いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。
深夜の東海道を走り抜ける列車といえば、何を思い浮かべるでしょうか。今では夜間の保守作業時間を確保するために、大久の列車を設定することが難しくなってしまい、長距離の貨物列車が走る程度でしょう。また、夜間に長距離を移動する手段として、鉄道よりも安価な高速バスを使う人も多いので、夜行列車というのは皆無になってしまいました。
かつては非常に多くの夜行列車が運転されていて、枚挙にいとまがないほどだったといいます。しかし、新幹線が開業し、延伸していくにつれて在来線を走る長距離列車は削減される一方、気がついたら東京を発着する夜行列車は、寝台特急「さくら」「はやぶさ」「みずほ」「あさかぜ」そして「瀬戸」と「出雲」、夜行【寝台】急行「銀河」と大垣行きの普通列車(後に「ムーンライトながら」)だけという有様でした。

かつては、東京を発着した夜行列車は数多く運転されていた。しかし、新幹線の開業と延伸により、それらの列車は統廃合されていき、国鉄末期には九州方面行きは「さくら」「はやぶさ」「みずほ」「富士」、そして「あさかぜ」1往復の計5往復のみだった。これらの列車を牽いた電機も、EF65形500番台、EF65形1000番台、そしてEF66形へと受け継がれていき、客車も時代に合わせるようにサービス改善のための改造を施されるなどしていった。しかし、航空運賃が低廉になるなどして一般化し、高速道路網の整備が進むと運賃に特急料金、そして寝台料金を必用とする夜行列車は次第に客離れしていき、加えて分割民営化後は旅客会社の夜行列車に対する興味も薄れ、次第に減車や統合、廃止をするようになっていった。(出典:写真AC)
寝台特急は、ブルーの鮮やかな車体に国鉄の客車としては豪華というか非常に整った設備をもった車両が使われ、1980年代初め頃まで子どもたちにとっては「憧れ」の列車でした。
その陰で、かつては「名士列車」とも呼ばれた急行「銀河」は、特急として使い古された「お下がり」を使いながらも、使い勝手のいい時間帯のダイヤ設定や、急行列車としての設定だったため料金も比較的抑えることのできた列車であり、特にサラリーマンには人気だったといいます。
今回は、寝台特急の陰にありながらも、主にビジネスパーソンに人気で多くの人を乗せ、分割民営化後も数少ない夜行急行として、東京と大阪の間を走り続けた「銀河」についてお話したいと思います。
▶戦前日本の鉄道と急行「銀河」の原点:等級制と特急文化が生んだ夜行列車の歴史
急行「銀河」の歴史を遡ると、第二次世界大戦前にまで辿り着くことができます。
戦前の陸上交通の第一選択肢はもちろん鉄道でした。全国に張り巡らされた国鉄(前身となる鉄道省、帝国鉄道院)の鉄道網は、北は北海道の稚内から、南は鹿児島県にある指宿枕崎線の西大山(最南端の駅、ターミナル駅では西鹿児島)に至るまで、文字通り全国津々浦々に走っていました。そして、国民はこの鉄道こそが最も身近な交通機関であり、通勤だけでなく旅行にも利用していました。
とはいっても、多くの国民にとっては長距離旅行などあまり縁のないものだったと考えられます。あっても、地方から都市部に出てきてそこで働き住む人や、出稼ぎで出てきた人が利用していた程度だと思われますが、その一方で実業家や政治家、公務員、そして軍人は長距離を移動する機会が多かったいえるでしょう
そして、長距離を移動するため鉄道を利用するほとんどの人は、高い料金が設定されていた特急列車ではなく、比較的安価でそれなりの速達性があった急行列車や、時間はかかっても乗車券の他に料金を払う必要のない普通列車を利用していました。
さらに、当時の鉄道運賃は等級制が導入されていました。もっとも高価な一等は高嶺の花でよほどの財力がなければ手を出せず、二等はある程度余裕のあれば何とか手が届き、多くの庶民は三等を利用するのが一般的でした。
そして、夜行列車となると寝台車を利用して少しでも快適に長旅をしたいという思いはあっても、寝台車はさらに別料金で寝台料金がかかるため一等と二等がほとんどで、三等車の利用客は寝台料金が必要のない座席車を選択するほうが多く、三等寝台車そのものも設定が少なかったのです。
そうした世の中にあって、特急列車はまさに「特別」な存在でした。正式には特別急行列車という種別である、運行する鉄道省もまた特急を特別な存在として位置づけていました。「つばめ」や「富士」といった愛称がつけられた特急列車は、これに充てる車両も一等車や一等寝台車、二等車、二等寝台車、そして三等座席車で編成を組成し、更には食堂車も連結されるなどして、まさしく最も優れた速達性による短い所要時間、連結される車両やその車内の設えも特別なものであり、長距離を長い時間をかけて走る列車であるため、乗客への供食サービスとして食堂車を連結することも欠かすことができませんでした。
もっとも、食堂車が連結されていたとしても、やはり三等車の乗客は使うことはできませんでした。特急列車に連結された食堂車は完全予約制で洋食を提供するというもので、、主に一等と二等の乗客を対象にしていました。そのため、食堂車も三島の乗客にとっては縁のない存在であり、主に駅で売っている駅弁などを買って、長旅の空腹を満たしていたのでした。
このように、特急列車がこんにちにように大衆化するよりも前の時代は、その名の通り「特別」な列車であり、一般の庶民には遠い存在でした。設備もサービスも当時としてはハイグレードであり、利用できるのはごく一部の人々、華族やエグゼクティブなどいわゆる富裕層に限られていたのです。
そして、一般の庶民が手に届く列車として、急行列車はそれなりに早く目的地にたどり着くことができるとともに、急行料金は安価に設定され、しかももっとも廉価な三等車を多く連結していました。
《次回へつづく》
あわせてお読みいただきたい