旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

国鉄の置き土産 酷寒の大地を走るためだけに生まれた特急気動車・キハ183系500・1500番台【7】

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《前回からのつづき》

 

 1980年代に入ると、国鉄は累積した債務はもはや返済不可能な額にまで達していたもした。加えて、長年に渡る労使関係の悪化やそれに伴うストの頻発、さらには相次ぐ運賃の値上げは国民から国鉄に対する厳しい視線が向けられるとともに、国鉄離れと呼ばれる利用客の低迷が拍車をかけていました。そして、国鉄の職場の荒廃は、もはや手の施しようのない状態になり、長年の悪慣行はマスコミに次々に報道されると、世論の厳しい批判を浴びることになりました。

 そうした中で、国鉄の再建は政府の最優先課題となり、1982年には第二次臨時行政調査会は国鉄を分割民営化するのが妥当という答申をし、1983年には国鉄再建監理委員会が発足して、民営化は避け難い状況になります。そして、1986年の衆議院選挙の結果、国鉄は分割民営化されることが事実上決定してしまいました。

 分割民営化では、旅客6社(三島3社、本州3社)と貨物会社、そしてその他の継承法人が設立されることになりますが、経営基盤が脆弱な北海道と四国、そして九州の各社には、民営化後に老朽車両の取り替えによる財政負担を軽減させることを目的に、それぞれの地域のニーズに合った車両を新製しておいて、それを継承させることになりました。

 北海道はそのほとんどの線区が非電化であり、多くの気動車が新会社に継承されることになっていました。ローカル列車用として、キハ20系やキハ40系、そしてキハ56系といった一般・急行形気動車が数多く継承される予定であったとともに、本州と北海道各地を連絡する特急形気動車も継承されることになっていました。

 当時はまだキハ82系も活躍していましたが、すでにお話したように1960年代の製造であったために、過酷な気象条件の中で長年に渡って運用されてきたことで、老朽化も激しくなっていました。これを置き換える新型気動車としてキハ183系が開発され、量産に移行していましたが、1983年の増備を最後に新製は途絶えてしまい、残存するキハ82系を完全に置き換えることは困難になっていたのでした。

 とはいえ、そのまま老朽化が進んだキハ82系を新会社に継承させるわけにはいかず、広大な北海道の各都市を結ぶ特急列車用を担う、新型の特急用気動車を新たに増備することになります。これが、キハ183系500・1500番台、いわゆる「N183系」と呼ばれるグループだったのです。

 1986年から製造が再開されたキハ183系は、1983年までに製造されたグループとは設計思想が異なりました。試作車900番台と量産車0番台は、国鉄特急列車の伝統ともいえる長大編成を組むことが前提だったため、先頭車は非貫通構造とされました。しかし、年を追うごとに利用率が低下したことや、青函連絡船との接続を重視した函館から道内各地へと伸びる特急網から、航空機との連携を重視するようになったことで、中心都市である札幌から道内各地を結ぶ都市間輸送へと転換したことで、需要に合わせて高頻度で運転するようになってきたため、短編成化が進められてていたことから、先頭車は貫通構造に変えられました。

 また、累積した巨額の債務を抱えていた国鉄にとって、新会社に補助する目的で車両を新製するにしても、その費用を捻出するのは容易ではありません。国鉄の従来からのコスト感覚で新製すれば、必要な数を揃えることもままならなくなります。

 こうした事情から、国鉄はさらに製造コストを削減しながら新たな車両を製造する必要がありました。N183系は、こうした事情から同時期に開発・製造することになった四国向けのキハ185系と共通する部分がありました。特に先頭車となるキハ183形は、従来の特急用気動車とは大きく異なるデザインとなり、可能な限り曲線部分を少なくすることで、製造工数を少なくしてコストを抑えたのです。

 

1979年に北海道専用の特急形気動車として登場したキハ183系は、試作車12両と量産車0番台89両が出そろった時点で、製造が一度終了した。過酷な気象環境の北海道で運用するため徹底した耐寒耐雪装備をもった極寒地仕様であるため、製造価格が本州向けと比べて高価であり、所要数を満たしたことによるものだった。しかし、キハ183系が登場した頃から、道内の特急網は函館起点から札幌中心に転換を図られたが、長大編成を組んで限られた本数の列車を運転するという、国鉄伝統のダイヤ設定では高速バスに太刀打ちできず、空席が目立つばかりだった。そのため、この伝統を覆し運転本数を増やし、同時に1列車あたりの連結両数を少なくして最適化させることになる。この短編成化によって、先頭車であるキハ183形を含めて必要な数が不足すること、必要となる車両の新製を分割民営化後の新会社がしなくて済むようにする観点から、前期型の実績を踏まえて製造時の工数を削減するなどの設計を改め、製造コストを軽減しつつ量産したのがN183系だった。先頭車は独特のスラントノーズではなくなり、一般的な貫通構造となった。(出典:写真AC)

 

 前面のデザインは、僅かに丸みを帯びた折妻としました。前面上部には左右に1個ずつ前部標識灯と後部標識灯を設置し、冬季の降雪による着雪を考慮して保護ガラスの中に収納する形になりました。また、0番台などと同様に、降雪時に前方からの列車の視認を容易にするため、これとは別に前面の窓下にも前部標識灯を左右に1個ずつ設置し、全部で4個の前部標識灯を設置する北海道独特の仕様になりました。

 前面の窓は、貫通扉の横に設けられましたが、運転士側は踏切事故などで乗務員を保護することや、高速走行時に視界を確保する目的から高運転台構造としたことで、天地方向が狭いものになりました。一方、助士席側は客室からの前方展望に配慮したため、逆に天地方向が広いものを設置したため、窓面積は左右で異なる構造になりました。そのため、窓の高さの違いを分かりにくくするため、窓周りは黒色で塗装することで、一体的なイメージをもたせたのです。

 こうした構造の前面窓は、この時期に国鉄が製造した車両に多く見られ、キハ185系や213系電車にも同様の構造が採用されています。助士席側の窓を広げて前方展望が改善されたことは利用客からも好評だったのか、民営化後にJR東海が製造した211系5000番台や、JR東日本が製造した719系にも受け継がれました。

 側面は客室窓が天地方向に80mm拡大されたことにより、客席からの眺望も改善されました。その一方で、窓が1個ずつ独立していることが分かりやすい構造から、それぞれの窓が連続しているように見える構造に変えられました。

 そのため、前部と同様に窓周りは黒色で塗装する処理がなされていましたが、後年になって落雪によるガラスの破損を防止するために、ポリカーボネートの保護窓を追加された際に、この窓周りの処理が大いに活かされたといえます。

 

《次回へつづく》

 

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