《前回からのつづき》
そもそも、電気転轍器は単価が高額なので、資材としては珍しく「備品」として扱われていました。一定金額未満では消耗品として管理できるので、使用後の処分も特に必要がありませんが、「備品」となると話は別です。備品として管理されている物品が損耗した場合は、それが修繕などをすることで再び使うことができるのであれば、メーカーへ修理に出して再利用するのです。もっとも、修理に出すのも現場の担当者の一存ではできません。備品を修理するための予算措置が必要であり、そのことを区長と助役の承認を得てから、支社経理課へ修理依頼の許可と予算措置の承認を依頼するのです。

鉄道には様々な信号機などの信号保安設備があるが、そのどれもが一つとしてかけてはならない重要なものであることは知るところだと思う。これらが安定的で性格に動作することで、安全輸送が成り立っているといっても過言ではない。そのため、一般には見えないところで鉄道マンたちが、日夜努力を続けているところだ。信号機の電球一つをとっても、定期的な保守や検査、予防的な交換をしているが、担当する現業機関では常に状態を把握しながら電球1個でも交換用部品として確保し、必用とする数を常に保管している。「たかが電球、されど電球」なのだ。(出典:写真AC)
現場の資材担当者はこうした手続に必要な書類を作成し、区長と助役から承認の印鑑をもらい、そして支社経理課に出向いて書類を提出するため、わざわざ東京駅丸の内北口前にあったJRビル(旧国鉄本社ビル、現在は丸の内オアゾ)へ出向かなければならなかったのでした。もちろん、筆者も午前中に詰所で書類作成を終えると、昼食を食べた後はスーツに着替えてからバスと鉄道を乗り継いで東京まで行ったものでした。
無事に修理依頼の許可と予算承認を得ると、今度はメーカーに修理依頼の発注をかけます。破損した電気転轍器は運送業者が引き取りに来て、それを引き渡すとようやく備品としての資材払い出しにかかわる一連の仕事が終わるのです。
もちろん、この間は予備の電気転轍器が手元にありません。万一、同じような輸送障害事故が起きないとも限らないので、予備品となった転轍器が修理を終えて戻ってくるまでは気が気でなりませんでした。
転轍器が修理から戻ってくると、資材担当者はそれを受領し検品します。そして、原状に戻っていると判断すると、これで修理がすべて終了したと判断できるのです。そして、資材担当者は備品としての資材を受け入れる手続きとして、物品受領報告書を作成して支社経理課に送るとともに、資材台帳に受入の日付と個数、そしてあらかじめ支社経理課からおくられてきていた物品納入通知書に書かれた簿価を記載し、現品票にも受入の日付と個数を記入するとすべての手続が終わるのです。
この電気転轍器のように普段はほとんど使うこともない、それも高価な物品でも、いざという時にはこれを使う場面があります。それは年に1回かも知れませんし、もしかすると数年、いえ10年以上も使われることがないかも知れません。しかし、最悪のことを想定して備えておくからこそ、こうした無駄にも思える資材も在庫を抱えておく必要があり、資材担当者は少ない予算の中でそうした備えを怠らないようにしていたのでした。

筆者が鉄道マン時代、資材管理業務を担当するようになると、月に1度は必ず東京駅丸の内北口前のJR本社ビルにある、支社経理課に出向いていた。当時の東京駅丸の内駅舎は修復前であり、屋根は現在のようなドーム状のものではなかった。丸の内北口改札を出て横断歩道を渡った向かいには、鉄道省時代に建てられたビルが建っていたが、これこそが鉄道省本省庁舎、後に国鉄本社、さらにJR東日本とJR貨物の本社が置かれていたJR本社ビルだった。今ではJR本社ビルは解体され、その土地は民間に売却されて「丸の内オアゾ」となっている。一方、JR東日本は本社を新宿に移し、JR貨物も本社を飯田町に自社ビルを建てたが、様々な事情で千駄ヶ谷に移転、そして現在は品川駅港南口近くの港区港南一丁目に構えている。筆者が鉄道万時台に入居していた品川鉄道寮が港南三丁目だったことを思うと、運命のいたずらではないかとさえ思ってしまう。当時、港南口には目立った目立ったものはなく、NTTデータのビルがあるくらいだった。寮の周りにはコンビニすらなかったのが、いまでは商業施設が多く建ち並び賑わっている。(出典:写真AC)
このように、当時の鉄道は決して効率的とは言いがたい資材の運用も、「常に最悪を想定して備える」という鉄道という大量輸送システムの根幹である、線路施設と信号保安設備を含めた電気設備を安全かつ安定した状態を維持するための考え方だったといえるのです。もちろん、これらの施設や設備の維持管理にあたる技術系の職員も、常日頃からその知識と技術の向上に余念がなかったのは言うまでもないでしょう。
しかしながら、今日ではこの考え方は過去のものになってしまったと筆者は考えます。鉄道事業者の多くは合理的かつ高収益を上げる経営方針が最優先され、技術系の職員はその数を減らされてしまいました。現場での保全検査や修繕といった業務は、そのほとんどが外注化されてしまっています。加えて、技術系の職員はごく僅かな数を残して、新たに設立した子会社へと移管することで、人件費をはじめとしたコストを減らすことを第一となっていきました。その結果として、検査業務の省力化が進み、ICT技術に頼りすぎる傾向があるといえ、安全輸送を支える技術の継承がままならなくなったという話も、筆者の耳に聞こえてくるようになりました。
実際、2024年11月26日に函館本線森駅ー石倉駅間で発生した貨物列車脱線分離事故では、踏切のレールが腐食によりやせ細り、わずか数ミリメートルにまでなっていたといいます。しかし、JR北海道は1ヶ月ほど前に軌道検測車による検査では異常がなかった発表していますが、レールの腹部がその短い期間で数ミリメートルにあるまで腐食することはないので、軌道検測車の検査結果だけを鵜呑みにしていたといえます。また、踏切のレールは敷板を外して、目視による検査をすることになっていますが、それすらも人手不足などを理由として実施していませんでした。すなわち、筆者が鉄道マン時代に先輩から教わった「常に最悪を想定して備える」という技術と知識は、既に過去のものとなったと言われても仕方のないことだと考えられるのです。
もちろん、民間企業なので利益を追求するのは当たり前ですが、過度な利益追求は安全輸送を脅かすといってもいいでしょう。
実際、近年は数多くの輸送障害事故が発生するようになり、その結果、長時間に渡る列車の運行見合わせや運休、多くの利用者が目的地にたどり着けなかったり、大幅な時間をかけてしまう結果になっています。
そして、その原因は筆者の鉄道マンだった経験からは、信じがたいものが散見されるようになりました。人身傷害を伴う大きな事故には至っていませんが、いずれこうしたことが積み重なると、取り返しのつかない大事故に発展しないとは言い切れません。そうしたことからも、鉄道輸送の生命ともいえる安全について、今一度立ち止まって、受け継がれてきた技術や知識について考える時期なのかも知れません。
《次回へつづく》
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