
▲夏の湘南深沢駅付近を走る湘南モノレール500形電車。湘南モノレール江ノ島線は、名古屋での試験線の実績を受けて、三菱重工を中心とするグループが「サフェージ式」と呼ばれる懸垂式モノレール拡販をも目的に、「モデル線」として建設された経緯がある。そのため、僅か6.6kmの短い路線にもかかわらず起伏に富んだ地形の中を貫くように走っている。(2011年8月 湘南町屋ー湘南深沢 筆者撮影)
「モノレールって鉄道なの?」と同僚と話しているとよく聞かれる。確かに、知らない人にとって見れば、モノレールが鉄道の一種類であることは想像しにくいかも知れない。でも、「モノレール」という言葉の通り、やはり鉄道の仲間であることに間違いはないのだ。
この年の夏(取材時点で2011年)も、暑い夏がやってきていた。ただ7月末の台風6号通過後、暫くは涼しい日が続いたので、前の年の酷い猛暑に比べればまだよい方だ。気温が35℃近くになった暑い日の午後、湘南モノレールを訪れるべく大船駅へと降り立った。
湘南モノレール江の島線(以下、単に「江の島線」という)はJR東海道本線の大船駅と、湘南海岸にある江ノ島近くにある湘南江の島駅を結ぶ総延長6.6kmの懸垂式モノレールである。総延長6.6kmは一つの鉄道路線としては短い距離だと思うが、この湘南モノレールは短い割には起伏に富んでいて、筆者にとって楽しい路線だと思う。
江の島線の開通は1970年のこと。当初は大船駅と西鎌倉駅間が開業した。翌1971年には西鎌倉駅ー湘南江の島駅間を開業し、全線開業となった。当時、この地域はそれほど開発されてなく、住民の脚というよりは観光地江ノ島へのショートカットルートとしての性格が強かったようだ。そして、何よりもこの湘南モノレールを語るときに避けて通れないのが、「三菱」という存在だろう。
湘南モノレール建設の目的は、路面電車に代わる新しい都市交通機関として、モノレールが着目されていたことに始まる。当時、日本においてモノレールはまだ模索の段階で、日立製作所が主導権を握る跨座式モノレール(こちらは、東京モノレールで採用)に対して、三菱重工を筆頭とする三菱陣営は懸垂式モノレールを推し進めていた。そうした中で、跨座式モノレールに対する優位性を実証するために、大船から鎌倉の険しい山々を通って江の島へと通じるルートを選んだという。実際に乗ってみると、確かに勾配の厳しい箇所もあり、そこをモノレールが苦もなく走り抜けていく。そうした経緯をもつ江の島線だが、その成果は千葉都市モノレールに結実しているという。
もう一つ、この険しい地形を通り抜けなければならないという条件を満たすとともに、用地の取得のしやすさも課題であった。公道上は管理保有する地自体などからの許可を得なければならず、その手続きは煩雑で時間もかかってしまう。加えて、一私企業の実証のために行動を提供することは、行政の公平性を欠くことにもつながるので、そう簡単に許可が下りるはずもない。
ならば、公道ではなく私有地の上ならばということで、このルートが選ばれたという。江の島線の真下を通る道路は、今でこそ公道化されているが、開設当時は京浜急行が設置した自動車専用道路で、しかも我が国では珍しい私設の有料道路でした。こうした環境もあって、道路の直上にモノレールを建設しやすくなり、湘南モノレールには京浜急行も出資者に名を連ねていた。
そもそもこの道路、名称は「京浜急行線」と呼ばれた自動車専用道路は、鉄道を建設することを目的に東海土地電気という企業が取得していたところだった。その目的は、大船から鵠沼や辻堂を経て、茅ヶ崎に至るというもので鉄道免許も取得していた。
しかし、1923年に関東大震災が起こると鉄道建設どころではなくなり、発起人の多くは鉄道事業から離れていったことで、1926年に東海土地電気は解散し代わって江ノ島電気鉄道が設立され、大船ー鵠沼間の鉄道免許を再申請することになる。そして、申請区間を大船ー片瀬間に変更して免許認可が下りたものの、ここでも実現には至らなかった。そして、江ノ島電気鉄道は既に営業していた東京電燈江ノ島線(現在の江ノ島電鉄線)の営業権を譲受し名実ともに鉄道会社になったものの、大船ー片瀬間の鉄道は実現することなく、未成線となってしまった。
《次回へつづく》
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