8:157系「湘南日光」が生んだ異色の直通列車──日光と伊豆を結んだ準急の真相
《前回からのつづき》
1961年、日光観光向けの豪華準急「日光」に使われていた157系が、東京を越えて伊東まで直通する「湘南日光」として運転を開始した。特急並みの設備を備えた異色の急行形電車が伊豆に乗り入れた背景には、日光と伊豆の観光需要を結びつける国鉄の戦略があった。同年には新宿発着の「あまぎ」が廃止され、「たちばな」や「十国」も再編されるなど、伊豆準急網は大きな転換期を迎えた。
1961年3月に、伊豆方面に向かう列車群に、特異な運転形態の列車が新たに設定されました。
国鉄は、日本を代表する観光地の一つである日光へ向かう列車として、東京−日光間に準急「日光」を運行していました。この「日光」は、多くの外国人観光客が訪れるために列車を利用するとして、準急でありながらも特急並みの設備をもった157系を運用に充てていました。
その準急としては豪華すぎる車両で運行されていた「日光」を、東京を越えて伊東まで延長する形で「湘南日光」が設定されたのです。日光を訪れた観光客を、直接伊豆まで運転する列車で輸送し、温泉地でもある伊東にも訪れてもらい、ここに宿泊などして伊豆半島の観光地にも足を伸ばしてもらおうと企図したものだといえます。
この「湘南日光」に充てられた157系は、形式称号が示す通り急行形に分類されます。しかし、157系は153系と大きく異なり、三等車の座席は固定式クロスシートではなく回転クロスシートを、二等車はリクライニングシートを備えるなど、特急形に匹敵する設備を備えていました。ただ、冷房装置は準急として運用することが前提だったため新製時は搭載されず、代わりに側窓はバランサー付きの一段下降窓を設置することにより開閉可能とされました。*1

153系の二等車(後に一等車、グリーン車)は、回転式クロスシートを備えたサロ153形と、リクライニングシートを備えたサロ152形があった。前者は「並ロ」として準急に、後者は「特ロ」として急行に使われたが、特にサロ152形はバランサー付一段下降窓を設置したことで、非常に明るい車内と眺望の良さがあった。しかし、下降窓という構造の宿命でもある車体下部に窓を収納するための袋部には雨水が浸入しやすく、加えて砂埃などがその裾部に溜まることによって、水が袋部の裾に常に溜まるか湿気を帯びた状態になってしまうため、車体外板の腐食を進行させる弱点があった。その結果、大規模な修繕をするか、窓自体をユニットサッシに替えるか、あるいは老朽化による廃車とせざるを得なかった。写真はサロ152形とほぼ同じ構造のサロ165形。(©Shizutetsukikanshi, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)
準急として運用するにはこれだけの豪華な設備をもった車両を充てたことは、国鉄の期待も大きかったという現れでしょう。そんな車両で運行されていた列車が伊豆へとやってきたことは、伊豆方面への観光輸送に力を入れていたことの証でもありました。
そして、この「湘南日光」による157系の伊豆乗り入れは、この後、この特異な車両と伊豆方面との関わりの始まりでもあったのです。
「湘南日光」は「伊豆」などの15両または10両編成よりも短い、6両編成で運転されました。157系は153系と異なり、先頭車は制御車ではなくクモハ157形制御電動車だけであり、中間電動車もM’車であるモハ156形だけだったので、伊東方と東京方では方向が反転していました。
加えて「湘南日光」は、季節により利用者の数が変わることを予想していたため、日光−東京−伊藤間を通して運転することを基本に、時期によっては東京−日光間の「第2日光」と東京−伊東間の「臨時いでゆ」として運転したほか、その間合いとして「伊豆」を増発した「第2伊豆」を157系で運転されました。
この157系による華々しい列車の運転開始をよそに、この年の10月には新宿−熱海間で運行されていた「あまぎ」が廃止になります。そして、東京−伊東・修善寺間で運転されていた「たちばな」を「あまぎ」に改称、「たちばな」は臨時列車の愛称とされたのでした。さらに「十国」は廃止され、代わりに「いでゆ」が増発となり2往復体制になりました。
《次回へつづく》
あわせてお読みいただきたい
*1: 普通鋼製である157系にこの一段下降式窓を設置したことで、窓より下の車体はこれが入るための袋状になったことで、ここに雨水が侵入してしまうことになった。加えて砂埃がこの部分にたまり、侵入した雨水が残る状態になり、車体外板を腐食させてしまうことにつながった。この構造が災いし、157系の老朽化を早めてしまうことになった。