旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

国鉄の置き土産 瀬戸内を渡るためにつくられた国鉄最後の新系列・213系【14】

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《前回からのつづき》

 

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 JR東海は補機類についても見直しをしました。0番台ではMc+T+T'cの3両編成を組むことを基本としていたため、比較的容量の大きいMH3075A-C2000M形を装備していましたが、5000番台では1M1Tの2両編成を前提としていたため、容量を適正化させたことからMH3094-C1000ML形に変更しました。

 集電装置もまた、JR東海独自の仕様に変えました。というのも、0番台では新たに建設された瀬戸大橋線での運用を前提としていたので、パンタグラフの折り畳み高さをさほど気にしないで済みました、JR東海の管内には通常のパンタグラフでは通過できない路線がありました。

 もっとも著名なのは身延線でしょう。旧形国電が運用されていた時代は、身延線に投入する際にはパンタグラフ部分の屋根を低くする「低屋根化改造」を施し、800番台に区分された車両が充てられました。これは、身延線に介在するトンネルの断面積が小さいことに由来するためで、この改造を施さないとトンネル通過時にパンタグラフが絶縁に必要な距離を保つことができなくなり、その結果、短絡(ショート)事故を起こして火災などの重大事故につながる恐れがあるからでした。

 

 

 

 このような狭小トンネルを抱えた路線があるJR東海は、改造や運用を分けるなどしなくても、自社の管内であればどこででも運用できるように、民営化後に製造した電車はパンタグラフを設置する部分を20mm低くし、それとともに動作する高さを低くしたC-PS24A型菱形パンタグラフを設置しました。

 このように、213系5000番台は基本設計を国鉄が製造した0番台のものを踏襲しつつ、JR東海が標準と定めた効率性の高い機器類を取り入れ、運用する関西本線の輸送実態に合わせた設備にすることで、211系5000番台と部品の共通化などによって検修の煩雑さを減らし、同時に運用コストを抑える仕様としたのでした。

  1989年から製造が始められた213系5000番台は大垣電車区に新製配置され、計画通り関西本線の165系を置き換えて普通列車や快速列車に充てられたほか、東海道本線の一部の普通列車の運用にも就きました。

 特に関西本線ではそれまでの165系は設計・製造が古いため、特に接客設備の陳腐化が否めなかったほか、朝夕のラッシュ時間帯には2ドア・デッキ付きの急行形の構造が災いして乗降に時間がかかっていたのを、同じ2ドアでも両開き扉で開口部も300mm広く、車両の中央に寄せたデッキなしの近郊形の構造が威力を発揮し、スムーズな乗降を実現するとともに、転換クロスシートを中心とした接客設備によりサービス水準を大幅に向上することに貢献しました。

 しかし、213系5000番台の関西本線での活躍は長くは続きませんでした。

 コストに敏感なJR東海は、さらなる合理化を推進するために、一部の線区で閑散時間帯に運航する列車の車掌乗務を廃止し、ワンマン運転に切り替えることにしたのです。そして、関西本線もその対象となり、運用する車両もワンマン運転に対応したものが必要となったのでした。

 通常であれば、213系5000番台をワンマン化するのが一般的な方法です。しかし、213系5000番台の車両中央に寄せた乗降用扉の位置が災いして、ワンマン運転に不向きとされてしまったのでした。

 鉄道によるワンマン運転には、大きく分けて2つの方法があります。乗務するのは運転士のみになるのは同じで、ドアの開け閉めを含む客扱いはすべて運転士一人が行います。このときに、列車から降りる乗客から運賃の収受や切符の回収をする「郊外型ワンマン運転」と、乗客から運賃の収受や切符の回収をしないで運転業務に集中する「都市型ワンマン運転」があります。

 関西本線では運転士が運賃の収受や切符の回収をする「郊外型ワンマン運転」を想定したいたので、運航する車両には運賃表示器や整理券発券機、そして運賃収受箱を追加する必要がありました。これらの機器は、乗降用扉の近くに設置しなければならず、特に運賃収受箱は運転士が乗務する乗務員室のすぐ傍に置かなければなりません。少しでも離れた一になると、運転士は駅に停車するたびに運転席から立ち、乗務員室を出て運賃収受箱のところにいかなければなりません。そのようなことを停車するたびにしていては、駅での停車時間が長くなり、所要時間に影響してしまいます。

 

関西本線の合理化を進めるにあたって、JR東海はワンマン運転を計画したものの、213系はその構造が災いしてわずか9年で転出を余儀なくされ、バトンを313系に渡すことになった。大垣から神領へ配転になった後は、東海道本線や中央西線の快速運用などに充てられたが、それも長く続くことはなかった。新製から20年が経っていなかったため、そのまま廃車というわけにもいかず、最終的には再び大垣に配置となって、飯田線に残存していた鋼製車の119系を置き換えることになる。(出典:写真AC)

 

 こうした「郊外型ワンマン運転」に使われるのにもっとも適した構造は、乗務員室のすぐ後ろに乗降用扉がある車両で、例えば全国の非電化区間で運行されているキハ40形は最適な構造であるため、多くがワンマン化改造を施されています。国鉄末期に新会社の負担にならないようにと製造したキハ54形も、将来のワンマン運転を考慮して乗降用扉は乗務員室のすぐ後ろに配置していました。

 ところが、213系は165系の反省から、ラッシュ時の乗降時間を考慮して乗降用扉を中央側に寄せたため、乗務員室から離れた位置になってしまいました。そのため、「郊外型ワンマン運転」に必要な運賃収受箱を設置したとしても、その位置は乗務員室から離れた場所になってしまうのでした。

 こうした理由から、213系5000番台は関西本線の運用から外されることになりました。1999年からワンマン運転に対応した313系が運用に就き始めると、213系5000番台は新製以来、配置されていた大垣車両区から神領車両区に移っていきました。そして、2011年までに関西本線の運用を後継となった313系3000番台に譲ると、関西本線からすべて撤退し、活躍の場を中央西線に移して日中の普通列車などの運用に就いたのでした。

 

《次回へつづく》

 

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