旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

寝台急行「銀河」の歴史|東海道を駆け抜けた名門列車の足跡と2008年の終焉【14】

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14:なぜ「銀河」は消えたのか:交通自由化と夜行列車文化の終焉、そして“WEST EXPRESS 銀河”への継承

《前回からのつづき》

 安価な高速バスの台頭と、規制緩和による乗客の奪い合いは、高速バスに留まらず他の交通機関にも影響を与えました。加えて航空運賃の規制緩和による早期割引などは、多くの人が旅客機を利用できる機会を得ることができたといえます。

 加えて、東海道新幹線もまた、在来線の優等列車にとっては脅威でしかありませんでした。特に分割民営化後、東海道新幹線は運転速度の向上、所要時間の短縮、これに対応できる車両の開発などなど、急速に発展を遂げてきました。

 

高速道路網の整備と充実は、高速バスの充実を促すことになっていった。鉄道よりは時間はかかるものの、運賃は安価で庶民には手の届きやすいものだった。そのことから、バス会社は次々に路線網を広げていき、同時にバスの設備も充実なものにしていったため、夜行列車、特に寝台料金を必用とする寝台列車はにとって大きな脅威でもあった。国鉄も鉄道を補完するものとして高速バスを運行していたが、分割民営化後はJR各社の子会社となり、自らが親会社の鉄道にとって脅威にもなり得る高速バスを走らせてしまう、まさに「身内こそ商売敵」のようになってしまった。(©Cassiopeia sweetCassiopeia_sweet, Public domain, via Wikimedia Commons)

 

 特に最速達列車である「のぞみ」の運転本数の増加は利用客に好評で、東京ー新大阪間を2時間30分程度で移動できるダイヤは、わざわざ深夜の駅に出向いて、ゆれる列車の中で一夜を明かすよりもいいと、多くの乗客を取り込むことに成功しています。

 その結果、東海道本線を走る長距離列車は、利用者の減少に歯止めがかからなくなり、特に21世紀に入ってからその傾向は顕著でした。

 1999年には、かつて寝台特急の雄ともいえた「はやぶさ」と「さくら」が併結となり、ついに多層立て列車になってしまいます。先頭に立つEF66形が掲げたヘッドマークは、両方の列車名を併記したものへと差し替えられ、かつての花形列車の凋落ぶりを象徴するものだったといえます。

 

▲急行「銀河」が廃止なった2008年時点での運賃比較。「銀河」のB寝台で16,070円、A寝台を使うと20,000円を超えているのに対し、同じJRが運営する高速バス「ドリーム号」では8,160円とその額は2分の1だった。東海道新幹線「のぞみ」を利用しても14,050円とB寝台を使うよりも2,000円程度抑えられることから、既に高速バス、新幹線の両社に対して優位性は一つもなく、競争力はほとんどなくなっていたといえるだろう。

 

 それから4年後には、20系客車を最初に投入され、その豪華な設備を誇った車両で組成されたことから「殿様」とまで言われた「あさかぜ」が廃止、同時に戦前からの伝統列車だった「さくら」も廃止になり、相方を失った「はやぶさ」は新たなパートナーとして「富士」と併結運転されることになります。

 そして、最後まで単独で運転されていた寝台特急「出雲」が、2006年に廃止なったことで、東京を単独で発着する寝台特急列車はついに消滅してしまいました。

 翌2007年には、東京ー名古屋間を結ぶ準急列車として設定された「東海」が、急行への格上げ、東京ー静岡間への短縮、さらには特急格上げと車両を373系への置き換えなど、長い歴史を持った昼行優等列車もついに廃止となりました。

 こうして様々な列車たちが統廃合される中で、「銀河」は最後まで単独運転を護り続けていたものの、もはや風前の灯火といえる状況に追い込まれていたのは間違いないことでした。

 それでも、「銀河」は最後まで夜の東海道を走り続けました。

 しかし、時代の波に逆らうことはできず、2008年に廃止されることが決まり、その年3月のダイヤ改正をもって姿を消していきました。

 東京ー神戸間を結ぶ「名士列車」とも呼ばれた夜行急行17レ・18レをその源流とし、途中、第二次世界大戦による運転休止を挟んで、終戦後の1946年に早くも東京ー大阪間を結ぶ103レ・104レとして事実上の復活。1949年には戦前の17レ・18レに準えた豪華設備を持った車両だけで組成され、「銀河」愛称をつけられました。

 その長い歴史をもった「銀河」は、59年の歴史に幕を下ろしてしまいました。

 常に最新の車両を投入されてきた「銀河」は、かつての「名士列車」を源流とするが為に、国鉄としてもかなり気を配っていたことが、編成史を見ていてもそれを感じ取ることができるでしょう。

 

高速バスの充実と低廉化と航空機の大衆化は、陸上交通の「主」ともいえた鉄道を追い詰めていくことになる。伝統の列車名を冠した長距離夜行列車は利用者の減少と低迷によって、次々と統廃合に追い込まれ、「さくら」と「はやぶさ」が併結になった時点で過去の栄光は微塵もなかったといえる。そして、「さくら」が廃止になると「はやぶさ」と「富士」が併結になり、かつては日本一の運転距離を争う存在が東京ー門司間では1本の列車にまとめられてしまった。そうした傍らで、急行「銀河」は最後の最後まで急行でありながらもその威厳を保ち続けていたといえる。(出典:写真AC)

 

 しかしながら、それも20系化以後は単なる寝台急行の1つでしかなくなり、特急の「お下がり」を甘受しなければならなくなりました。それでも、最後尾に連結されていた緩急車や電源車には、独自のデザインを施したテールサインを掲げていたという点で、他の寝台急行にはない「厚遇」ぶりが窺い知ることができます。これもまた、「銀河」という列車が伝統ある存在であり、国鉄・JRにとって唯一無二のものだったからでしょうか。

 筆者もかつて、この「銀河」に乗車したことがあります。既に24系25形化された後でしたが、夜遅くまで現地に留まり、深夜は寝ながら移動して翌早朝に目的地に到着できるというダイヤ設定は、非常に使いやすかったと記憶しています。高速バスでも同じような移動はできますが、体を横にして寛ぎ寝ることができるというのは寝台列車だけであり、他にはできないことです。

 難点をいえば、運賃と料金のトータルコストが高いこと、寝台はすべて開放式であるため、プライバシーや防犯上に大きな課題を抱えていたこと、そして何より1970年代の設計であったため設備の陳腐化が著しいことでした。歴史に「もしも」は禁物ですが、強いていえばすべて個室式(B寝台であれば「ソロ」のような)だったら、もう少し利用客を取り込めたのではないか、列車を使って深夜を移動するという非日常の楽しみを、もう少しだけ味わえたのではないかと考えてしまいます。

 それも叶わぬ夢かも知れませんが。

 とはいえ、急行「銀河」は大久の人々を運び、深夜の東海道を疾駆し、その果たした役割は決して小さいものではないといえるでしょう。その伝統は、2008年の列車廃止で途絶えますが、それから12年が経った2020年に、JR西日本が117系を改造して製作した車両を使って、西日本の各地を訪れる臨時夜行特急としてその名を継承しました。

 「WEST EXPRESS 銀河」は東海道を走ることはなく、そして寝台も備えていません。しかし深夜も走ることから「寝台になるような設備」を備え、ゆったりと寛ぎながら夜行列車の旅を楽しむことができるといいます。

 令和の今の時代、鉄道は「移動すること」を目的とする使い方と、「列車に乗ること、移動することを楽しむ」という目的の使い方の二通りになりつつあると感じます。この新たな列車が、「銀河」の伝統と新たな楽しみ方を融合し、夜行列車の旅を楽しいものにしてくれればと思うところです。

 

《次回へつづく》

 

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