旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

【鉄路探訪記】気動車王国・千葉の名残を残す房総・城下町の鉄道 〜房総半島を走る小さな鉄路:久留里線がつなぐ歴史と自然の旅〜【8】

広告

久留里線の終着・上総亀山駅を訪ねて:タブレット閉塞の終焉とローカル線の未来

《前回からのつづき》

 

blog.railroad-traveler.info

 

 上総亀山駅は標高99mに位置する千葉県内の鉄道駅では最も高い場所にある駅だが、そうしたことを示すようなものは一切見あたらなかった。島式2面1線という駅の構造は、終着駅としては標準的なものだが、ホームは2両編成に対応するしか長さしかもたず、規模は小さい方だった。

 乗ってきた列車は2番線に入ったが、ラッシュ時や夜間に車両を滞留させる時には、恐らく1番線も使用されるのであろう。小さな駅舎から出ると、そこにはバス停などはなく、小さな駅前広場があるだけで、タクシーや自家用車といったものはなく、山間の静けさだけが駅前にあるだけだった。

 地図上で見れば、駅の反対側を300mほど行った場所には小櫃川をせき止める亀山ダムがあり、人造湖の亀山湖があるようだが、そこへ行く人の姿は平日の日中のためか皆無だった。温泉もありオートキャンプ場もあるようだが、およそ観光地というイメージはなく、ただただ、静かな時が流れているだけのようだった。

 

▲乗車してきた列車の木更津方には、キハ38形が連結されていた。こちらは久留里線色を身に纏っている。キハ38形は国鉄最末期に当時非電化区間であった八高線の冷房化を目的に、キハ35形の廃車発生品を活用し、キハ35形の改造名義で製作されたもの。八高線電化後は久留里線に転用されたが、バス用の部品を多分に使っているため、国鉄形気動車としては若干重厚感がなく感じる。(上総亀山駅 2012年1月5日 筆者撮影)

 

 そして、2012年3月のダイヤ改正では、久留里線の閉塞方式も、人の手に依るところの大きい通票閉塞式から、軌道回路検知式の特殊自動閉塞式へと変更されることになる。全国でも数少なくなったタブレットの授受をする光景も、この冬で見納めとなってしまうのは何とも残念であるが、これも時代の流れなのだろう。駅の場内には、既に出発信号機などの信号機器が設置されていた。そして、それとともに上総亀山駅も無人化とともに、駅構造も1面2線から1面1線への縮小が予定されている。こして、駅員が列車の到着を待ち、列車の発車を見送るのもあと僅かだ。

上総亀山駅から木更津方を眺めると、場内から先は下り勾配になっているのが分かる。房総半島の中央部に位置する房総丘陵の上に駅があるため、久留里線は久留里駅までは比較的平地となる部分を走るものの、そこから上総亀山までは小櫃川に沿って一気に坂を駆け上がる形だ。出発信号機の先には転轍器が2か所あり、いずれも人力操作による手動転轍器である。そして、出発信号機の場外にこのような手動転轍器が設けられるのは、都心部や幹線で多く用いられている自動閉塞式ではあり得ない配置であり、ここからも久留里線が通票閉塞式であることがわかる。(上総亀山駅 2012年1月5日 筆者撮影)

 

 かつては赤字83線に名を挙げられそうになるものの、京葉工業地域があるために通勤輸送などの需要に将来性があるとして、その勧告から免れた経緯のある久留里線だが、一日の平均乗車人員が200~300人程度にしかなく、終着の上総亀山駅に至っては平均乗車人員が90人と、ローカル線の域を出ることはなかった。

 日中は毎時1往復程度の列車設定にもかかわらず、今日も久留里線が残り続けているのは、実際に列車に乗車して概観してきたとおり、やはり沿線に多くの学校があり、とりわけ高校生の通学という需要があるからかも知れない。木更津駅からほど近い場所には住宅もあるので、通勤客の需要も少なからずあるのだと思う。それが、久留里線を持ち堪えさせ続けた理由ともいえるだろう。

 

折り返しの一時を過ごすキハ30形+キハ38形2連の木更津行き。どちらも国鉄時代に作られた通勤形気動車だが、キハ30形は乗降用扉が吊り戸であるため、外側に扉がむき出しになった状態で開閉する。一方、キハ38形は老朽化したキハ35形などの機器を再利用し車体を新製したもので、電車でも一般的な戸袋を有する構造となった。気動車は一般的に高さの低いホームに停車することが多いため、ドア部分はステップを設置するが、開口部が多い通勤形気動車ではステップが多い分だけ台枠に切り欠きができ、その強度を保つことが難しかったことから、やむなく吊り戸式を採用していた。しかし、キハ38形は技術の発達とともに台枠の強度を保ちながら開口部を3か所とすることができたので、その構造も変化している。ちなみに、この日は1月にしては暖かい陽気だったが、それでも寒いことには変わらず、こうしてすべての扉を開け放っての停車に驚いた。プラットホームは構内踏切から直接登る構造で、都会の鉄道では見られない光景だった。(上総亀山駅 2012年1月5日 筆者撮影)

 

 当初の計画では上総亀山駅から、木原線(現在のいすみ鉄道)と繋いで外房線大原駅とを結ぶ、房総半島を横断する鉄道となる計画であった。しかし、上総亀山駅から先に線路は延びることなく、房総半島横断鉄道の夢は潰えてしまった。地図上で見ると、上総亀山駅からいすみ鉄道の上総中野駅まで約15kmほどしかないが、それでも房総丘陵の山中に鉄道を通したところで、恐らく線形も悪く速達性に欠くようであれば、それほどの利用も見込めないと考えると、二つの線路を結ばずに久留里線がいわゆる盲腸線としたのも理解できなくもない。夢はやはり夢でしかないのかも知れない。

終着駅である上総亀山駅のホームから、「その先」を望む。久留里線は上総亀山から先、房総丘陵を横断して上総中山まで線路をつなげ、木原線(現在のいすみ鉄道いすみ線)とつなげることで、房総横断鉄道にする構想もあった。しかし、人が住む集落もほとんどないこの丘陵地に鉄道を通しても、利用する人がいる見込みがないことから、計画は棚上げされてしまった。その結果、房総を横断する夢は潰えてしまい、上総亀山は盲腸線となった久留里線の終着駅になる。これまで、ここで折り返す列車の姿が見られたが、この3月にはこれも見納めとなってしまい、歴史の中の存在となってしまう。(上総亀山 2012年1月5日 筆者撮影)

 

 この記事を書き終え、読者の皆さんに公開する頃には、久留里線も転換期に入っている頃だろう。今回乗車したキハ30形気動車やキハ38形気動車も、寄る年波には勝てず老朽化も進んでいる。JR東日本は、既に後継となる軽量ステンレス車体をもつキハE130系の久留里線への導入を決定している。そうなれば、久留里線の姿も大きく様変わりするだろう。こうして、また一つ、昔から続いてきたノスタルジックな光景もまた、過去帳入りとなってしまうのは非常に残念であり、寂しいことだと思う。だからこそ、今もまだ残る古いものを大切にしたい、と筆者は思わずにいられない。

 

※筆者が訪れた2012年1月の時点では、久留里線はタブレット閉塞(正式には「通票閉塞式」)のために上総亀山駅にも駅員の配置がある直営駅であったが、2012年3月のダイヤ改正で閉塞方式が特殊自動閉塞式に変わったため、上総亀山駅は駅員配置をなくし無人化された。

※筆者が訪れた2012年1月の時点では、久留里線はタブレット閉塞のために上総亀山駅にも駅員の配置がある直営駅であったが、2012年3月のダイヤ改正で閉塞方式が特殊自動閉塞に変わったため、上総亀山駅は駅員配置をなくし無人化された。

※この記事の公開は2012年であるため、基本的に当時のままの掲載としている。

《次回へつづく》

 

あわせてお読みいただきたい

 

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info