《前回からのつづき》
難産の末に実用化に漕ぎ着けた国鉄の電機子チョッパ制御ですが、それよりも先に帝都高速度交通営団(営団地下鉄、営団)が実用化に向けて試験をしていました。営団の営業路線はごく一部を除いて地下鉄線なので、狭い空間のトンネル内を多くの列車が走るため、中の温度が高くなるという課題を抱えていました。
トンネル内の温度が高くなると、駅ホームの温度も高くなります。その高い温度によって不快になるホームで、乗客たちは列車を待ったり、そこを歩いたりしなければならないので、サービス面で大きな問題になっていました。また、高い温度の中を列車が走ると、主制御器などの電装品の誤動作や故障につながるので、列車の運行にも差し障るのです。

帝都高速度交通営団(営団地下鉄)にとって、運用する車両の構成のかは喫緊の課題であった。旧来からの抵抗制御車では、抵抗器に電流が流れるとそこから熱が放出され、知多鉄のトンネル内の温度を上げてしまうからだった。また、営団地下鉄は運用コストにも敏感だったためか、早い段階で電力回生ブレーキを使って、電力消費量を軽減し電気料金を削減することを目指していた。千代田線に投入する計画となった6000系は、それらを実現するために電機子チョッパ制御の実用化を目指して、1次試作車、2次試作車と研究を重ねた。そして、アルミニウム合金車体と電機子チョッパ制御という組み合わせで、軽量かつ高性能、そして高効率な電力消費を実現した6000系を量産に移し、実用化に漕ぎ着けたのだった。(営団6000系6135F 読売ランド前―百合ヶ丘 2005年8月21日 筆者撮影)
そのため、大量の熱を排出する抵抗制御ではなく、排熱の少ない制御方式を模索し、回生ブレーキを使うことができ、メンテナンスでも比較的手間の少ない直流直巻整流子電動機を使うことができる電機子チョッパ制御の実用化を目指したのでした。
1965年から試験がはじめられ、1968年に量産化を前提とした試作車である6000系1次試作車を製造、さらに1969年には第2次試作車を製造して実用化に向けた試験を続け、1970年に6000系は量産が始められ、千代田線に配置して運用することになったのでした。
一方、国鉄も電機子チョッパ制御の実用化にめどをつけることができ、営団6000系に遅れること9年後の1979年に、初の電機子チョッパ制御車である201系試作車を製造し、約2年間に渡って中央快速線での営業列車に充てて運用試験を続けました。そして、1981年に量産車を製造して、中央快速線を始め中央・総武緩行線、東海道緩行線に投入、長らく量産が続けられた抵抗制御車である103系からシフトし、新しい時代の省エネ電車の歴史の幕を開けたのでした。
とはいえ、201系は103系と比べると非常に高価な車両でした。103系のモハ103形が1両あたり約9,900万円であるのに対し、201系のモハ201形は約1億4,000万円とおよそ1.5倍に膨れ上がったのです。
既にこの頃の国鉄の財政事情はご承知の通り火の車状態、毎年赤字(債務)が増え続ける中で、このような高価な車両を新製するのは相当な無理をしたと想像できます。しかしながら、投入先の各線は国鉄でも屈指の混雑路線であり、輸送力の増強も限界に来ていました。これに応じるためには連結両数を増やすか、列車を増発するかの二択といっても過言ではなかったのです。
前者は車両の増備とともに駅や線路といった施設の大規模な改良工事が伴い、かなりの設備投資が必要でした。後者であれば、そのような投資をすることもせず輸送力の増強はできますが、当時運用されていた103系などの抵抗制御車では、加速・減速ともに限界であり、さらなる高性能車であればそれも可能だったのです。
結局、国鉄が採ったのは後者、すなわち抵抗制御車よりも性能が優れた車両を新製・配置し、混雑の激しいこれらの路線の輸送力を増強するとともに、それまで運用されていた103系などの抵抗制御車を、近郊路線の中でも吊り掛け駆動車が残っていた路線へ配置転換して置き換え、旧性能電車を淘汰するという、国鉄にとっては「実にいい」新性能化を達成することにつなげたのです。

国鉄もまた、省エネルギー性が高い電機子チョッパ制御に関心を持っていた。列車の運行本数が非常に高い首都圏と関西圏の国電区間で、可能な限り運用コスト、特に電力の効率的に使うことができる電機子チョッパ制御の性能は魅力的だったであろう。しかし、それは非常に高価なもので、莫大な赤字を抱えていた財政事情の前に、国鉄はすべての国電区間に高価な電機子チョッパ制御車を投入することは不可能だった。そのため、先ずは混雑が激しく走行距離が比較的長い、中央快速線と中央・総武緩行線、そして東海道緩行線の3路線に国鉄初の実用チッパ制御車である201系を投入した。(立川 筆者撮影)
《次回へつづく》
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