旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

2021-01-01から1年間の記事一覧

この1枚から 最後まで残った前期形のPF・EF65 1037【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 EF65 1000番代PF形は、今となっては貴重になりつつある国鉄形電機です。”国宝”とまでいわれるようになったEF66 27号機に比べれば、まだまだ現役で走り続けている車両も多いのでその域とはいきま…

日鐵ロンチキを捉える

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 最近は、工臨と呼ばれる臨時工事列車が関心を集めているようですが、「工事列車」と呼ばれるだけあって、旅客会社が自ら使用するレールや砕石を、自社の貨車と機関車で運ぶことが目的です。 そ…

この1枚から 1980年代の新鶴見機関区・操重車倉線で佇むEF65 1070【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1070号機は1976年に落成すると、新鶴見機関区に新製配置されました。既にこの頃には新鶴見に旧型電機の配置はなかったと考えられるので、1070号機を含む第6次車を新製配置し、その押し出しでEF65の0番代な…

この1枚から 1980年代の新鶴見機関区・操重車倉線で佇むEF65 1070【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 小学校4年生の頃、家から歩いていくことができた新鶴見機関区に、カメラを片手に訪れたことがありました。このブログでもお話させていただいたことがありますが、今では小学生が一人でJRの運転…

「金太郎」一次形を捉える

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 その昔、東北本線から北海道へ渡る貨物列車は、最低でも3つの駅で機関車の付け替えをしていました。黒磯駅では直流機からED75へ、東青森ではED75から海峡線線用のED79へ、そして五稜郭ではED79…

この1枚から 国鉄車両の近代化の礎となった10系【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 特筆されるのは、オユ10やオユ12といった郵便車にも、この構造が使われたことでしょう。これら郵便車は、国鉄に車籍を置く客車ですが、所有は郵政省のものです。製造のための予算も国鉄のものではなく、郵…

この1枚から 国鉄車両の近代化の礎となった10系【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 鉄道車両というのはとかく重量が嵩んでしまうものです。それは、車体や台枠を構成する材料であったり、内装に使われる部材であったり、あるいは乗客が快適に旅行するための設備であったり、実に…

東京タ-隅田川・シャトル便を捉える

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 本日は、土曜日にお仕事だったため振替休日です。コロナ禍前は運動会や秋の行事など、土曜日が課業日というのがそれなりにあったのですが、いまはそのどちらも中止のままなので、月曜日に休日と…

この1枚から 延命工事で面目一新したキハ47【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ところが、山陽新幹線は東海道新幹線と直通で運転されていますが、その環境は全く異なるものといっていいでしょう。岡山や広島、小倉、博多と大都市を結んではいますが、大阪対山陽・九州と大阪対東京では…

この1枚から 延命工事で面目一新したキハ47【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 前回に続いて今回もキハ40系のお話です。 国鉄から各旅客会社が継承した気動車の中で、最も数が多かったのがキハ40系でした。1977年から1982年にかけて888両という大量に製造された一般形気動車…

この1枚から キハ40系史上、最強クラスのエンジンで化けたキハ40 400番代【3】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 札沼線もまた、そのような路線の一つでした。いえ、正確には札沼線は札幌都市圏を走る札幌ー石狩当別間はそれなりの需要があります。しかし、末端区間と呼ばれる石狩当別ー新十津川間は極端に利用者が少な…

この1枚から キハ40系史上、最強クラスのエンジンで化けたキハ40 400番代【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 一方、全国各地に配置されたキハ40系の中で、最も北にある北海道に配置された車両たちは、本州のそれとは少しばかり異なりました。冬季は本州とは比べものにならないくらい厳しい寒さで、しかも積雪量も多…

この1枚から キハ40系史上、最強クラスのエンジンで化けたキハ40 400番代【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 もとはあまりにも平凡であるなどの理由で注目されなかったのが、ちょっと手を加えただけで非凡なものへと生まれ変わり、多くの注目を浴びるようになったという例があります。 国鉄が生み出した…

この1枚から 房総半島が気動車王国であったことを物語った久留里線のキハ30【終章】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 民営化後は大きな変化もなく、木更津支区のキハ30は久留里線を走り続けました。とはいえ、久留里線の沿線には宅地開発された地域がそれほどなく、特に久留里駅から上総亀山へかけては山間部を走るため、特…

この1枚から 房総半島が気動車王国であったことを物語った久留里線のキハ30【3】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ところで、キハ35系は気動車としては異色の存在だといえるでしょう。 そもそも気動車は非電化の鉄道路線で運用することが前提です。非電化ということは、ごく一部の例外を除いて電化するほど輸送量が多く…

この1枚から 房総半島が気動車王国であったことを物語った久留里線のキハ30【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 房総半島の、とりわけ内房線の電化が比較的遅かった理由の一つとして、君津市の鹿野山にある国土地理院鹿野山測地観測所の存在があったと考えられます。鹿野山の測地観測所では、地磁気の観測を行っていま…

この1枚から 房総半島が気動車王国であったことを物語った久留里線のキハ30【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 首都圏のJR線は、今でこそそのほとんどが電化されたり、あるいは蓄電池車に置き換えられたりしましたが、国鉄が分割民営化された1987年には非電化のままだった路線がいくつかありました。 例え…

この1枚から 西鉄時代の面影を残す広電3000形【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 福岡市内線の廃止に伴い、ここで活躍していた三連接電車は一部が系列の筑豊電気鉄道に譲渡され、全部で8編成が広島電鉄に譲渡されたのでした。 広島電鉄に移った三連接車は、広島電鉄仕様に改造されました…

この1枚から 西鉄時代の面影を残す広電3000形【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info その北九州線も、1990年代に入ると既に利用者も減少していて、筆者はあまり知りませんでしたが、存廃が問題になっていたようです。確かに、言われてみると筆者が北九州線に乗って小倉車両所に通った1991年…

この1枚から 西鉄時代の面影を残す広電3000形【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 西鉄北九州線ですが、筆者が門司にいた1991年当時はまだ現役でした。現役と言っても、翌1992年に砂津ー黒崎間が廃止になってしまったので、既に実質的な廃止直前の頃と言ってもいい頃でした。 そもそも西…

この1枚から 西鉄時代の面影を残す広電3000形【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 その昔、日本の各地には路面電車が市民の足として活躍していました。人口100万人程度を超える政令指定都市の多くは、大なり小なり併用軌道が道路に敷かれ、そこには1両単車から2〜3両の連接車な…

この1枚から 白プレのEF65 1094・移籍してきたカマ【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 2000年3月、筆者が貨物会社を退職してから6年近くが経ち、世の中はミレニアムで湧いて、システムエンジニアとして西暦2000年問題も片付けホッとしていた頃、1094号機はJR西日本での廃車となり、JR貨物に売…

この1枚から 白プレのEF65 1094・移籍してきたカマ【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info こうして、下関所に配置になった1094号機は、同時期に配置された第7次車の僚機とともに、東京ー九州間のブルトレ運用を500番代P形から置換えていきました。いわゆる、ブルトレ牽引機の交代劇が始まったの…

この1枚から 白プレのEF65 1094・移籍してきたカマ【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 数ある国鉄形電機の中で、どのカマが一番お好きでしょうか? こんな質問を投げかけられると、「国宝級」とまで言われているEF66 27号機を上げられる方がおおいかと思われます。確かに、国鉄直流…

この1枚から 101系が走っていた頃 1980年代の浜川崎支線【2】

《前回からの続き》 blog.railroad-traveler.info 中原電車区に配置された101系はカナリアイエロー(黄色4号)に塗られ、それまでのぶどう色2号とは比べ物にならな明るいカラーになり、都心で使い古された中古車といえども旧型国電を押し出して新性能化に貢…

この1枚から 101系が走っていた頃 1980年代の浜川崎支線【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 小学校5年生の社会角の学習では、日本の産業について学習をします。その学習では、多くの場合「実物を見て学ぶ」ということで、工場見学を設定して出かけることがあります。今では様々な理由か…

米軍専用線の返還に寄せて【4】

《前回からの続き》 さて、在日米軍瑞穂専用線と在日米海軍田浦油送施設専用線を担当せよと命じられたとき、それとともに渡された配線略図は非常に古いものでした。いったい、何年頃に原本が書かれたのかわかりませんが、前者の配線略図にはすでに廃止になっ…

米軍専用線の返還に寄せて【3】

《前回からの続き》 blog.railroad-traveler.info 瑞穂線の分岐駅が、それまでの入江駅から東高島に変更されてから3年後の1958年になると、瑞穂線とその終着駅である瑞穂駅は廃止となってしまいました。恐らくは米軍基地内に駅があるため、日本側の仕様が米…

米軍専用線の返還に寄せて【2】

〈前回からの続き〉 blog.railroad-traveler.info 横浜にある接収された施設の一つとして、横浜港に面したいくつかある埠頭の中で、瑞穂埠頭が米軍によって接収されたのでした。この理由としてあくまで推測ですが、横浜港に数ある埠頭の中で鉄道の線路が埠頭…

米軍専用線の返還に寄せて【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます 少し前、今年の初め頃のことですが、在日アメリカ軍基地の一部を、日本への返還が報じられました。 www.kanaloco.jp 在日アメリカ軍基地というと、多くの人は沖縄県をイメージすると思います。確…