19.キハ38形の軌跡──八高線から久留里線、そして水島臨海鉄道へ渡った“国鉄最後の気動車”
《前回からのつづき》
| 1996年の八高線電化により、キハ38形は八高線での役割を終え、久留里線の木更津支区へ転属した。キハ37形・キハ35系と併結しながら房総のローカル輸送を支えたが、利用減少と経営効率化によりキハE130系へ置き換えられ、2012年に全車が運用離脱。その後、水島臨海鉄道への譲渡やミャンマー国鉄での再活躍、ポッポの丘での保存など、7両それぞれが異なる“第二の人生”を歩んだ。国鉄最後の気動車の軌跡を詳述する。 |
■ 川越線・八高線の電化計画と運転系統の分離
川越線非電化区間の電化計画とともに、八高線も八王子ー高麗川間で電化されることが計画されます。高麗川を境に南側である八王子ー拝島間は輸送量が比較的多く、気動車よりも電車の方がより効率的になること、車両基地の確保の関係でここで運用される車両は川越線にある川越電車区に配置し、川越ー高麗川間と直通運転することで輸送サービスの向上と利用客の掘り起こしを企図したことから、1996年に川越線の川越ー高麗川間とともに、八高線の八王子ー高麗川間が電化されました。
■ 電化後の運用:南北で車両が分離
この電化が完成したことにより、八高線の運転系統は高麗川を境に分離され、同時に輸送量が極端に少ない高麗川以北はキハ110形が引き続き運用に就き、南側には新たにやってきた72系の新性能化改造車である103系3000番台が配置されて使われるようになったのです。
■ キハ38形、八高線から房総へ──木更津支区へ転属
この電化開業によって、キハ35系は一部が廃車になり、キハ38形は10年ほど過ごした高崎を後にして、首都圏でも数少ない気動車の運用が残ったかつての「気動車王国」でもある千葉に異動、木更津駅構内に隣接する幕張電車区木更津気動車支区に配置されました。
この木更津支区は、上部組織が電車専門の電車区でありながら、気動車のみが配置された下部組織で、全国でも珍しい運転区所でした。ここにはキハ35系やキハ37形も配置されていて、木更津ー上総亀山間を結ぶ久留里線での運用に就いたのでした。

2012年の幕張車両センター木更津派出。気動車王国とも呼ばれた房総半島の鉄道輸送を支えてきた歴史ある区所で、国鉄時代は千葉機関区区傘下の木更津支区として発足、本区の組織変更によって千葉気動車区木更津支区となるが、房総半島の電化が進んだことで千葉気動車区が廃止になり、同じディーゼルエンジン搭載車両を扱う佐倉機関区の配下に置かれた。しかし、国鉄分割民営化によって佐倉機関区は貨物会社が継承することになると、幕張電車区の傘下に配置換えとなり、電車区の支区でありながら気動車専門の区所という珍しい構成になった。2000年代に入りJR東日本の運転・検修分離などによって幕張車両センターへ組織改正がされると、今度は千葉運転区木更津支区へと変わった。2007年には館山運転区を統合したことで木更津運輸区へと改称、運転部門が同区へ移管されるとともに、検修業務は幕張車両センターに移管され、幕張車両センター木更津派出と規模を縮小した。電化区間の中にたった1路線のみが非電化のまま取り残されたという久留里線の特異な立地が、運転区所も激しく変遷させていったといえる。(木更津駅から望む幕張車両センター木更津派出。左側の洗浄線にはキハ30形が留置され、右奥の検修庫内にはDE10形の姿が見える。 2012年1月6日 木更津駅 筆者撮影)
■ 久留里線での運用:キハ30・37・38の混結
久留里線ではキハ38形のみの運用はなく、キハ37形やキハ35系と併結することもあり、実際に筆者も久留里線を訪れたときにはキハ30形とキハ38形が2両編成を組んで、のどかな田園地帯の中を走る姿を見たことがありました。
■ トイレの閉鎖:短距離ローカル線ならではの合理化
木更津支区に配置になったキハ38形のうち、トイレが設置された0番台はこれを閉鎖する措置が取られました。八高線時代は八王子ー高崎間を通して走ると、その距離は92kmにも及ぶ長さであり、トイレは欠かすことのできない設備の一つでした。
しかし、久留里線は八高線の約3分の1である32.2kmの短い路線であり、トイレの必要性も低く、これを維持管理するための設備なども必要であるとともに、検修の際にもその分だけ工数も増えてコストも増えてしまうことから、久留里線に転属と同時に使用停止の措置が取られたのでした。
《次回へつづく》
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