《前回からのつづき》
■新性能電機EF64形は板谷峠越え用だった
第二次世界大戦後に電化された奥羽本線板谷峠区間は、15年にわたってEF15形、そして回生ブレーキを追加するなど補機としての装備をもつための改造を受けたEF16形が補機としてすべての列車に連結されてきました。
しかし板谷峠の最大33パーミルの勾配は、EF16形にとっては厳しいものがあり、列車によっては重連での運用を強いられたことや、主電動機をはじめとする電装品の消耗も激しく、途中で大規模な整備を必要とするほどでした。
一方、国鉄は1960年代に入ると、それまでの電気機関車とは一線を画する新たな車両が続々と登場しました。
戦前から設計・製造されてきた電機は、強固な台車枠を車両の基礎としていました。台車枠に主電動機を設置し、動輪軸にその動力を伝えて走行することは今日の電機と同じですが、そこから発生する牽引力は台車枠に取り付けられた連結器に直接伝えられていました。この方法は黎明期の国鉄電機に多く採用されましたが、軸重が重くなるという欠点を抱えていました。特に出力が大きくなるほど自重が重くなり、その結果として軸重も重くなってしまったのです。



国鉄の旧形直流電機の3形式。上から戦前製省形貨物機のEF11形、同じ戦前製で旅客用機を改造したEF59形、そして戦後制貨物用機のEF15形。いずれも台車枠に直接連結器を接続し、主電動機から発した牽引力はすべて台車枠から直接連結器に伝えられる。そのため、車体は台車枠に乗せただけのものであり、新型機のように牽引力を伝える必要がないため強度はあまりない。いわば、電気機器を保護するためのカバーのようなものだった。旧形電機の多くは全長が長いためカーブでの通過を容易にするために先台車をもち、旅客用機は2軸、貨物用機は1軸の先輪を備えていた。先台車の部分には箱型車体がないため、ここにデッキを設けて入換作業時に操車掛が添乗したり、乗務員が車内に出入りするために利用されたりした。重連運転時は折り返しの時に、乗務員が地上に降りなくても別の車両に乗り移ることができる通路としても使われた。(上:EF11 1 パブリックフォーラム、中:EF59 1〔瀬〕 碓氷峠鉄道文化むら 筆者撮影、下:EF15 171 出典:写真AC)
そこで、台車枠に先輪を装着した先台車を連結し、先台車に取り付けられた連結器を介して牽引力を伝えていました。先台車は大きく分けて旅客用と貨物用とで構造が異なり、旅客用は従軸が2軸、貨物用は1軸とされるのがほとんどでした。従輪が多いほど軸重は軽くなりますが、これは旅客用機は高速性能を重視したことと、牽かれる客車は貨物列車と比べて軽いことによるものです。逆に貨物用機は牽引力を重視するため軸重を重めにし、粘着性能を高める狙いもあって従輪を1軸とすることが多いのでした。そして、従台車の上にはデッキと昇降用ステップが設けられ、乗務する機関士と機関助士はこのデッキから車内に出入りしていたのでした。
しかしながら、この伝統的な電機の構造は頑丈である一方で、多くの課題を抱えていたと考えられます。一つは旅客用と貨物用とでは使う目的から性能が異なるために、それぞれの車両を用意しなければならないことでした。前述のように旅客用は高速性能を重視し、貨物用は牽引力を重視していました。そのため、それぞれで歯車比も軸重も違うので、車両の規模や構造も違うのでした。
そしてもう一つは、主台車と従台車という2つの台車をもつため、車両の全長が長くなり検修の手間も多いことでした。車両の全長は旅客用機が従輪を2軸もっているため長くなり、初の国産旅客用電機であるEF52形は20,800mm、最後の旧型旅客用電機のEF58形でも19,900mmという長さでした。他方、貨物用機は従輪が1軸であるため全長も短くなり、戦前製のF級機を代表するEF10形で18,380mm、戦後の貨物用機として大量に製造されたEF15形で17,000mmと、やはり長くなる傾向にあったのです。
このように、車両全長が長くなるということは、駅のホームや操車場の着発線、さらには機関区の留置線の有効長に影響を及ぼします。特に構内敷地が狭い機関区などの運転区所ではその影響は大きく、新性能電機の標準機ともいえるEF65形であれば5両留置できることろを、EF58形では4両に留まることもあるのです。
また、従台車と従輪がある分だけ、検修の手間も増えてしまいます。全般検査や重要部検査では車体と台車を切り離して施行しますが、ボギー式台車と比べて構造が複雑で、検査をする項目も増えてしまうので、その分の職員やコストもかさんでしまうのです。
2車体1両という常識外れのサイズのために従来からの構造を打破しなければならなかったEH10形と初の量産交流機であるED70形の経験、そしてクイル式駆動装置の導入、大出力の主電動機の開発によって、直流電機もボギー式台車を装着して根本から設計を変えた新性能電機としてED60形が登場したことで、国鉄の直流電機は大きく変わったのでした。
このように、それまでの常識を覆すかのような変化を遂げた新性能直流電機は、老朽化が進む旧型電機を置き換えるべく、1960年に入ると次々に新型車の登場と量産が始まったのでした。
《次回へつづく》
あわせてお読みいただきたい