常的な交通手段は鉄道ではなくマイカーであることは容易に想像できるであろう。鉄道の主な利用者は自動車を運転することがない学生などになるが、この人たちにとっては欠かすことのできない存在絵あることは間違いない。(2012年1月5日 筆者撮影)
《次回へつづく》
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