■国鉄最後にして唯一のチョッパ機だったEF67形
《前回からのつづき》
1980年代に入ると、EF59方の老朽化が大きな課題になっていきました。しかも、その後継として期待されたEF61形200番台は、過大ともいえたパワーが仇になり、重連での運用は禁止とされ、1,000トン以下の列車を単機で運用するという限定が加えられてしまい、EF59形を置き換える計画はご破算となってしまいました。
そうはいっても、いつまでも戦前製省形電機を種車に製作したEF59形を使い続けることはできません。すでにEF53形として新製されてから50年近くが経ち、老朽化だけでなく補修用部品も手に入らなくなっていたからでした。
EF61形200番台の代わりに、新たな瀬野八用補機を担う電機を必要としましたが、新製することも困難でした。すでに国鉄の財政は巨額の赤字を抱え、必要だからといって債券を発行してまで新たな車両をつくることも困難でした。
そこで、国鉄は新たな瀬野八用補機専用機を、再び余剰となった車両を改造して製作することにしました。改造であればその費用は新製よりも安価に抑えることができ、必要な車両を配置することが可能だったのです。
改造の種車に選ばれたのは、またもEF60形でした。とはいっても、EF61形200番台のようにクイル式駆動を採用した第1次車はすでになく、第2次車以降の車両が選定の対象でした。しかし、第2次車など前部標識灯に白熱灯1個を設置した初期型は、新製から年数が経っていて、それなりに老朽化も進んでいました。これら初期型はEF65形の新製によって置き換えが進められていたので、改造の種車にするのには不適格でした。
そこで、EF60形の中でも比較的新しい第5次車が選ばれました。第5次車はEF60形の中でもっとも後期につくられた車両で、外観は前部標識灯はシールドビーム灯2個を設置し、側面のルーバーと明り採り用の窓など、後に製造されたEF65形0番台と同一のものでした。その一方で、駆動方式を吊り掛け駆動に変更された第2次車以降と性能的には同じであり、歯車比1:4.44と低速よりのトルク重視の設定で、定格速度も全界磁で39km/hでした。

国鉄最後の直流電機は瀬野八用補機専用機で、改造によって製作されることになった。種車はEF61形200番台と同じEF60形だったが、後期に増備された4次・5次車から選び出された。EF60形の4次・5次車はそれまで前部標識灯が白熱灯1個、側面の採光用窓とルーバー窓が同じ高さでほぼ交互に取り付けられているED60形以来の意匠であったのに対し、前部標識灯はシールドビーム灯2個、側面は細長い採光用の窓の下に長方形のルーバ窓が6個、同じ形で並ぶデザインに変わった。このデザインは後にEF65形にも踏襲されたため、一見するとEF65形と区別がつかないものだった。とはいえ、EF60形の方が先に製造されているので、こちらがオリジナルとなる。駆動方式は吊り掛け駆動、主電動機はMT52形を搭載するなど1次車とは大きく変わっていたが、経年は4~5年ほど若いだけでそれなりの経年機だった。その中から状態のよい3両が選ばれて改造に供された。(©TRJN, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)
性能はさておき、EF60形第5次車から選ばれた理由は、貨物用機であるため高速運転が不向きであるものの、EF60形の中では製造がもっとも遅く車齢が若かったことであると考えられます。
1980年代に入ると、国鉄の貨物輸送は凋落の一途をたどり、年間の輸送量の落ち込みは激しいものでした。そのため、ダイヤ改正の度に貨物列車の運行本数は削減される一方で、高速で輸送時間も短く、何よりトラック輸送のように荷主のもとへ集荷と配送が可能なコンテナ輸送への転換が推し進められていました。
コンテナ輸送の貨物列車は車扱輸送の列車と比べて、高速で運行することが可能でした。こうした国鉄の貨物輸送の施策の中では、旧来の低速かつトルク重視の貨物用機では対応が難しいため、汎用機であるEF65形にその役割を譲り、老朽化しつつあったEF60形は徐々にその数を減らし始めていたことも、その一つの要因であると考えられるのです。
そして、経年の浅い第5次車の中から、104号機と129号機、そして第4次車からは88号機が選ばれると、広島工場に入場して瀬野八用補機への改造が施されたのでした。
《次回へつづく》
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